第2部 第4章『秋色のイルミネーション』/オリジナル曲紹介

第2部 第4章『秋色のイルミネーション』/オリジナル曲紹介

コンテンツ
音声・音楽

テーマ「実りの秋。そして、少しずつ近づく二人の距離。」


夏祭りの日から数週間。

花火の夜に芽生えた想いは消えることなく、
るなの胸の中で少しずつ大きくなっていく。

まだ恋人ではない。

でも、もう「憧れ」だけでもない。

そんな"恋になる途中"の物語です。

曲紹介

この章から新しい曲が出来上がりました。
曲タイトル「秋色のイルミネーション」

第4章構成(目次)

第1節
「少し早い秋風」
8月下旬。

まだ暑さは残るものの、
夕方になると少しだけ涼しい風が吹き始める。

「夏、終わっちゃうね。」

夏祭りの写真を見返しながら、
るなは少し寂しそうに笑う。

第2節
「夕焼け色の帰り道」
学校帰り。

偶然、桐生先輩と二人きりで帰ることになる。

夕焼けに染まる街。

他愛もない会話。

少しだけ近づいた距離。

でも手は届かない。

第3節
「コスモスの約束」
9月。

コスモス畑へ。

風に揺れるコスモスを見ながら

「また来年も来ようね。」

何気ない約束。

でも、その一言がるなにとって宝物になる。

第4節
「秋色のイルミネーション」
夕暮れから夜へ。

ライトアップされた並木道。

オレンジ色のライト。

金色の木々。

少しずつ灯るイルミネーション。

夏のような賑やかさではなく、

静かで落ち着いた光。

その光の中で

「また、一緒に来たい。」

るなが初めて自分から伝える。

恋の一歩手前まで進んだところで物語は締めくくられます。

第4章「秋色のイルミネーション」

第1節「少し早い秋風」

 八月も、もう終わろうとしていた。

 昼間の太陽は、まだ夏そのものだった。

 蝉の声は相変わらず元気で、アスファルトから立ち上る熱気も消えていない。

 けれど――。

 夕方になると、ほんの少しだけ違っていた。

 駅へ向かう道を歩いていると、火照った頬を撫でる風が、ほんの少しだけ涼しい。

 ほんの一瞬。

 それだけだった。

 けれど、るなにはそれが妙に嬉しかった。

「……あれ?」

 るなは足を止めた。

 髪を揺らした風が、もう一度頬を撫でる。

「今……ちょっと涼しかった?」

「え?」

 隣を歩いていたひかりが振り返る。

「何が?」

「風!」

「風?」

「うん。今の風、ちょっと秋っぽかった!」

 るなが嬉しそうに空を見上げる。

 まだ空は、夏の名残を残した青色だった。

「そうかなぁ?」

 まなが首を傾げる。

「私はまだ暑いけど……」

「私も」

 ひかりも笑う。

「ほら、今日も普通に暑いじゃん」

「それはそうだけど……」

 るなは少し考えてから、また風を感じるように目を閉じた。

「でも……夏とはちょっと違う気がする」

「るな、そういうところよく気づくよね」

「え?」

「季節の変化とか、匂いとか」

 まなが笑う。

「食べ物の匂いにはもっと敏感だけど」

「それは重要事項です!」

「ほら」

 ひかりとまなが顔を見合わせる。

「いつものるなだ」

「ちょっと!?」

 三人の笑い声が夕暮れの道に響いた。

 夏休みが終わりに近づき、三人で歩く時間も少しずつ普段の日常へ戻り始めていた。

 けれど、るなの中では――。

 今年の夏は、まだ終わっていなかった。

 ふとした瞬間に思い出す。

 夏祭りの提灯。

 夜店の明かり。

 りんご飴の甘い味。

 分け合った冷たいもの。

 そして――。

 夜空いっぱいに咲いた花火。

 その隣で見た、あの横顔。

「……」

 るなは無意識に胸元へ手を当てた。

「るな?」

「えっ?」

「どうしたの?」

「な、なんでもない!」

 慌てて手を離す。

 ひかりが不思議そうに見つめる。

「また先輩のこと考えてた?」

「――っ!」

 るなの顔が一瞬で赤くなる。

「な、なんで分かるの!?」

「分かるよ」

「分かる」

「まなまで!?」

 二人が笑う。

「だって、分かりやすすぎるんだもん」

「最近、先輩の話になると顔が変わるよ」

「そ、そうかな……」

「そう」

「絶対そう」

「……」

 るなは反論できなかった。

 夏祭りの日。

 先輩と並んで見上げた花火。

 あのとき感じた胸の高鳴りは、まだ消えていない。

 むしろ――。

 時間が経つほど、はっきりしてきた気がする。

「……私」

 るなが小さく呟く。

「うん?」

「夏祭りが終わったら……もっと普通に戻れると思ってた」

「普通?」

「うん」

 るなは前を向いたまま話す。

「夏祭りの日は、特別だったから……」

「うん」

「花火もあったし、夜だったし……」

「うん」

「だから、あの日だけドキドキしたんだと思ってた」

 少し間を置いて、るなは苦笑した。

「でも……違ったみたい」

 ひかりとまなが黙ってるなの言葉を聞いている。

「次の日になっても思い出すの」

 るなの声が少しだけ小さくなる。

「その次の日も……」

「……うん」

「写真を見たら、また思い出して……」

 るなはスマートフォンを取り出した。

 そこには、夏祭りの日に撮った写真が何枚も保存されている。

 夜店の写真。

 花火の写真。

 みんなで笑っている写真。

 そして――。

 少し離れた場所から撮った、先輩が写っている一枚。

 るなはその写真を見つめる。

「……やっぱり、好きなのかな」

 その言葉を口にした瞬間。

 自分自身が一番驚いたように、るなの目が大きくなった。

「……言っちゃった」

「うん」

「言ったね」

「……」

 るなの耳まで赤くなる。

「今の……聞かなかったことにして!」

「無理」

「無理だね」

「二人とも!」

 三人の笑い声がまた弾ける。

 でも、笑い声が落ち着いたあと。

 ひかりが優しく言った。

「いいんじゃない?」

「……え?」

「好きって思える人がいるって」

「……」

「嬉しいことだと思うよ」

 まなも頷く。

「うん。急がなくてもいいんじゃない?」

「急がなくて……いい?」

「うん」

「だって、まだ先輩に何か伝えなきゃいけないって決まったわけじゃないし」

 まながそう言って笑う。

「まずは、好きって気持ちを大事にしてみたら?」

「……好きって気持ちを?」

「そう」

 るなはその言葉を何度も心の中で繰り返した。

 好き。

 それは、花火のように突然大きくなった気持ちではなかった。

 夏祭りが終わっても消えず。

 朝になっても消えず。

 何気ない日常の中でも、ふと顔を出す。

 それは小さな光のようだった。

 まだ誰にも見えない。

 でも確かに、胸の中で灯っている。

「……なんか、不思議」

「何が?」

「夏が終わるの、ちょっと寂しいと思ってたの」

「うん」

「でも……」

 るなが夕焼け空を見る。

「夏が終わっても、全部終わるわけじゃないんだね」

 ひかりが微笑む。

「そうだよ」

「秋が来るだけ」

 まなが続ける。

「その次は冬」

「……冬かぁ」

 るなが少しだけ遠い目をする。

 冬。

 初めてこの物語が始まった季節。

 街にイルミネーションが灯り始める季節。

 そう思った瞬間――。

 るなの胸の奥で、何かが小さく揺れた。

「……冬も、一緒に見られたらいいな」

「え?」

「……あ」

 るなが慌てて口元を押さえる。

「今のは……」

「今のは?」

「独り言!」

「はいはい」

 ひかりが笑う。

「でも、いいんじゃない?」

「……何が?」

「冬のイルミネーション」

「……」

 るなは答えなかった。

 ただ、少しだけ笑った。

 そのときだった。

 また風が吹いた。

 今度はさっきより少しだけ涼しい。

 るなの髪がふわりと揺れる。

「……ほら」

「何?」

「やっぱり秋の風だよ」

 るなが笑う。

「まだ暑いけどね」

「うん」

「でも……もう少ししたら、本当に秋になるんだね」

 夕焼けの空は、夏の青から少しずつ淡い橙色へ変わっていた。

 遠くの街路樹では、まだ緑色の葉が揺れている。

 蝉の声も聞こえる。

 それなのに――。

 季節は確かに、次へ進もうとしていた。

 るなは、もう一度だけ風を感じる。

 夏の終わりに吹いた、ほんの少し早い秋風。

 それはまるで――。

 次の物語が始まることを知らせる、小さな合図のようだった。

「……秋も、楽しみだね」

 るながそう言って笑う。

「食欲の秋?」

 まなが聞く。

「もちろん!」

 即答だった。

「やっぱりそこ!?」

「だって秋だよ!?」

「何がそんなに楽しみなの……」

「栗でしょ、さつまいもでしょ、かぼちゃでしょ……」

 指を折りながら数え始めるるな。

「それから――」

「はいはい、もう分かった」

 ひかりが笑う。

「今年も食欲の秋だね」

「芸術の秋とか読書の秋とかもあるよ?」

 まなが付け加える。

「もちろん!」

「本当に?」

「……たぶん」

「今の間は何?」

 三人はまた笑った。

 夕暮れの道。

 少しだけ涼しくなった風。

 そして、まだ夏の光を残した空。

 その中を歩きながら、るなは思った。

 ――夏が終わっても。

 あの夏祭りの夜に灯った光は、まだ胸の中にある。

