今日は、亡き母の誕生日。
久しぶりに深く眠れた朝、初夏に似合いそうな色の花を買い、私は清々しい気持ちでお墓参りに向かいました。
季節は「立夏」
そんな節入りの日に、母が好きだった「学ぶこと」への情熱を、改めて自分の中に感じる一日になりました。
私の母は、本当に勉強が好きな人でした。
何か知りたいことがあると、図書館へ行って7〜8冊の本を一気に借りてくる。そしてカフェに行き、それらを一気に読むのです。
「すべての本にこう書いてあったから、この情報は信頼できる」
そう言って、情報の核を自らの目と手で手繰り寄せていた母。
晩年、母が熱心に取り組んでいたのは、海外留学も視野に入れるほど本格的な「自然療法」の学びでした。
グローバルに活躍し、どこまでも専門性を極めようとしていた母。
けれど、そんな情熱のさなかにあったある日、突然の病が母から自由を奪いました。
半身の麻痺と言葉を失うという、あまりにも過酷な現実。
最後まで学びを諦めなかった母にとって、どれほど無念だっただろうかと、墓前でその想いに触れたとき、自然と涙が溢れました。
「やりたいことは、今やらなきゃいけない」
母が身をもって教えてくれたのは、明日に回していい時間なんて無いということ。
毎日をただなんとなく過ごすのは、もったいないのだと。
今、私は窓の外が見えるお気に入りのカフェの席で、母がかつて何冊もの本を広げていたみたいに、静かに学びの時間を過ごしています。
母ならきっと何日もかけて丁寧に紐解いていたであろう深い英知。
私は今、新しい時代の力を借りて、そのエッセンスを大切に受け取っています。
学ぶ形は変わったけれど、行間から「答え」を見つけ出そうとしてワクワクするこの感じは、あの日、真剣に本に向き合っていた母の横顔と、今の私、きっとそっくりだと思うんです。
私の心には今、迷いが晴れたような明るい火が灯っています。
目の前の小さなことに一喜一憂するのではなく、今、この瞬間に一生懸命になって、自分の好きな道を進んでいくこと。
空の上で「あら、今はそんな便利なものがあるのね!私にも教えてよ!」と、あの好奇心いっぱいの瞳で笑っているような気がします。
私も、母に負けないくらい、大好きな易の世界をどこまでも深く、探求し続けていこうと思います。
お母さんが好きだった「学ぶこと」の喜びは、今、私の中でちゃんと生きている。
窓から差し込む光を感じながら、そう確信した昼下がりでした。
コトノハ ( ˊᵕˋ)و