リチャード・ブランソンが教えてくれた

リチャード・ブランソンが教えてくれた

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もちろん、直接会うこともないでしょう。
でも、私は彼のマインドセットが非常に自分と合っていると感じています。

彼は、ディスレクシア(失読症)とADHDであることを『やればできる―人生のレッスン』、トランスワールドジャパン、2006年(原題:Losing My Virginity)の中で公表しています。

私は「ヴァージン、僕は世界を変えていく」という彼の自伝の中でディスレクシアの事を知りました。

私が教えられたのは、「自分では何もできない」と認識することで「他の誰かが自分に変わってやってくれる」が前提になっているので、全てに心から感謝が出来るということです。

彼はしきりに書いていました。
「自分はラッキーだった」と。

何一つ、自分がやった功績という表現はしてなかった。

私の職務経歴書に書かれてあることは確かに嘘ではない。でも、その業績を出しているのは、決して私の力ではないのは確か。

マーケティング時代の経験がそれを物語っている。

当時は勿論発達障害って分かっていなかった。でも幸い予算が比較的ある外資系たばこ会社でマーケティングを経験する機会を得ます。

その時がマーケティング初めての経験。初めて分かったのは、自分でやろうとすると社長に怒られることでした。

予算を使って外に投げて、プロに形にしてもらって納品するディレクションをするのと社内の調整と報告が仕事だと分かった。

ラッキーなことに当時代理店の担当の方は、私の纏まり切れない依頼を「つまりこういう事を仰ってますか?」と図で説明してくれたのです。

その方は、その時から私の特性に気が付いていたはずです。その出来ないという影響が出る前に、私が出来ていないところを拾い上げ、次のステージへと繋げてくれていたのです。

だから何を思いついても形に出来ました。
そういう仕事がマーケティングの仕事のやり方なのかと
その時は思っていました。

色々あり転職をしなければならなくなり、国内企業へと移ることになります。
同じくマーケティングでブランディングの担当になります。

しかし、ここでは代理店に依頼をする予算が殆どなかったのです。
社内に画像を書いてくれる人はいたものの、相手に内容を伝えることが上手く出来ないのです。

相手は勿論ですが、何を指示されているのかが分からないからご立腹になります。私も良く分かっています。

それが続くのを恐れ、頼まなくなります。

自分一人でやるようになり、全く上手く出来ないようになりました。
課題を抱えた社員と捉えられるようになり、最終的にパワハラを受けたことでここを去りました。

その2社後の企業での出来事は挽回編です。
そこでは1つのブランドのビジネスユニットの室長として雇われました。
勿論、マーケと営業の数字とP/Lの管理も少ししか関わっていなかった前職とは異なり、ビジネスユニットとなると全部を見渡せてやりがいのある仕事が出来ました。

さて、ここでも同じ課題がありました。
ブランドの拡大の仕方は頭の中にあり、進むべきロードマップは完成しました。

私の課題は、プラン通りに実行することが出来ないのです。

ここでもラッキーなことがありました。
部下の方が一人いたのです。

彼は丁寧に物事を進める方で、私が思いついたアイデアやロードマップに関して、一つずつ形にしてくれていったのです。

私がやっていたら、同時進行はするかもしれないものの、どれも完成に至っていなかったと思う。

チームで行うのはどの企業でもそうでしょう。
私にとってもチームが大事なのですが、私専用のもう一人の私になってくれる人が必要なんです。

そういう意味では、私にチームが必要というよりは、チームの中にいる私に一人誰かをつけなくてはならないということです。

社内でのチーム連携だと私がプロジェクトをリードした場合、Aさん~を~までに、Bさんは~を~までに、来週の定例で内容を確認し、どちらで行くか決めましょう、みたいな会話をリードするのかもしれません。

私は人に振るのが出来ない。
この簡単なことが出来ないのか? と皆さん思うはずです。
正確に言うと、人を割り当てることはできます。
何をやるのかっていう所を明確に説明が出来ない。
簡単にシンプルに説明するだけだし、今頭の中にあることを言えばいいだけだというのに。

実は頭の中に、不特定多数の相関されていない無数のトピックが入り乱れている状態なんです。

だから、一つにまとめてフォーカスするものを決めて、そこだけを指示するということが負担で仕方がない。

それをたばこ時代に行ってくれたのが代理店。

今、どの企業に言っても、勿論ですが起点から納品まで一人でこなすのが一般的です。それが普通です。

でも、私が見ている眼鏡に写っているのは、起点のアイデアの部分とそれが出来上がった後の社会の変化だけなんです。

その間のページが誰かに破られたような状態になっていると言えば分かりやすいかもしれません。

その敗れたページを起こしてくれる人が代理店でした。

タバコ会社依頼、私を受け入れてくれた企業は、外注予算のない企業は多かった。

もう敗れたページを自分で起こさなければならない
出来ないところは出来る人がやればいいという、自分の強みだけを即戦力として使える集団で働いて上手くいった人が、苦手なことはできるまでまでやり続ける新人教育のような集団で同じ成果を出せるかと言えば、出来ません。

いつかできるようになれるでしょう。

そのいつかが起きた時は、既に市場の戦いに大敗しているはずです。

だから、グレーと感じた人は恥ずかしがらずに診断してもらっていいと思います。

ADHDと診断されたら、自分ではこれは出来ない部分だから人にお願いしないと無理、と自分の中で線引き

社内の人にも伝える。そこで離れる人や自分が排除されてしまう場所だったとしたら、いつか排除されてしまう場所だということです。

まずは、自分にあった場所があればラッキー、なければ作るしかないし、作れないなら、自腹でもいいから自分の業務で出来ないと思う所をココナラで仕上げて提出してしまえばよい。

手元に残るお金が無くなるかもしれないけど、もしそれで大きな仕事が進んでタイトルが上がれば、それこそラッキー。

出来ないことを出来ない、やらない、と決めることは無力ではない

それこそが強みです。

発達障害になって嫌な思いは沢山受けてきたけど、これを持ち続けて生涯を終えなければいけないのであれば、是が非でも自分の「できない」ことに自信をもって「やってもらう」しかない。

それで「じゃ、あなたの存在意義は?」とつけ放されるのなら、その言葉にも感謝。自分のいる場所ではないことを教えてくれたのですから。




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