 そして、その光がこれからどんな色に変わっていくのか。

 るな自身も、まだ知らなかった。



 それから数日が過ぎた。

 八月も終わりに近づき、街の景色には少しずつ変化が見え始めていた。

 コンビニの入り口には、秋限定のお菓子。

 本屋には、新学期の特集。

 駅前のポスターも、夏祭りから秋のイベントへと張り替えられている。

「……秋だ」

 るなは、コンビニの前で立ち止まった。

「何してるの?」

 ひかりが振り返る。

「見て!」

 るなが指差した先には――。

 さつまいも味のお菓子。

 栗味のお菓子。

 そして、期間限定のかぼちゃスイーツ。

「秋限定だって!」

「そこ?」

「そこです!」

 るなの目が輝く。

「もう秋なんだねぇ……」

「さっきまで夏の終わりを寂しがってた人とは思えない」

「季節が変われば、楽しみも変わるんです!」

 まなが笑った。

「るなは一年中楽しそうだね」

「もちろん!」

 るなは胸を張る。

「でも――」

 その声が少しだけ小さくなった。

「夏も……楽しかったな」

 ひかりがるなの顔を見る。

「うん」

「また夏祭り、行きたいな……」

「来年?」

「うん」

 るなは小さく頷いた。

「来年も、みんなで行けたらいいな」

 そう言いながら、るなは空を見上げた。

 まだ昼間の空は夏の色。

 けれど、雲の形は少しずつ変わっている。

 風も、ほんの少しだけ涼しい。

「……来年かぁ」

 まなが呟いた。

「一年って長いよね」

「長い?」

「うん。今から来年の夏って、すごく遠く感じる」

 るなは黙って考えた。

 一年。

 その間に、いろんなことが起きるだろう。

 学校のこと。

 音楽のこと。

 友達とのこと。

 そして――。

 先輩とのこと。

「……でも」

 るなが小さく笑う。

「きっと、あっという間だよ」

「どうして?」

「だって……」

 るなは少し照れながら言った。

「楽しみなことがあると、時間って早く過ぎるから」

「……なるほど」

 ひかりが微笑む。

「じゃあ、来年の夏までに楽しみなことをいっぱい作ればいいね」

「うん!」

 るなが頷いた。

「いっぱい作ろう!」

「秋もあるしね」

「冬もある!」

「春もある」

「……そう考えると、一年って結構いっぱいあるね」

 三人は笑った。

 その日の帰り道。

 二人と別れ、るなは一人で駅へ向かっていた。

 夕方の街には、少しだけ涼しい風が流れている。

 夏の終わりを知らせるように、蝉の声も少し遠くなった。

「……秋かぁ」

 るなは独り言を呟く。

 歩きながら、空を見上げる。

 夕焼けが、建物の隙間から見えていた。

 オレンジ色。

 金色。

 ほんの少しだけ、ピンク色。

 その景色を見ていると、ふと夏祭りの日を思い出した。

 提灯の灯り。

 花火。

 そして――。

 先輩。

「……また思い出してる」

 るなは苦笑した。

 自分でも分かっていた。

 最近、何かにつけて先輩のことを思い出してしまう。

 美味しいものを見つければ、

 「先輩にも食べてもらいたい」

 綺麗な景色を見れば、

 「先輩にも見せたい」

 面白いことがあれば、

 「先輩に話したい」

 いつの間にか。

 日常の中に、先輩の存在が増えていた。

「……これって」

 るなは立ち止まった。

「やっぱり……好きってことなのかな」

 口にすると、胸が少しだけ熱くなる。

 その瞬間――。

「るな?」

「……え?」

 後ろから声がした。

 聞き覚えのある声。

 るなの心臓が、一瞬で跳ねた。

 ゆっくり振り返る。

「……先輩?」

 そこに立っていたのは、桐生先輩だった。

「やっぱり、るなだった」

「ど、どうしてここに……?」

「大学の帰り。駅に向かってたんだ」

「そ、そうなんですね……」

 偶然。

 本当に、ただの偶然だった。

 なのに。

 るなの心臓は、まるで花火が上がったみたいに騒がしくなる。

「るなは?」

「私も帰るところです」

「じゃあ、一緒に駅まで行こうか」

「……!」

 るなは一瞬、言葉を失った。

「……はい!」

 思わず声が大きくなる。

「ふふっ」

 先輩が笑う。

「そんなに驚かなくても」

「だ、だって……」

「うん?」

「……いえ、なんでもないです」

 るなは慌てて歩き始めた。

 先輩が隣に並ぶ。

 その距離は、夏祭りの日よりも少しだけ近く感じた。

「そういえば」

 先輩が口を開く。

「夏祭りの写真、見たよ」

「えっ!?」

 るなが振り向く。

「誰から聞いたんですか?」

「ひかりから」

「ひかり……!」

 るなの顔が赤くなる。

「いい写真だったね」

「……どれですか?」

「花火の写真」

「花火……」

「すごく綺麗だった」

「……はい」

 るなは小さく頷いた。

「でも」

 先輩が笑う。

「写真より、実際に見た方が綺麗だったけどね」

「……!」

 るなの足が止まりそうになる。

「……そうですよね」

「うん」

「……花火、綺麗でした」

「楽しかった?」

「はい」

 少し間を置いて。

「……すごく」

 先輩も頷く。

「僕も」

 二人の間に、静かな時間が流れた。

 夏祭りの日のような賑やかさはない。

 花火の音もない。

 夜店の明かりもない。

 ただ、夕暮れの街を二人で歩いているだけ。

 なのに――。

 るなには、それだけで十分特別だった。

「もうすぐ夏も終わるね」

 先輩が空を見上げた。

「……はい」

「ちょっと寂しいな」

「私もです」

「でも、秋も悪くないよ」

「秋……」

「紅葉とか」

「あ……」

 るなの目が少し輝く。

「コスモスもありますよね」

「そうだね」

「コスモス畑、行ってみたいです」

「好きなの?」

「はい。風に揺れてるのが綺麗だから」

「じゃあ――」

 先輩が少し考える。

「秋になったら、見に行ってみる?」

「……え?」

 るなは先輩を見る。

「コスモス」

「……一緒に?」

「うん」

 その瞬間。

 胸の奥で、小さな光が灯った。

「……はい」

 るなの声は、少しだけ震えていた。

「行きたいです」

「じゃあ、秋になったら」

「約束……ですか?」

「約束」

 先輩が笑った。

「じゃあ、忘れないようにしないとね」

「絶対忘れません!」

 るなも笑った。

 夕焼けの中で、二人の影が長く伸びていく。

 夏の終わり。

 そして、まだ始まったばかりの秋。

 その境目で交わした小さな約束。

 るなは胸の中で、何度もその言葉を繰り返していた。

 ――秋になったら、コスモスを見に行く。

 それは、ただの約束。

 けれど、るなにとっては――。

 夏祭りの夜に生まれた恋心が、初めて未来へ向かって伸びた瞬間だった。

 駅が近づく。

 夕焼けは、少しずつ夜の色へ変わり始めていた。

「じゃあ、またね」

 先輩が手を振る。

「はい!」

 るなも手を振る。

 先輩の姿が見えなくなってからも、るなはしばらくその場に立っていた。

「……約束……」

 胸に手を当てる。

 心臓がまだ速い。

「……秋、楽しみだな」

 その顔には、自然と笑顔が浮かんでいた。

 少し早い秋風が、もう一度るなの髪を揺らした。

 今度は、もう夏の風には感じなかった。

 それは――。

 新しい季節と、新しい恋の物語を運んでくる風だった。



第2節「夕焼け色の帰り道」

 九月に入って、数日。

 朝晩の風は、少しずつ涼しくなっていた。

 それでも昼間はまだ暑い。

 教室の窓から差し込む太陽は、夏と変わらないくらい眩しかった。

「暑い……」

 まなが机に突っ伏す。

「九月なのに、まだこんなに暑いの?」

「秋だからって急に涼しくなるわけじゃないよ」

 ひかりが笑う。

「でも、朝はちょっと涼しくなったよね」

「そうそう!」

 るなが顔を上げる。

「この前の風も、秋っぽかったし!」

「るな、最近すっかり秋探ししてるね」

「だって、秋になったら……」

 そこまで言って、るなは口を閉じた。

「……?」

 ひかりが首を傾げる。

「何?」

「え?」

「今、何か言いかけたでしょ?」

「えっと……」

 るなは頬をかく。

「……コスモス」

「コスモス?」

「うん」

 るなの顔が少しだけ赤くなる。

「見に行く約束したから……」

「ああ!」

 まなが手を叩いた。

「この前の先輩との約束!」

「まな、声大きい!」

「ごめんごめん」

 まなが口元を押さえる。

「でも、楽しみだね」

「……うん」

 るなは小さく頷いた。

「すごく楽しみ」

 その笑顔を見て、ひかりも微笑んだ。

「よかったね」

「え?」

「夏祭りのときより、少し前に進んだんじゃない?」

「……そうかな」

「うん」

 ひかりは頷く。

「“また来年も”じゃなくて、“秋になったら”っていう近い未来の約束だから」

「……!」

 るなはその言葉を聞いて、胸の奥が温かくなるのを感じた。

 確かにそうだった。

 来年ではない。

 いつかでもない。

 もうすぐ来る秋。

 その先に、先輩との約束がある。

「……なんか、嬉しい」

「顔に出てるよ」

