もっと連絡がほしい。
もっと会いたい。
もっと言葉で気持ちを伝えてほしい。
恋愛が苦しくなると、私たちはつい「愛が足りない」と考えてしまう。
でも、本当にそうなのかな。
少し不思議な話をすると、愛そのものは相手からもらっているわけではない。相手の言葉や行動をきっかけに、自分の中に愛があふれてくる。
だから恋愛の始まりは、相手がいるだけで幸せだったりする。
連絡が来るだけで嬉しい。
顔を見られるだけで満たされる。
相手は愛そのものではなく、自分の中にある愛を引き出してくれるきっかけだった。
でも関係が続いていくと、少しずつ変わってくる。
もっと連絡してほしい。
もっと会いたい。
もっと気持ちを見せてほしい。
そして、それが叶わないと「愛されていない」と感じてしまう。
もちろん、その気持ちは悪いことではない。
好きだからこそ求めてしまうし、大切な相手だから期待もしてしまう。
ただ、恋愛相談を受けていると感じることがある。
苦しさの原因は、本当に愛が足りないことなのだろうか。
もしかしたら、「相手に自分の望みを叶えてほしい」が大きくなりすぎていることもあるのかもしれない。
愛情表現が豊かな人もいる。
言葉が苦手な人もいる。
連絡は少ないけれど、会う時間を作る人もいる。
困った時に不器用にでも必ず駆けつけてくれる人もいる。
愛情表現は、人それぞれだ。
だから本当は、愛がないのではなく、ほしい形で届いていないだけってことも少なくない。
そしてもうひとつ。
そんな相手を好きになったのは、自分だということ。
「なんでこんな人を好きになったんだろう」ではなく、
「私はこういう人を好きになったんだな」と認めてみる。
諦めるという言葉を使うと、恋愛を手放すように聞こえるかもしれない。
でも、そうじゃない。諦めるのは愛の方じゃない。
「相手が私の望む通りに変わってくれるはず」という期待の方。
その期待を少し手放すと、心は意外なほど軽くなる。
してほしいことがあるなら伝えてみる。
全部を相手ひとりに求めるのではなく、自分で満たせる部分は満たしてみる。
友達との時間かもしれない。
趣味かもしれない。
好きなカフェでのんびりすることかもしれない。
相手にばかり向いていた視線を、少し自分にも向けてみる。
すると不思議なことに、今まで見えていなかったものが見えてくる。
相手は相手なりに愛情を向けていたこと。
自分が想像していた形とは違っただけで、その人らしい愛情表現があったこと。
恋愛は、相手を思い通りにすることではない。
相手を知り、自分を知り、その違いを認めていくことなのだと思う。
だから少しだけ力を抜いてみよう。
相手を認める。
自分を認める。
そして、自分にできることをやってみる。
愛が足りないんじゃない。
期待が苦しさを作っていることもある。
そう思えたとき、恋愛は今より少しだけ穏やかで、優しいものになっていくのかもね。