目標を紙に書いても実現しないメカニズム(いくつかの重要な発見)

目標を紙に書いても実現しないメカニズム(いくつかの重要な発見)

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ぷれぜん仙人です、

今日はゴール設定に関するいくつかの気付きを思考ログとして残しておきたいと思います。

「ゴールが設定される」

というのは本当に強烈なもので、ゴールさえ設定されてしまえば、「何でも願いが叶う」と言っても過言ではないと思ってます。

問題は、「なかなかゴールが設定されない」のです。

目標を紙に書いても、ビジュアリゼーションやアファメーションをやっても、一向にゴールが達成されない、という人は世の中にたくさんいると思います。

それで、「こんなのやっても意味ない」と思っている方もいるかと思います。

でも、そういうゴールは往々にして「考えただけ」で「設定されていない」状態です。

その辺に関連する5つの投稿になります。

ゴールは能動的に設定できるものではない


今日突然、ゴール設定に関する、長年の疑問が氷解した。

「ゴールを設定しなさい」コーチングでは当たり前のように言われるけど、実はずっと違和感があった。

だって自分の人生を振り返ってみて、本当に人生を変えたゴールって、自分で「設定した」ものじゃなかったから。

ある日突然、雷に打たれたように腹の底から湧き上がる感覚。「絶対にやる」という感覚。そう決まった瞬間から、思考も感情も行動も勝手に変わり始める。だから、能動的な作業というより、自動発生に近い感覚だった。

そこが自分の中でうまく言語化できた。

人間にできるのはゴールを設定することではなく、ゴールが設定される条件、環境を整えることなのかもしれない。その中には、情報収集や行動、ビジュアリゼーションやアファメーション、日記をつける、目標を紙に書くとかも含まれる。

それら環境整備を行なって待っていると、ある日突然にゴールは「設定される」ものだと理解した。この気付きはすごい大きい。

考えているゴールと設定されたゴールの違い


ゴールが本気で設定されると、「勝手に達成されちゃう」感じ。そこに努力とか、頑張るとかいう感覚はない。逆に、頭で考えているゴールは全然達成されないし、そもそもエネルギーが湧いてこない。この違いは大きい。

例えば、自分の経験で言うとキャリスティニクスに出会ったのは2017年とかだった。昔、会社の同僚とやっていた読書会で、「今年中にワンアームプッシュアップができるようになりたい」と言っていたのを思い出す。

でも、その後何年も達成されなかった。キャリスティニクスはやっていた。でも、本気で取り組む感じではなく、気分でやっているみたいな感覚。

本当に変わったのはコロナ禍。ある日、YouTubeを見ていたら「俺、なんでこんな感じなんだろ?」「このままじゃ嫌だ」という感情が突然爆発し、ノートに決意を書いた。

今までテキトーにやっていたキャリスティニクスを全部ステップ1から丁寧にやり直し、毎回記録を取るようになった。月水金をトレーニングの日に固定し、よほどの風邪でもない限りサボらなくなった。

そこから6年。

今ではワンアームプッシュアップ、ワンレッグスクワット、ハンギングレッグレイズのマスターステップを達成した。ワンアームプルアップやブリッジも射程圏内。ハンドスタンドプッシュアップもハーフながらできるようになった。

今はマスターステップができるのがコンフォートゾーンなので、進捗があってもあまり嬉しくない。ゴールが設定されるってこんな感じ。

ゴールは"どこ"に存在するのか??


「ゴールがあって認識が生まれる」

よく言われる言葉だけど、長いこと意味が分からなかった。意味は理解できるけど腹落ちしてなかったという方が正確。

でも最近ようやくちゃんと言語化できるようになってきた。ゴールって、思考の抽象度にないんだよね。思考の抽象度にあるうちは設定されていない。設定されると、思考より高い抽象度にゴールがある。

(これが分かりやすい説明かどうかわからないけど)神秘学みたいな分類で言うと、メンタル体ではなく、コーザル体に存在するイメージ。

コーザル体→メンタル体→アストラル体→エーテル体→物理身体なので、当然最上位が書き変わると、その下の全てに影響が発生する。

だから、RASが変わり、見える景色が変わり、入ってくる情報が変わり、思考も感情も行動もすべてが影響を受ける。ゴールはコンフォートゾーンそのもの、というのはまさしくそう。ゴールがその人の全てを支配していると言っても過言ではない。

そして、ゴールは設定するものではなく、自動設定されるイメージ。人間にできることは、ゴールを設定する事ではなく、(仮の)ゴールを描き、臨場感を高め、情報収集し、行動し、いろんな思考や感情を想起させること。

要するに「ゴールが発生するための環境整備」ということが腹落ちした。人事を尽くして天命を待つ、というのがゴール設定の本質なんじゃないかと。

"心身不統一"とはどういう状態なのか?


中村天風さんの「心身統一」がずっと分からなかった。

だって、「脳と心」は一つの同じ存在の抽象度の違いなんだから、統一もくそももないじゃないかと。何を統一するんだ?という疑問。

でも最近ようやく腹落ちしたのが、要するに、高い抽象度から低い抽象度まですべて一期通貫で整っている状態、同じ方向を向いてる状態が心身統一なんだなと理解した。

ここがみんな「心身不統一」なんだよね。

例えば、
頭では成功したいと思っている。
感情は不安と恐怖だらけ。
表情や姿勢も自信がない。
行動は何も変わっていない。

みたいな感じ。

逆に思考・感情・身体・行動が同じ方向を向いた状態が心身統一。

「引き寄せの法則」で言われる思考と感情をポジティブな状態で一致させなさい、みたいな話も心身統一と言える。

だから、世間で言われる「行動しろ」という精神論が効かないのも無理はない。行動できる人って、すでに高い抽象度のゴールが設定されていて、その下の思考や感情すべてが統一されている状態だから行動できる。あるいは、無理やり行動したことでゴールが設定された、それによって統一が生まれたという因果もある。

でも、そこにはあまり再現性はなくて、できない人はより一層できなくなって自己嫌悪になって、というループが発生するんだよね。だから、私は無理に行動しなくて良いと思っています。行動よりも、よほど上位の階層にある思考や感情、そしてゴールの書き換えの方が重要。

そういう理解で天風理論を見直すと、また見え方がすごく変わってきた。精神論ではなく、高いレベルのゴールから身体的な部分までしっかり整合させるための技術、方法論の体系になっている。

ただし、それもしっかり腹落ちしてないと実践がおろそかになってしまう。だからやはり時間がかかるってことなんだと思う。

これからのAI時代に必要なもの


ここ数ヶ月、ずっと自分のこれからのビジョン、ミッションを考えている。
どんな機能が世の中から必要とされるのかな?という問い。

AIの進化を見ていると、「資料作成者」という価値は限りなくゼロに近づいていくだろうな、ということはよく分かった。

資料を作る。デザインする。文章を書く。

これはAIが全部やってくれる。じゃあそんな時代に自分自身の価値はどこに置くべきか。

最近思うのは、
「そもそも何を目指すのか」
「なぜそれをやりたいのか」
「その人の中にどんな物語が眠っているのか」

を発見し、言語化し、伝わるかたちにする事なんじゃないかと思ってる。

ゴールやミッションが見つかれば、人は勝手に動き始める。

でも、そのゴールが見つからないというのがこれからの時代に最重要の問題の一つになるんじゃないかと思ってる。そこを手伝う、サポートすることができたら価値あるよね、と考えてる。


ぷれぜん仙人


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