「えっ?」

「ものすごく」

「うそ……」

 るなは両手で頬を隠した。

「もう……」

 二人が笑う。

 そんな何気ない時間も、るなには幸せだった。

 放課後。

 三人は昇降口を出た。

「じゃあ、また明日!」

 まなが手を振る。

「うん。またね」

 ひかりも手を振った。

「るなは?」

「私は駅まで行くよ」

「じゃあ、また明日!」

「またねー!」

 二人と別れ、るなは一人で歩き始めた。

 空は、もう夕方の色に変わり始めていた。

 昼間の青空とは違う。

 淡いオレンジ色が、建物の向こう側から広がっている。

「きれい……」

 るなは足を止めた。

 夕焼け。

 夏の頃より、少しだけ色が濃くなった気がする。

 オレンジの中に、ほんの少し赤が混ざっている。

 その景色を見ていると、なぜか夏祭りの夜を思い出した。

 提灯の明かり。

 花火。

 そして――。

「……先輩」

 小さく名前を呼んでしまう。

「……って、何してるんだろ、私」

 るなは苦笑した。

 最近、何を見ても先輩を思い出す。

 綺麗な景色。

 美味しいもの。

 面白いこと。

 何かを見つけるたびに、

 「先輩にも見せたい」

 と思ってしまう。

 そして、そのたびに胸が少しだけ苦しくなる。

「……好きって、こういうことなのかな」

 答えはまだ分からない。

 でも、嫌ではなかった。

 むしろ――。

 この気持ちを大切にしたいと思っていた。

 駅へ向かう途中。

 るなは小さな公園の前を通りかかった。

 夏には子どもたちの声で賑わっていた公園も、今日は静かだった。

 ベンチの横に植えられた木の葉が、風に揺れている。

「……少し黄色くなってる」

 るなは葉っぱを見上げた。

「もう秋なんだなぁ」

 そのとき。

「るな?」

「……え?」

 聞き覚えのある声。

 るなが振り返る。

「……先輩!」

 そこには桐生先輩が立っていた。

「やっぱり、るなだ」

「どうしてここに?」

「駅に行く途中」

「私もです!」

「そうなんだ」

 二人の間に、少しだけ沈黙が流れる。

 以前なら、その沈黙が怖かった。

 何を話せばいいのか分からなくて、焦ってしまった。

 でも今は――。

 少しだけ違う。

「……あの」

 るなが口を開く。

「はい?」

「コスモス……」

「うん?」

「まだ覚えてます?」

 先輩が笑った。

「もちろん」

「……よかった」

 るなの表情が明るくなる。

「いつ頃がいいんでしょう?」

「そうだなぁ」

 先輩が空を見る。

「もう少し涼しくなってからかな」

「じゃあ……九月の終わりくらい?」

「それくらいがいいかも」

「楽しみですね」

「うん」

 先輩が微笑む。

「楽しみだね」

 たったそれだけ。

 なのに、るなの胸はまた高鳴った。

「そういえば」

 先輩が言った。

「最近、学校はどう?」

「普通です」

「普通?」

「はい。宿題が多いです」

「それは大変だね」

「先輩の大学は?」

「こっちも大変だよ」

「じゃあ、お互い大変ですね」

「そうだね」

 二人で笑う。

 話している内容は、本当に何でもない。

 学校のこと。

 宿題のこと。

 最近少し涼しくなったこと。

 そんな普通の話。

 なのに、るなは思った。

 ――こういう時間が好き。

 夏祭りのような特別な夜じゃなくても。

 花火がなくても。

 夜店がなくても。

 先輩と並んで歩いているだけで、胸が温かくなる。

「……先輩」

「ん?」

「私……」

 言いかけて、るなは止まった。

「どうしたの?」

「……いえ」

 まだ言えない。

 「好きです」とは。

 今はまだ。

 だけど――。

「……秋になったら、絶対コスモス見に行きましょうね」

 代わりに、そう言った。

「うん。約束」

 先輩が笑う。

「約束ですね」

 るなも笑った。

 二人は駅へ向かって歩き続けた。

 夕焼けは、少しずつ薄くなっていく。

 空の端には、淡い紫色が混ざり始めていた。

 るなはその景色を見つめながら思う。

 夏の夜には、花火が夜空を照らしていた。

 そして今は――。

 夕焼けが二人の帰り道を照らしている。

 派手な光じゃない。

 でも、やさしい。

 静かで、温かい。

 まるで今の自分の気持ちみたいだった。

「るな」

「はい?」

「今日、楽しかったね」

「……え?」

「こうやって話しながら帰るの」

「……はい」

 るなの頬が少し赤くなる。

「私も……楽しかったです」

 駅の時計が、夕方の時間を告げる。

 もうすぐ今日も終わる。

 けれど、るなには分かっていた。

 この帰り道は、きっとまた思い出す。

 夏祭りの日のような大きな出来事ではない。

 ただ、夕焼けの下を一緒に歩いただけ。

 それなのに――。

 胸の中には、確かな光が残っている。

 そしてその光は、夏の花火とは違っていた。

 静かで。

 やわらかくて。

 少しずつ色を変えながら、秋へ向かっている。

 夕焼け色の光。

 それは、まだ名前のない恋が、少しずつ形になっていく色だった。



 駅へ向かう道は、夕方の人で少しずつ賑わい始めていた。

 学校帰りの学生。

 仕事を終えた人。

 買い物袋を抱えた人。

 それぞれが、それぞれの一日を終えて帰っていく。

 その中を、るなと先輩は並んで歩いていた。

「……なんか」

 るなが小さく呟く。

「うん?」

「不思議ですね」

「何が?」

「こうやって二人で歩いてるの」

 先輩が少し笑った。

「確かに」

「夏祭りのときは、もっと人がいっぱいだったから」

「そうだったね」

「今日は普通の帰り道なのに……」

 るなは言葉を止める。

「……なんか、ちょっと嬉しいです」

「僕もだよ」

「……!」

 るなの心臓が、また大きく跳ねた。

「そ、そうですか?」

「うん」

 先輩は何気なく答える。

「こういう普通の時間って、意外と楽しいからね」

「……普通の時間」

 るなはその言葉を心の中で繰り返した。

 普通。

 それは、特別じゃないという意味ではないのかもしれない。

 むしろ――。

 何度でも繰り返したくなる時間。

 それが「普通」なのかもしれない。

「そういえば」

 先輩が話題を変えた。

「るなって、最近何かハマってるものある?」

「あります!」

 るなが即答する。

「何?」

「食べ物です!」

「……やっぱり」

「え?」

 先輩が笑う。

「いや、なんとなく予想してた」

「失礼ですよ!」

「ごめんごめん」

「でも……」

 るなが少し考える。

「最近は秋っぽいものが気になってます」

「秋っぽいもの?」

「さつまいもとか、栗とか、かぼちゃとか!」

「なるほど」

「あと、秋いちご!」

「秋いちご?」

 先輩が少し驚いた。

「そうなんです!」

 るなの目が輝く。

「最近は秋にもいちごがあるんですよ!」

「へぇ……知らなかった」

「私も最初は知らなかったんですけど」

 るなは嬉しそうに話し始めた。

「いちごって春のイメージが強いじゃないですか。でも品種によっては秋から楽しめるものもあるんですよ」

「詳しいね」

「……調べました」

「やっぱり」

「だって気になるじゃないですか!」

「何が?」

「いちごが!」

「そこなんだ」

 二人で笑う。

「でも、るなって本当に食べ物の話をすると楽しそうだね」

「そうですか?」

「うん」

「……じゃあ」

 るなは少し照れながら言った。

「今度、秋いちごのお店とか見つけたら教えてください」

「分かった」

「本当に?」

「うん」

「約束ですよ?」

「約束」

 また一つ、小さな約束が増えた。

 るなはそれだけで嬉しくなった。

 駅前の大通りに出る。

 夕焼けは、もうかなり薄くなっていた。

 建物の窓に、オレンジ色の光が反射している。

 街灯が一つ、また一つと点灯していく。

 その光を見て、るなが足を止めた。

「……あ」

「どうしたの?」

「灯り……」

 夕暮れの街に、少しずつ夜の光が増えていく。

 街灯。

 店の看板。

 車のライト。

 マンションの窓。

 まだイルミネーションの季節ではない。

 それでも、るなには綺麗に見えた。

「夏のイルミネーションとは違いますね」

「夏の?」

「夏祭りの日の……」

「ああ」

 先輩も思い出したように笑う。

「花火の夜か」

「はい」

「懐かしいね」

「……まだそんなに経ってないのに」

「そうだね」

 るなは夜へ変わっていく街を見つめた。

「でも……」

「うん?」

「もう、あの頃とは少し違う気がします」

 先輩がるなを見る。

「どう違う?」

「分からないです」

 るなは少し困ったように笑った。

「でも、夏祭りの日は……先輩と一緒にいるだけでドキドキしてました」

「今は?」

「……」

 るなが黙る。

「今は?」

 先輩がもう一度聞く。

 るなは顔を赤くした。

「……今もです」

「そっか」

 先輩は優しく笑った。

「僕も少し緊張してるよ」

「え?」

「こうして二人で歩くの」

「……本当ですか?」

「本当」

 るなの胸の奥が、ふわっと温かくなった。

