何をやっても三日坊主だった私が、「無駄に高いメタ認知」の正体を知ったら他人に優しくなれた話

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コラム
どうも、せいおです。
週の折り返し地点、水曜日の夜。皆さん、今週も本当にお疲れ様です。

ベッドの中でなんとなくスマホを眺めながら、「今週も予定していたことが半分もできなかったな」と、小さなため息をついている方もいるのではないでしょうか。

実は私も、昔から物事が本当に長続きしないタイプでした。
勉強、ゲーム、楽器、YouTube……。
「これ面白そう!」と思ったら、猛烈な勢いで飛びつく。なのに、いざ始めてみると全然うまくいかないし、結果も出ない。それどころか、その先にある果てしない道のりの長さや途方もない苦労がリアルに見えてしまって、「あ、これ形にするまでにどれだけ膨大なエネルギーが必要なんだ……」と、楽しいより先にストレスやプレッシャーを感じてしまうんです。
無意識のうちに「費用対効果」のようなものを計算してしまい、「なんか、思っていた楽しさと違うな」「今の自分じゃどうせこの辺が限界だろうな」と冷めて、すぐにやめてしまう。
周りの人たちが一つのことを何年もコツコツ続けている姿を見るたびに、「なんで自分はこんなに根性がないんだろう」と、本気で悩んでいた時期がありました。

なぜ、私たちは「三日坊主」を繰り返すのか?

でもある時、この物事が続かない本当の理由は、「根性がないから」ではないと気づきました。
原因は、「無駄にメタ認知が高すぎるせいで、始める前から勝手に自滅しているから」だったんです。
無意識に物事を一歩引いて冷めた目で見る癖がついていると、スタートした瞬間に「これを極めるためのリアルな難易度」や「理想の形にするまでの遠さ」を勝手に予測してしまいます。
ピュアに「楽しい!」と没頭できればいいのに、「これだけやっても結果が出ないなら、これ以上エネルギーを注ぐのは割に合わないな」と、脳が先回りしてブレーキをかけてしまう。
つまり、飽き性なのではなく、「自分の限界や先の苦労がシビアに見えすぎて、ストレスを感じる前に脳が強制終了をかけていただけ」というわけです。

「続かなかった過去」が、強力な優しさに変わる

物事が続かない特性は、完全にコンプレックスでした。
でも、この「始めては勝手に絶望してやめる」を繰り返してきた過去が、私の人間関係に思いがけない変化をもたらしてくれました。

世の中には、自分がやったこともないのに他人の成果にケチをつけたり、素直に人を褒められなかったりする人がいます。恥ずかしながら昔の私も、他人がスポットライトを浴びているのを見て、どこか心がモヤモヤすることがありました。

けれど、勉強も、ゲームも、楽器も、YouTubeも、一通り自分で手を出して「全然うまくいかなくて、その難しさに圧倒されてやめた経験」がある今の私は、誰かがそれらを継続して、素晴らしい形にしているのを見た時に、こう思えるようになったんです。

「これ、一見簡単そうに見えるけど、自分でやってみたら全然うまくいかなかったやつだ。あの途方もない苦労やプレッシャーを乗り越えて、最後まで走りきって形にするなんて、マジで凄いな」

いろいろ手を出して「思った通りにいかない現実」を肌で知っているからこそ、他人の努力や技術の凄さが、人よりも圧倒的に「高い解像度」で理解できる。
昔のモヤモヤは消え去り、相手の凄さを心からリスペクトし、その幸せや成功を素直に喜べるようになりました。メタ認知が高すぎて自滅していた過去が、実は「他人に優しくなれる最高のスパイス」に化けていたわけです。

自分のトリセツを知ると、生きるのが本当に楽になる

世間が言う「普通」や「継続の美徳」なんて、ただの平均値に過ぎません。
物事が続かないのは、あなたが劣っているからでも、意志が弱いからでもありません。ただ個々人の特性のせいで、始める前から勝手に限界や苦労が見えて、脳が疲れ果ててしまう、ただそれだけのことです。

やってみて「思ったのと違う」「費用対効果が合わない」と感じたら、すぐ次のステージに行けばいい。
そこで得た「うまくいかなかった経験」は、いつか誰かの凄さを心からリスペクトして、そっと寄り添うための強力な優しさに変わります。

だから、三日坊主の自分を責めるのは、もう終わりにしませんか?
今夜の任務は、今日まで生き延びた自分をたっぷり労わって、ただ布団にくるまることだけです。
残りの今週も、どうぞ自分の取扱説明書を小脇に抱えて、マイペースに、省エネで乗り切ってくださいね。

それでは、おやすみなさい。


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