私たちは身の回りの出来事を「良いこと」と「悪いこと」で分けることがあります。実際にはその間の一定の範囲に「何でもないこと」がありますが、文字通りほぼ何も感じないので、これはほとんど意識されません。
ですが「悪いこと」が起こると、それと同時に不快な感情が湧き上がるので、私たちはこれを忌み嫌い避けようとします。”どうか悪いことが起こりませんように”と願うのです。
ところが、実際にこの世界から「悪いこと」が消えたらどうなるでしょうか。長い時間をかけて「悪いこと」という概念そのものが消えていき、それに伴って幸福度の最低値は「何でもないこと」になります。
厳密には、この「何でもないこと」は数値で表すと0だけではなく、僅かなプラスとマイナスの部分も含むので、僅かなマイナスの部分が最低値になります。そして前述の通り「何でもないこと」はほとんど意識されないので、楽しいことばかりが残り、素晴らしい人生になる……というわけには残念ながらいきません。
なぜかというと、幸福な出来事が起こる頻度と、慣れが関係しています。そもそも、私たちの人生で「とても良いこと」と「とても悪いこと」が起こる頻度はそう多くないので、おおよそ全体の2割程度と仮定しましょう。そうなると大抵は「何でもない」ことが5割くらいで、「少し良いこと」と「少し悪いこと」が残りの3割でしょうか。
この割合には個人毎に多少変動はあるでしょうが、要するに、人生の8割くらいの大部分は「少し良い、少し悪いこと」と「何でもないこと」でできているわけです。そこから「悪いこと」がなくなると「少し良いこと」にもありがたみを感じなくなって慣れていくので、感覚的には「何でもないこと」の領域が拡張されていくことになるはずです。
するとどうでしょうか。結果的に「悪いこと」がなくなった分よりもさらに「何でもないこと」と感じる領域が増え過ぎてしまい、私たちの人生はごくたまに「良いこと」があるだけのかなり無味乾燥なものになってしまうのです。
この哲学的想像もどきからわかることは2つ。1つは、マイナス方向の出来事も、結果的に私たちの人生の幸福に寄与しているということ。そしてもう1つは、「悪いこと」が人生の幸福に寄与しているのであれば、それは「悪いこと」というよりも、単なる出来事の波に過ぎないと考えることもできるということです。
もちろん、戦争や貧困、不平等や不正など、克服すべきことは世の中にはたくさんありますが、こういったマイナス方向の出来事を「悪いこと」とみなさなくても済む考え方もあるということを知っておくと、少しだけ人生における苦しみを受け入れやすくなるかもしれませんね。