 自分だけじゃなかった。

 そう思えたことが、何より嬉しかった。

 駅が近づいてくる。

 人の数も増えてきた。

 もうすぐ、今日の帰り道も終わる。

「先輩」

「ん?」

「今日は……ありがとうございました」

「こちらこそ」

「楽しかったです」

「僕も」

 駅の入り口が見えてきた。

 るなは少しだけ歩く速度を落とした。

 できれば、もう少しだけ一緒にいたい。

 でも、駅は待ってくれない。

「……あの」

「うん?」

「コスモス……」

「うん」

「本当に、行きましょうね」

「もちろん」

「絶対ですよ?」

「絶対」

「……よかった」

 るなは笑った。

「じゃあ、また学校で」

「うん。またね」

 二人はそこで別れた。

 るなは何度か振り返りそうになった。

 でも、今日は振り返らなかった。

 ただ、胸の中に残った温かさを大切に抱えながら歩いた。

 電車に乗る。

 窓の外には、すっかり夜になった街。

 昼間の景色とは違う。

 建物の窓に灯る明かりが、夜空の星のように見える。

 るなは窓に映った自分の顔を見た。

「……私、笑ってる」

 思わず小さく笑う。

 今日の出来事を思い返す。

 先輩と会った。

 一緒に歩いた。

 たくさん話した。

 秋いちごの話もした。

 そして――。

 コスモスの約束。

「……秋、早く来ないかな」

 そう呟いた。

 まだ九月になったばかり。

 コスモスが見頃になるには、もう少し時間がかかる。

 でも。

 待つ時間も悪くなかった。

 その間に、また先輩と会えるかもしれない。

 また話せるかもしれない。

 また、一緒に帰れるかもしれない。

 そんな小さな期待が、るなの心を明るくしていた。

 翌日。

 学校へ向かう途中。

 るなは昨日と同じ道を歩いていた。

 昨日の夕焼けは、もうない。

 朝の空は淡い青色。

 でも、昨日と同じ場所を通ると――。

 なぜか少しだけ嬉しくなった。

「……ここ」

 先輩と一緒に歩いた場所。

 ほんの数時間前までは、ただの道だった。

 でも今は違う。

 思い出の場所になった。

 るなは立ち止まって、そっと笑う。

「普通の帰り道って……」

 誰にも聞こえない声で呟く。

「こうやって、思い出になるんだ」

 その瞬間。

 頬を秋の風が撫でた。

 夏より少し涼しい。

 でも、冷たくはない。

 るなは目を閉じる。

「……気持ちいい」

 そして、ふと思った。

 夕焼け色の帰り道。

 それは、花火のような強い光ではなかった。

 けれど、毎日の中にそっと残っていく。

 そんな光だった。

 放課後。

「るな!」

 ひかりの声が聞こえた。

「昨日、先輩と帰ったんでしょ?」

「えっ!?」

 るなの顔が一気に赤くなる。

「なんで知ってるの!?」

「駅で見た人がいたみたい」

「誰!?」

「さあ?」

 ひかりが笑う。

「どうだった?」

「どうって……」

 るなは少し考える。

「……楽しかった」

「うん」

「いっぱい話した」

「うん」

「秋いちごの話もした」

「そこ?」

「それから……」

 るなが少しだけ笑う。

「コスモスの約束、ちゃんと覚えててくれた」

「……それは嬉しいね」

「うん」

 るなは窓の外を見る。

 夕方の空。

 昨日と同じようなオレンジ色。

「……楽しみ」

「コスモス?」

「うん」

「先輩?」

「……どっちも」

 ひかりが笑った。

「そっか」

「うん」

 るなも笑った。

 まだ何も始まっていない。

 告白したわけでもない。

 恋人になったわけでもない。

 ただ、一緒に帰った。

 ただ、約束をした。

 それだけ。

 だけど――。

 るなにとって、その「それだけ」が、とても大切だった。

 夏の花火から始まった恋心は、今、夕焼け色に染まりながら少しずつ形を変えている。

 そして、その先には――。

 風に揺れるコスモスと、二人だけの小さな約束が待っていた。



第3節「コスモスの約束」

 九月の終わり。

 朝晩には、すっかり秋の気配が感じられるようになっていた。

 けれど、その日の昼間は少し暑かった。

「……暑い」

 るなは額に浮かんだ汗を、ハンカチでそっと拭った。

「もう秋なのに……」

 空は高く、雲は少ない。

 夏ほど強烈ではないけれど、太陽はまだ元気だった。

 そして、その太陽の下には――。

「……わぁ」

 るなの目の前いっぱいに、コスモスが広がっていた。

 ピンク。

 白。

 濃いピンク。

 少し紫がかった花。

 風が吹くたび、一斉に揺れる。

 まるで、花畑そのものが呼吸しているようだった。

「すごい……」

 るなは思わず立ち止まった。

「綺麗だね」

 隣から声がする。

「……はい」

 桐生先輩だった。

 約束の日。

 二人はついに、コスモス畑へ来ていた。

「本当に来られましたね」

「うん」

「なんか……」

 るなはコスモスを見つめる。

「夢みたいです」

「そんなに?」

「だって、夏祭りの日に話した約束ですよ?」

「そうだったね」

「そのときは、秋なんてまだまだ先だと思ってたのに」

「気づいたら来てたね」

「……はい」

 るなは微笑んだ。

 夏祭りの日。

 花火を見上げながら感じた、あの強い鼓動。

 あれから少しずつ時間が流れて――。

 今日はこうして、先輩と二人でコスモス畑にいる。

 不思議だった。

 でも、とても嬉しかった。

「写真、撮ろうか?」

 先輩がスマートフォンを取り出す。

「え?」

「せっかくだから」

「お願いします!」

 るなは嬉しそうにコスモスの前に立った。

「ここでいいですか?」

「うん。もう少し右」

「こう?」

「もう少しだけ」

「こうですか?」

「うん、いい感じ」

 カシャッ。

「撮れました?」

「うん」

「見せてください!」

 るなが先輩のスマートフォンを覗き込む。

「……わぁ」

 そこには、コスモス畑の中で笑っている自分が写っていた。

「なんか……」

「何?」

「自分じゃないみたい」

「そう?」

「はい」

 るなは写真を見つめる。

 普段の自分。

 学校で友達と話している自分。

 食べ物を見つけて喜んでいる自分。

 そんな自分とは少し違って見えた。

「……秋の女の子って感じ」

「秋の女の子?」

「はい!」

 るなが笑う。

「夏の私は、もっと元気いっぱいだった気がします」

「確かに」

「ひどい!」

「褒めてるんだけど」

「本当ですか?」

「本当」

 二人で笑う。

 その笑い声に反応するように、コスモスが風に揺れた。

「こっちにも行ってみよう」

 先輩が歩き出す。

「はい!」

 るなも後を追う。

 細い道を二人で歩いていく。

 左右には、コスモス。

 少し離れた場所には、山々。

 空はどこまでも青い。

「……気持ちいい」

 るなが深呼吸する。

「風が涼しいですね」

「うん」

「朝はもっと涼しかったんですけど」

「でも今日は暑いね」

「ちょっと汗かいちゃいました」

「大丈夫?」

「大丈夫です!」

 るなは笑った。

「むしろ、これくらいの方がいいです」

「どうして?」

「だって――」

 るなは周りを見る。

「夏と秋の間みたいだから」

「なるほど」

「夏が完全に終わったわけじゃなくて、秋が少しずつ始まってる感じ」

「確かに」

 先輩も空を見る。

「季節の境目って、こういう感じなのかもね」

「はい」

 るなは頷いた。

 夏の思い出が消えるわけじゃない。

 その上に、新しい季節が重なっていく。

 それはまるで――。

 自分の恋心みたいだった。

「先輩」

「ん?」

「夏祭りの日のこと、覚えてます?」

「もちろん」

「花火……綺麗でしたよね」

「うん」

「私、あの日から……」

 るなは言葉を止めた。

「……?」

 先輩が振り返る。

「どうしたの?」

「……いえ」

 まだ言えない。

 好き。

 その言葉は、まだ胸の奥にしまっておきたかった。

 今はまだ。

 でも、少しだけなら――。

「私、あの日から花火を見ると、あの日のこと思い出すんです」

「そうなんだ」

「はい」

「僕も」

「……え?」

 るなが顔を上げる。

「僕も、夏祭りのこと思い出すよ」

「本当ですか?」

「うん」

「……なんか、嬉しい」

 るなは小さく笑った。

 先輩も笑う。

 二人の間に、穏やかな時間が流れた。

 少し歩くと、コスモスが特に密集している場所に出た。

「わぁ……!」

 るなの声が弾む。

「ここ、すごい!」

 まるでピンク色の絨毯。

 風が吹くと、花々が一斉に揺れる。

 太陽の光を受けて、花びらがキラキラと輝いていた。

「これ……」

 るなが目を細める。

「イルミネーションみたい」

「イルミネーション?」

「はい」

 るなは花畑を見渡す。

「一個一個の花が、小さなライトみたい」

「確かに」

「ピンクの光がいっぱい」

 るなの顔が、コスモスの色に染まる。

「……秋色のイルミネーション」

「いいね、それ」

「ですよね!」

 るなは嬉しそうに笑った。

「夏は花火がイルミネーションみたいだったけど――」

 コスモス畑を見渡す。

「秋は、コスモスがイルミネーションみたい」

「じゃあ、季節ごとにイルミネーションがあるんだね」

「そうかもしれません」

 るなは少し考えてから言った。

「春は桜」

「夏は花火」

「秋はコスモス」

「冬は……」

 先輩が考える。

「冬は?」

「雪とか?」

「雪のイルミネーション……」

「綺麗そう」

「うん」

 るなは笑った。

「全部、一緒に見られたらいいですね」

「……そうだね」

 先輩の返事に、るなの胸がまた小さく鳴った。

「お腹空いてない?」

 突然、先輩が言った。

「……!」

 るなの表情が変わる。

「空いてます!」

「やっぱり」

「朝から楽しみにしてたので!」

「コスモスより?」

「それは……」

 るなが悩む。

「……同じくらい?」

「本当?」

「本当です!」

「じゃあ、何か食べようか」

「はい!」

 るなの足取りが急に軽くなる。

「何食べます?」

「まだ決めてないけど」

「この辺に何かあるかな?」

「調べてみよう」

「秋いちごとか……」

「まだ言ってる」

「だって!」

 るなが頬を膨らませる。

「秋のコスモスを見に来たんだから、秋いちごもセットでいいじゃないですか!」

「そんなセットあるの?」

「私の中ではあります!」

「なるほど」

 二人は笑いながら歩いていく。

 コスモス畑を抜ける道。

 その先には、小さなカフェが見えていた。

「……あ!」

 るなの目が輝く。

「先輩!」

「何?」

「見てください!」

 店先の看板。

 そこには――。

「季節限定・いちごスイーツ」

 の文字。

「……」

 先輩がるなを見る。

「……入る?」

「入ります!」

 即答だった。

「ですよね」

「だって季節限定ですよ!?」

「はいはい」

「秋のコスモスと秋いちご!」

 るなは満面の笑顔。

「最高です!」

 先輩も笑う。

「じゃあ行こうか」

「はい!」

 二人は並んでカフェへ向かった。

 そのとき――。

 るながふと振り返る。

 コスモス畑。

 青い空。

 柔らかな秋風。

 そして、隣を歩く先輩。

 今日という一日を、るなはきっと忘れない。

 夏祭りの日とは違う。

 花火のような激しい胸の高鳴りではない。

 もっと穏やかで。

 もっと温かくて。

 そして――。

 もっと長く続いてほしいと思える時間。

「……先輩」

「ん?」

「今日は誘ってくれて、ありがとうございました」

「こちらこそ」

「すごく楽しいです」

「まだ始まったばかりだけどね」

「……はい」

 るなは笑った。

 コスモスの花びらが、風に揺れる。

 その向こうには、秋の青空。

 そして二人の足元には、長く伸びた影。

 夏から秋へ。

 季節が変わるように。

 るなの恋も、少しずつ変わっていく。

 まだ言葉にはできない。

 まだ名前をつけることも怖い。

 それでも――。

 今日という一日は、確かに二人の新しい思い出になった。

 コスモスの約束。

 それは、夏祭りの夜に始まった恋が、初めて秋の光の中で結ばれた、小さな約束だった。

 そしてるなはまだ知らない。

 この日の「一緒に見たコスモス」が――。

 この先の二人にとって、忘れられない花になることを。



 コスモス畑を抜けた先に、小さなカフェがあった。

 木造の可愛らしい建物。

 入口には秋らしいリースが飾られていて、その横には小さな黒板が置かれている。

 そこには――。

「Autumn Strawberry Fair」

 と書かれていた。

「……」

 るなが立ち止まる。

「……先輩」

「うん」

「ここです」

「何が?」

「秋いちごです」

「……見れば分かるよ」

「ですよね!」

 るなの顔が一気に明るくなる。

「すごい……!」

「そんなに好きなんだね」

「好きです!」

 即答。

「いちごは一年中好きですけど、秋に食べるいちごって、なんだか特別じゃないですか?」

「そうなの?」

「はい!」

 るなは店先のメニューを覗き込む。

「いちごタルト……」

「うん」

「いちごパフェ……」

「うん」

「いちごミルク……」

「全部いちごだね」

「あと……」

 るなの目がさらに輝く。

「いちごのパンケーキ!」

「……」

「先輩?」

「何でもいいよ」

「本当ですか!?」

「うん」

「じゃあ……」

 るなが真剣にメニューを見比べる。

「……迷います」

「そこは迷うんだ」

「全部食べたいです」

「それはさすがに無理じゃない?」

「……ですよね」

 るなが少し残念そうな顔をする。

「じゃあ、パフェにします」

「いいね」

「でも……」

「まだ何かある?」

「いちごミルクも……」

「頼めば?」

「……!」

 るなの顔がぱっと明るくなる。

「いいんですか?」

「もちろん」

「やった!」

 その喜びように、先輩も思わず笑った。

「るなって、分かりやすいね」

「え?」

「嬉しいとき、すぐ顔に出る」

「……そうですか?」

「うん」

 るなは頬を押さえた。

「恥ずかしい……」

「でも、いいと思うよ」

「……え?」

「楽しそうだから」

「……」

 るなは何も言えなくなった。

 胸の奥が、また温かくなる。

「……ありがとうございます」

 小さな声でそう答えた。

 店内に入る。

 木のテーブル。

 暖かな照明。

 窓の外には、さっきまで歩いていたコスモス畑が見える。

「ここ、素敵ですね」

「うん」

「窓からコスモスが見える」

「本当だ」

 二人は窓際の席に座った。

 注文を済ませると、るなは窓の外を眺めた。

 風に揺れるコスモス。

 その奥に広がる山々。

 さっきまで歩いていた道。

「……夢みたい」

「今日、何回目?」

「え?」

「“夢みたい”って」

「……何回言いました?」

「二回くらい」

「そんなに?」

「うん」

 るなは笑った。

「だって……」

「うん?」

「ずっと楽しみにしてたから」

「コスモス?」

「……はい」

 少し間を置いて。

「……先輩と来ること」

 そう言った。

 先輩が少し驚いたようにるなを見る。

 るな自身も、自分がそんなことを口にしたことに驚いた。

「……」

「……」

 二人の間に、少しだけ沈黙が生まれる。

 るなの心臓が速くなる。

「……あの」

「うん」

「変な意味じゃなくて……」

「分かってるよ」

 先輩が優しく笑った。

「僕も楽しみにしてたから」

「……本当ですか?」

「本当」

「……」

 るなは俯いた。

 嬉しくて。

 顔を上げられない。

「……よかった」

 小さく呟く。

「お待たせしました」

 店員が料理を運んできた。

「わぁ……!」

 るなの声が弾む。

 テーブルの上に置かれたのは――。

 真っ赤ないちごがたっぷり乗ったパフェ。

 そして、淡いピンク色のいちごミルク。

「かわいい……!」

「すごいね」

「食べていいですか?」

「もちろん」

「いただきます!」

 るなはスプーンを手に取った。

 一口。

「……!」

 目を閉じる。

「どう?」

「……幸せです」

「そんなに?」

「はい」

 るなが笑う。

「先輩も食べます?」

「いいの?」

「もちろんです」

 るながスプーンを差し出す。

「はい」

「……え?」

「どうしました?」

「いや……」

 先輩が少し困ったように笑う。

「それ、食べさせる感じ?」

「……!」

 るなの顔が一気に赤くなる。

「ち、違います!」

「違う?」

「普通に……!」

「普通に?」

「……一緒に食べようと思っただけです!」

「そっか」

「……もう」

 るなは恥ずかしそうにスプーンを引っ込める。

「自分で食べます……」

「じゃあ、僕も自分で食べるよ」

「はい……」

 二人で笑った。

 でも、るなの頬の赤みはしばらく消えなかった。

 しばらくして。

「……おいしい」

 先輩がパフェを食べながら言った。

「ですよね!」

「秋いちご、いいね」

「でしょう?」

「るなが好きなのも分かる」

「……!」

 るなは嬉しそうに頷く。

「先輩にも分かってもらえて嬉しいです」

「そんなに?」

「はい」

「じゃあ、また食べに来ようか」

「……え?」

 るなの手が止まった。

「また……?」

「うん」

「……秋いちご?」

「そう」

「……一緒に?」

「うん」

「……!」

 るなは俯いた。

 胸がいっぱいになる。

「……はい」

 小さな声だった。

 でも、その声には隠しきれない嬉しさが滲んでいた。

 カフェを出る頃には、太陽が少し傾いていた。

 午後の光が、コスモス畑を横から照らしている。

 花びらの一枚一枚が、金色に輝いて見えた。

「……綺麗」

 るなが呟く。

「夕方になると、また違って見えるね」

「はい」

 昼間はピンク色だったコスモスが、夕陽を受けてオレンジ色を帯びている。

 その光景を見ていると――。

 るなは、ふと夏祭りの夜を思い出した。

 あのときは、夜空に花火が咲いていた。

 今日は、地上いっぱいにコスモスが咲いている。

 どちらも、光に包まれている。

「……先輩」

「ん?」

「夏の花火と、今日のコスモス」

「うん」

「どっちが好きですか?」

 先輩は少し考えた。

「難しい質問だね」

「どっち?」

「……今日かな」

「……!」

 るなの目が丸くなる。

「どうして?」

「今日はゆっくり見られたから」

「……あ」

「花火は綺麗だけど、一瞬だから」

「……そうですね」

「コスモスは、ずっと見ていられる」

 先輩が花畑を見る。

「こういう時間も、いいなって思う」

「……私も」

 るなは微笑んだ。

「私も、今日の方が好きかもしれません」

「そう?」

「はい」

 少し考えてから続ける。

「夏祭りの日は……ドキドキしすぎて、何が起きたのか分からないくらいだったから」

「確かに、すごかったね」

「でも今日は……」

 るなはコスモスを見る。

「ゆっくり、幸せです」

「……うん」

 二人は再びコスモス畑の中を歩いた。

 夕方の風が吹く。

 コスモスが左右に揺れる。

 その向こうに、二人の影が長く伸びていた。

「るな」

「はい?」

「今日は来てくれてありがとう」

「……こちらこそ」

「誘ってよかった」

「私も……」

 るなは少しだけ先輩の方を見る。

「来られてよかったです」

 そして、心の中でそっと続ける。

 ――もっと一緒にいたかった。

 ――もっと話したかった。

 ――また会いたい。

 けれど、それを言葉にはしなかった。

 今は、この気持ちを急いで形にしなくてもいい。

 夏祭りの夜に生まれた恋心は、今も消えていない。

 むしろ、あの日より少しだけ深くなっている。

 そして今日。

 コスモスの花の中で、その気持ちは静かに根を張った。

 帰り道。

 駅へ向かう途中で、るながふと空を見上げた。

「先輩」

「ん?」

「今日の空……」

「綺麗だね」

「はい」

 夕焼けのオレンジ。

 淡い紫。

 そして、少しずつ夜へ変わっていく青。

 その空の下で、街の灯りが一つずつ点き始めていた。

 るなは思う。

 夏には花火が夜空を彩った。

 秋にはコスモスが大地を彩る。

 そして夕暮れの街には、小さな灯りがともる。

 季節が変わっても、光はなくならない。

 ただ、その色を変えていく。

「……秋って、いいですね」

「うん」

「私、好きになりそうです」

「コスモスが?」

「……それもあります」

「それも?」

 るなが少しだけ笑う。

「秘密です」

「そっか」

 先輩も笑った。

 二人はそのまま駅へ向かって歩いていった。

 夕焼けの中。

 長く伸びた二つの影が、しばらく並んでいた。

 その日の夜。

 家に帰ったるなは、スマートフォンに残された写真を見返していた。

 コスモス畑。

 いちごパフェ。

 夕焼け。

 そして――。

 先輩が撮ってくれた、自分の写真。

「……ふふっ」

 思わず笑みがこぼれる。

「今日、楽しかったな……」

 写真を一枚ずつ眺める。

 最後に、コスモス畑の写真を開いた。

 風に揺れるピンク色の花。

 まるで小さな光が、無数に灯っているようだった。

「秋色の……イルミネーション」

 るなが小さく呟く。

 そして、画面を見つめながら――。

「……また、一緒に行けたらいいな」

 そう願った。

 まだ「好き」とは言えない。

 でも。

 「また会いたい」は、もう隠せなくなっていた。

 その夜、るなの胸の中には、ひとつの新しい思い出が残った。

 夏祭りの花火。

 夕焼け色の帰り道。

 そして――。

 コスモスの約束。

 季節が変わっても、二人の間に生まれた小さな光は、消えずに灯り続けていた。

 それはまだ、恋という名前を大きく掲げるには少し早い。

 けれど確かに――。

 秋色に染まった、二人だけのイルミネーションだった。



第4節「秋色のイルミネーション」

 コスモス畑へ行った日から、数週間が過ぎた。

 朝の空気は、あの日よりずっと冷たくなっていた。

 制服の上に薄手のカーディガンを羽織る人も増えた。

 校庭の木々も、少しずつ色を変え始めている。

「もうすっかり秋だね」

 ひかりが窓の外を見ながら言った。

「うん」

 るなも頷く。

「コスモスも、そろそろ終わりかな」

「そうだね」

 るなは窓の外を眺めた。

 夏の名残を感じさせる強い日差しは、もうない。

 空は高く。

 風は涼しく。

 季節は確実に進んでいた。

「……早いなぁ」

「何が?」

「秋になるの」

「まだ秋になったばかりじゃない?」

「そうなんだけど……」

 るなは小さく笑った。

「夏祭りが、ずっと前のことみたい」

「でも、まだ数か月しか経ってないよ」

「そうなんだよね」

 るなは机の上に頬杖をつく。

「なのに、いろんなことがあった気がする」

「花火とか?」

「うん」

「コスモスとか?」

「うん」

「秋いちごとか?」

「……それも!」

 るなが笑う。

「それ、かなり大事です」

「やっぱり」

 二人で笑った。

 放課後。

 るなは昇降口で靴を履き替えていた。

「るな」

「ん?」

「今日は一人?」

 ひかりが尋ねる。

「うん。今日は一人だよ」

「そっか」

「どうしたの?」

「いや、最近るな、放課後になると嬉しそうだから」

「え?」

「何かあるのかなって」

「……!」

 るなが固まる。

「な、何もないよ!」

「本当に?」

「本当!」

「ふーん」

 ひかりがニヤッと笑う。

「じゃあ、またね」

「……もう!」

 ひかりが去っていく。

 るなは頬を膨らませながら、その背中を見送った。

「……そんなに分かりやすいのかな」

 自分では普通にしているつもりだった。

 でも最近、放課後になると少しだけ期待してしまう。

 もしかしたら。

 駅までの道で会えるかもしれない。

 もしかしたら。

 また一緒に帰れるかもしれない。

 そんな小さな期待。

 けれど――。

 今日は会わなかった。

「……そっか」

 少しだけ残念。

 でも、仕方がない。

 るなは一人で駅へ向かって歩き始めた。

 夕方の街は、少しずつ冬に近づいているような色をしていた。

 街路樹の葉が、風に揺れる。

 一枚。

 また一枚。

 黄色く染まった葉が落ちていく。

「……秋だなぁ」

 るなが空を見上げる。

 そのときだった。

「るな?」

「……え?」

 振り返る。

「……先輩!」

 桐生先輩が立っていた。

「やっぱり、るなだった」

「どうしてここに?」

「今日は用事があって、この近くに来てたんだ」

「そうなんですね」

「るなは?」

「学校帰りです」

「そっか」

 二人の間に、自然な笑顔が生まれる。

「……久しぶりですね」

「そうだね」

 コスモス畑の日以来だった。

 ほんの数週間。

 なのに、るなには長く感じられた。

「元気だった?」

「元気です!」

「よかった」

「先輩は?」

「元気だよ」

「……なら、よかった」

 それだけの会話なのに。

 るなの胸は、また少しだけ温かくなった。

「そういえば」

 先輩が言った。

「この前の写真、見た?」

「はい!」

「コスモスの?」

「もちろんです」

 るなの顔が明るくなる。

「すごく綺麗でした」

「よかった」

「何回も見ました」

「何回も?」

「……はい」

「そんなに?」

「だって……」

 るなは少し照れながら言った。

「楽しかった日の写真だから」

「そっか」

 先輩が笑う。

「僕もたまに見てるよ」

「……!」

「コスモス、綺麗だったから」

「……そうですよね」

 るなは胸の鼓動を隠すように、前を向いた。

 でも。

 その口元は自然に笑っていた。

 二人はいつもの道を歩いていく。

 すると、少し先に商店街の入口が見えてきた。

「あれ?」

 るなが立ち止まる。

「何?」

「前はあんなのなかったですよね?」

 商店街の街灯に、小さな飾りが取り付けられている。

 黄色。

 オレンジ。

 赤。

 葉っぱの形をした装飾。

 そして、その奥には小さな光の飾りが並んでいた。

「秋のイベントかな?」

 先輩が近づいて確認する。

 そこには小さな看板があった。

『Autumn Light Street』

「秋のイルミネーション……?」

 るなが目を輝かせる。

「そうみたい」

「見てみたい!」

「行ってみる?」

「いいんですか?」

「うん」

「行きます!」

 即答だった。

 二人は商店街の中へ入っていった。

 夕暮れが深くなるにつれて、街の光が一つずつ灯っていく。

 最初は、ただの小さな電球だった。

 けれど。

 暗くなるにつれて、その数が増えていく。

 木々の枝に沿って灯る光。

 葉っぱを模した飾り。

 小さな星のようなライト。

 オレンジ色の光。

 黄色い光。

 少し赤みを帯びた光。

 まるで――。

 秋の景色そのものが光になったようだった。

「……わぁ」

 るなの足が止まる。

「綺麗……」

「秋のイルミネーションって、こんな感じなんだね」

「夏とは全然違いますね」

「うん」

「夏はもっと明るくて、元気な感じ」

「花火もあったしね」

「はい」

 るなは笑った。

「秋は……」

 周囲を見渡す。

「やさしい感じがします」

「やさしい?」

「はい」

 るなは少し考えた。

「夏の光は、ぱっと咲く感じなんです」

「花火みたいに?」

「そうです」

「秋の光は?」

「……ずっと、そばにいる感じ」

 先輩がるなを見る。

「ずっと?」

「はい」

 るなは小さく頷いた。

「派手じゃないけど、消えない」

「……なるほど」

「だから、なんか好きです」

 先輩が微笑む。

「るならしいね」

「え?」

「こういう光、好きそう」

「……分かります?」

「少しずつ分かってきたかも」

 その言葉に、るなの胸が跳ねた。

「……私のこと?」

「うん」

「どんなところが?」

「食べることが好き」

「それは……」

「いちごが好き」

「はい」

「楽しいとすぐ顔に出る」

「……」

「嬉しいと、もっと分かりやすい」

「もう……」

 るなは恥ずかしそうに笑う。

「先輩、私のことよく見てますね」

「そうかな」

「そうですよ」

「じゃあ、もっと覚えていこうかな」

「……!」

 るなは言葉を失った。

 もっと。

 その一言が、胸の中に残る。

 二人はゆっくり歩いた。

 光の下を。

 落ち葉の上を。

 秋の風を感じながら。

「先輩」

「うん?」

「夏祭りの日に……」

「うん」

「花火を見て、私、思ったんです」

「何を?」

「来年も、また一緒に見られたらいいなって」

「……」

「でも」

 るなはイルミネーションを見る。

「今は……」

「今は?」

「来年じゃなくて」

 るなは少しだけ笑った。

「来月も、その次も……一緒にいられたらいいなって思います」

 先輩が静かにるなを見る。

「……そっか」

「はい」

「僕もそう思うよ」

「……本当ですか?」

「うん」

 るなは俯いた。

 嬉しすぎて、顔を見られない。

 胸の奥で、何かが静かにほどけていく。

 夏祭りの日のような激しい鼓動ではない。

 もっと穏やか。

 もっと深い。

 そして――。

 もっと確かなもの。

 商店街の一番奥。

 一際大きな木があった。

 その枝いっぱいに、黄色とオレンジの小さなライトが飾られている。

「……秋色のイルミネーション」

 るなが呟いた。

「うん」

「なんか……」

 るなはその光を見上げる。

「今日までのこと、全部思い出します」

「夏祭り?」

「はい」

「花火?」

「はい」

「コスモス?」

「はい」

「秋いちご?」

「……それも!」

 二人で笑う。

 でも、るなはその笑いの中で、ひとつのことに気づいていた。

 夏祭り。

 花火。

 コスモス。

 夕焼け。

 秋いちご。

 どの思い出にも――。

 先輩がいる。

「……先輩」

「ん?」

「私……」

 るなは言葉を探した。

「今年、すごく楽しいです」

「うん」

「季節が変わるのが、前より楽しみになりました」

「どうして?」

「……」

 るなはイルミネーションを見る。

「次の季節にも、何かあるかもしれないって思えるから」

「……そうだね」

「だから……」

 るなは小さく笑った。

「冬も楽しみです」

「冬?」

「はい」

「何か楽しみなことある?」

「まだ分かりません」

「まだ?」

「でも……」

 るなは先輩を見る。

「きっと、何かありますよね」

 先輩が笑った。

「あるかもしれないね」

 その瞬間。

 風が吹いた。

 木の葉が一枚、二枚と舞い落ちる。

 イルミネーションの光が葉っぱに反射して、まるで小さな光の粒が空から降ってきたように見えた。

「……綺麗」

 るなが呟く。

「うん」

「先輩」

「何?」

「この景色……覚えておきたいです」

「じゃあ、写真撮る?」

「……はい!」

 二人は並んで立った。

 イルミネーションを背景に。

 秋の夜。

 そして、二人の笑顔。

 カシャッ。

 シャッターの音が響く。

「見せてください!」

「はい」

「……わぁ」

 写真の中には、秋色の光に包まれた二人がいた。

 夏の花火の写真とは違う。

 コスモスの写真とも違う。

 でも――。

 るなは思った。

 これもきっと、大切な一枚になる。

「……先輩」

「うん?」

「来年も……」

 そこまで言って、るなは少し考えた。

 そして、言葉を変えた。

「……来年も、その次も」

「うん」

「こういう景色、一緒に見られたらいいですね」

 先輩は少し驚いたような顔をしたあと、優しく笑った。

「うん」

「約束です」

「約束」

 二人の声が重なった。

 秋色のイルミネーションが、二人の頭上で静かに輝いている。

 夏の花火のように、大きな音はしない。

 派手な光もない。

 ただ、そこにずっと灯っている。

 るなはその光を見ながら思った。

 ――恋って、こういうものなのかもしれない。

 最初は花火みたいに、胸の中で大きく弾ける。

 でも。

 時間が経つほど、少しずつ形が変わっていく。

 強い光から、やさしい光へ。

 一瞬の輝きから、ずっと灯り続ける光へ。

 そして今。

 るなの恋は――。

 秋色のイルミネーションになっていた。

 帰り道。

 二人は駅へ向かって歩いた。

 もう、会話は少なかった。

 でも。

 その沈黙は、以前のように気まずいものではなかった。

 隣にいる。

 それだけで、安心できる。

 そんな時間になっていた。

 駅が近づく。

 いつものように、ここで別れる。

「今日はありがとう」

「こちらこそ」

「楽しかったです」

「僕も」

「……また」

 るなが小さく言う。

「また?」

「……会えますよね?」

 先輩は笑った。

「もちろん」

「……よかった」

 るなも笑う。

「じゃあ、また」

「うん。またね」

 二人は別れた。

 るなは少し歩いてから、振り返った。

 先輩もこちらを見ていた。

 目が合う。

 二人とも笑った。

 そして、それぞれの帰り道へ。

 その夜。

 るなのスマートフォンには、今日撮った一枚の写真が残っていた。

 秋色の光。

 少し色づいた木々。

 そして、隣にいる先輩。

 るなは写真を見つめながら、そっと呟く。

「……来年も、その次も」

 そして――。

「一緒に見られますように」

 それは、まだ告白ではない。

 約束でもない。

 ただの願い。

 けれど。

 その願いこそが、るなの恋を次の季節へ運んでいく。

 夏から秋へ。

 そして――。

 秋から、次の季節へ。



 あの夜から、数日が過ぎた。

 朝の空気は、さらに冷たくなっていた。

 学校へ向かう道の街路樹は、いつの間にか赤や黄色に染まり、風が吹くたびに葉が舞い落ちている。

「……寒っ」

 るなは両手をこすり合わせた。

 少し前までは、朝の冷たい空気も「気持ちいい」と思えた。

 でも、今は違う。

 吐く息がほんの少し白くなってきた。

「もう冬が近いのかな……」

 そう呟いた瞬間。

 スマートフォンが震えた。

「ん?」

 画面を見る。

 一件のメッセージ。

 送ってきたのは――。

「……先輩」

 思わず声が漏れた。

『おはよう。今日、寒いね』

「……ふふっ」

 それだけの短いメッセージ。

 なのに。

 るなの顔には自然と笑顔が浮かんだ。

『おはようございます!
 本当に寒いです。もう冬みたいですね』

 送信。

 すぐに既読がつく。

『まだ秋だよ』

「……!」

 るなが笑う。

「そういうところ……」

 少しだけ意地悪。

 でも、優しい。

 そんな先輩らしさが、なんだか嬉しかった。

『じゃあ、秋をもう少し楽しみましょう!』

 送信すると、少しして返事が来た。

『そうだね』

 たった四文字。

 でも。

 るなには、それだけで十分だった。

 昼休み。

 ひかりがるなの机にやってきた。

「るな」

「なに?」

「最近、機嫌いいね」

「そう?」

「うん」

「普通だよ」

「普通の人は、スマホ見ながらそんな顔しないと思うけど」

「えっ?」

 るなが慌ててスマートフォンを伏せる。

「どんな顔?」

「にやにや」

「してない!」

「してる」

「してないってば!」

 ひかりが笑う。

「まあ、いいけど」

「……もう」

「そういえば、秋のイルミネーション見た?」

「うん」

「どうだった?」

「綺麗だったよ」

「誰と?」

「……」

 るなは沈黙した。

「……るな?」

「……先輩と」

「やっぱり!」

「声大きい!」

 慌てて周囲を見る。

「ご、ごめん」

 ひかりは声を落とした。

「でも……」

「うん?」

「なんか、よかったね」

「え?」

「るながそんな顔してるの」

「……そんな顔?」

「うん」

 ひかりは優しく笑った。

「夏祭りの頃より、ずっと穏やかな顔」

 るなは黙った。

 言われてみれば、そうかもしれない。

 夏祭りの頃は、先輩を見るだけで胸が苦しくなるほどだった。

 花火の音に負けないくらい、心臓が鳴っていた。

 何を話していいか分からなくて。

 何を言えばいいのか分からなくて。

 ただ、隣にいるだけで精いっぱいだった。

 でも今は違う。

 話せる。

 笑える。

 何気ないメッセージだって嬉しい。

 そして――。

 何より。

 「また会える」と思えることが嬉しい。

「……うん」

 るなが小さく笑った。

「私も、そう思う」

 放課後。

 るなは校門を出た。

 空を見上げる。

 夕暮れの色が、夏とは違っている。

 オレンジ。

 淡い赤。

 少しだけ紫。

 空の端から夜が静かに広がっていく。

「秋の空って……綺麗だな」

 歩きながら呟く。

 そのときだった。

「るな」

「……え?」

 聞き覚えのある声。

 振り返る。

「先輩!」

「今帰り?」

「はい!」

「じゃあ、一緒に帰ろうか」

「……はい!」

 るなの声が一段明るくなる。

 二人は並んで歩き始めた。

「そういえば」

 先輩が言った。

「この前の写真、どうした?」

「大切に保存してます」

「そんなに?」

「もちろんです」

「じゃあ、今度また撮ろうか」

「え?」

「秋が終わる前に」

「……!」

 るなの目が輝く。

「撮りたいです!」

「じゃあ、どこがいい?」

「えっと……」

 るなは考える。

「紅葉!」

「いいね」

「真っ赤な紅葉のところ!」

「探してみようか」

「はい!」

 るなは嬉しそうに頷いた。

「……あ」

「どうした?」

「でも……」

「うん?」

「秋が終わっちゃうの、ちょっと寂しいですね」

 先輩が空を見る。

「そうだね」

「夏も終わっちゃったし」

「うん」

「秋も終わる」

「うん」

「季節って……早いですね」

「本当にね」

 二人はしばらく黙って歩いた。

 風が吹く。

 落ち葉が二人の足元を転がっていく。

「でも」

 先輩が突然言った。

「次の季節が来るから、楽しみなんじゃない?」

「……次の季節?」

「うん」

「冬?」

「そう」

「冬かぁ……」

 るなが考える。

 冬。

 冷たい空気。

 白い息。

 クリスマス。

 イルミネーション。

 そして――。

「……イルミネーション」

 るなが呟いた。

「どうしたの?」

「冬のイルミネーションも、きっと綺麗ですよね」

「秋とは全然違うだろうね」

「見てみたいです」

「じゃあ……」

 先輩が少し考える。

「冬になったら、見に行こうか」

「……!」

 るなの足が止まった。

「……本当ですか?」

「うん」

「一緒に?」

「一緒に」

「……約束です」

「約束」

 るなは笑った。

「楽しみ……」

 その言葉は、思わず口からこぼれた。

「まだ冬じゃないのに?」

「だって……」

 るなは恥ずかしそうに笑う。

「次の季節にも、先輩と会えるって思えるから」

 先輩が少しだけ驚いた顔をした。

 そして。

「僕も楽しみだよ」

 そう言った。

 駅に着いた。

 いつもの別れ道。

「じゃあ、また明日」

「はい。また明日」

「風邪ひかないようにね」

「先輩もですよ」

「うん」

 二人は手を振る。

 るなは数歩歩いてから振り返った。

 先輩もまだそこにいた。

 また目が合う。

 そして笑う。

 それだけだった。

 でも。

 それだけで幸せだった。

 その夜。

 るなは自分の部屋の窓を少し開けた。

 冷たい風が入ってくる。

「寒い……」

 慌てて窓を閉める。

 机の上には、コスモス畑で撮った写真。

 そして。

 秋のイルミネーションで撮った写真。

 るなはスマートフォンの画面に映る写真を一枚ずつ眺めた。

「……夏」

 花火。

「……秋」

 コスモス。

「……秋の終わり」

 イルミネーション。

 季節が変わるたびに、思い出が増えていく。

 そして、そのどの写真にも――。

 先輩がいる。

「……不思議」

 るなは小さく笑った。

 昔は、季節が変わることなんて、そんなに気にしていなかった。

 夏が終われば秋。

 秋が終われば冬。

 ただ、それだけ。

 でも今は違う。

 次の季節が待ち遠しい。

 なぜなら――。

 その季節にも、先輩との思い出が増えるかもしれないから。

「……冬、か」

 るなは窓の外を見た。

 まだ雪の気配はない。

 街の木々には、最後の葉が残っている。

 遠くの建物の明かりが、夜の街を照らしていた。

 るなは胸元に手を当てる。

 ドキドキしている。

 でも。

 夏の頃とは違う。

 あの頃は、好きという気持ちが大きすぎて、自分でも持て余していた。

 今は――。

 その気持ちを、大切にしたいと思う。

「好き……」

 小さな声で呟く。

 誰にも聞こえない。

 自分だけが知っている言葉。

「……やっぱり、好き」

 頬が少し熱くなる。

 でも、今度は笑っていた。

 翌朝。

 学校へ向かう道。

 昨日より少しだけ冷たい風が吹いていた。

 街路樹の葉が舞い落ちる。

 るなは一枚の葉を見つめた。

「……秋も、もうすぐ終わりだね」

 その葉が足元に落ちる。

 るなはそれを拾わなかった。

 ただ、静かに見送った。

 終わる季節は、寂しい。

 でも。

 終わりは、次の季節の始まりでもある。

 スマートフォンを見る。

 新しいメッセージが届いていた。

『おはよう。今日も寒いね』

 るなは笑った。

『おはようございます。
 冬が近づいてきましたね』

 少し考えてから、もう一行付け足す。

『冬のイルミネーション、楽しみにしています』

 送信。

 すぐに既読がついた。

『僕も』

「……ふふっ」

 るなはスマートフォンを胸元に抱えた。

 そして、歩き出す。

 秋の最後の光が、街の向こうへ沈んでいく。

 夏の花火のような、眩しい光ではない。

 秋の夕焼けのような、あたたかな光。

 そして夜になると。

 街にはまた、小さなイルミネーションが灯る。

 ひとつ。

 またひとつ。

 まるで、次の季節への道を照らすように。

 るなは、その光を見ながら思った。

 ――夏の私は、花火のような恋をしていた。

 ――秋の私は、イルミネーションのような恋を知った。

 そして。

 ――冬の私は、どんな恋をするんだろう。

 答えはまだ分からない。

 でも。

 ひとつだけ分かっていることがある。

 次の季節も。

 その次の季節も。

 大切な人と一緒に見たい。

 そんな願いが、るなの胸の中に灯っている。

 小さく。

 優しく。

 消えない光として。

――秋色のイルミネーション。

その光は、次の季節へ続いていく。



秋色のイルミネーション歌詞紹介

『歌詞』
[Intro]
秋風が
そっと頬をなでる

いつの間にか
空が高くなってた

夏の花火が
遠い思い出になって

今日もまた
季節が歩き出す

[Verse 1]
黄色い葉っぱが
ひらり舞い落ちる

夕焼け色の
帰り道

少し冷たい
風の向こう

君の声が
聞こえてくる

「寒くなったね」
そんな一言

それだけなのに
嬉しくて

並んで歩く
いつもの道が

今日は少し
特別になる

[Pre-Chorus]
コスモス揺れる
あの日の約束

笑い声まで
覚えてる

夏の恋が
消えたんじゃなくて

静かな色に
変わっていく

[Chorus]
秋色のイルミネーション
きらり きらり
街を染めて

君と歩いた
この帰り道

忘れたくない
光になる

秋色のイルミネーション
そっと そっと
胸に灯る

夏の花火より
静かだけど

ずっと消えない
この想い

[Verse 2]
コスモス畑で
撮った写真

何度見ても
笑顔になる

秋いちごの
甘い香り

「また食べよう」
君が笑った

落ち葉を踏んで
歩くたび

季節のページ
めくるように

昨日より少し
近くなった

そんな気がして
嬉しくなる

[Pre-Chorus 2]
夕暮れ空に
伸びる二つの影

帰りたくない
なんて思う

でもね
さよならの向こう側

また会える明日が
待っている

[Chorus 2]
秋色のイルミネーション
きらり きらり
夜を照らす

君と笑った
その瞬間が

心の中で
輝いてる

秋色のイルミネーション
ゆらり ゆらり
風に揺れて

一瞬だけじゃない
この恋を

大切にして
歩いていく

[Bridge]
夏の日には
花火を見上げて

秋の日には
コスモスを見た

季節が変わるたび
増えていく

君と私の
小さな思い出

もしも来年も
その次も

同じ景色を
見られたら

言葉にしなくても
分かるかな

この気持ちが
恋だって

[Pre-Final]
秋が終わって
冬が来ても

この光は
消えないから

次の季節へ
手を伸ばそう

新しい景色を
探しに行こう

[Final Chorus]
秋色のイルミネーション
きらり きらり
夜空を越えて

君と歩いた
この道さえ

未来へ続く
光になる

秋色のイルミネーション
もっと もっと
輝いて

夏の花火から
受け取った

恋の続きを
抱きしめて

秋色のイルミネーション
ずっと ずっと
灯っていて

冬の街にも
また会える

次の季節も
君と――

[Outro]
秋風が
そっと通り過ぎる

コスモスの
花が揺れてる

さよならじゃない

またね――

次の光で
会おうね

きらり……

秋色のイルミネーション……


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