今回は、前回に続いて外伝的な考察です
格闘ゲーム界のレジェンドであるウメハラさんについて、四柱推命・中医学・命縁弁証学の視点から読んでいます。
前回は、MenaRD選手との対戦後に見えた「再点火」について書きました。
結果だけを見れば、ウメハラさんは敗れた。
しかし、その敗北によって終わるのではなく、むしろもう一度、競技者としての火が戻ったように見えた。
今回は、その前段階として、
では、なぜ近年のウメハラさんは停滞していたように見えたのか
を考えてみたいと思います。
もちろん、これは本人の内面や体調を断定するものではありません。
公開されている情報と、四柱推命・中医学的な見方をもとにした、一つの考察です。
ウメハラさんの停滞は、単なる衰えだったのか
ウメハラさんは、日本で最初にプロゲーマーとして道を切り開いた、格闘ゲーム界の象徴的な存在です。
若い頃から世界で活躍し、格闘ゲームを知らない人にも知られるほどの名場面を残し、日本に「プロゲーマー」という生き方を見える形で示した人でもあります。
ただ、近年のウメハラさんについては、格闘ゲームファンの中にも、どこか停滞感を感じていた人は多かったと思います。
昔ほど大会成績が目立たない。
勝てない時期が増えている。
競技者としての鋭さが、常に見えているわけではない。
見た目にも、以前より身体が重くなったように見える。
もちろん、簡単に「衰えた」とは言いたくありません。
ウメハラさんの価値は、大会成績だけで測れるものではありません。
配信、講演、イベント、後進への影響、格闘ゲーム界全体への貢献。
そうした面では、むしろ存在感は大きくなっていたとも言えます。
だからこそ、この停滞は単純な成績不振ではなく、もっと複雑なものだったように見えます。
私はこの停滞を、年齢だけでは説明しきれないものとして見ています。
2017年前後から見え始めた変化
調べてみるとウメハラさんの体型変化や成績の停滞は、2017年前後から、ファンの間でも意識され始めていたようです。
この時期、ウメハラさんは36歳前後です。
四柱推命で見ると、このあたりからウメハラさんは、36歳〜45歳の大運、己丑の流れに入っていくと読めます。
大運とは、10年単位で流れる人生の大きな季節のようなものです。
ただし、大運は、ある日を境に急に切り替わるスイッチではありません。
季節の移り変わりのように、少し前から気配が出始め、少しずつ現実に表れてくるものだと私は見ています。
だから、2017年前後から停滞の気配が見え始めたことは、四柱推命的にも不自然ではありません。
では、この頃にウメハラさんの周囲では何が起きていたのか。
ウメハラさんは、単に大会に出て勝つプレイヤーではなくなっていました。
配信をする。
講演をする。
本を出す。
メディアに出る。
格闘ゲームの価値を社会に語る。
後進に道を示す。
獣道のような勝負の場を作る。
日本のプロゲーマーとは何かを、存在そのもので示す。
つまり、競技者であると同時に、業界の顔になっていったのです。
ここに、ウメハラさんの停滞を読む大きな鍵があると思います。
丁火の人が、丙火の役割を背負った
四柱推命で見ると、ウメハラさんの日干は丁火です。
丁火とは、太陽のように広く照らす火ではありません。
ろうそく、灯火、炉の火のように、内側で静かに燃える火です。
一点を照らす。
深く見る。
暗い場所で勝ち筋を探す。
外側に広がるより、自分の内側に火を保ち続ける。
ウメハラさんの勝負観には、この丁火らしさがよく出ているように思います。
誰かに勝つことだけではなく、
自分はまだ強いのか
自分の中に勝負の火は残っているのか
という問いに向かう感じです。
しかし、この10年ほどのウメハラさんに求められていた役割は、丁火だけではありませんでした。
むしろ、周囲からは丙火のような役割を求められていたように見えます。
丙火は、太陽の火です。
広く外を照らす火です。
多くの人に光を与える火です。
ウメハラさんは、日本初のプロゲーマーとして、格闘ゲーム業界全体を照らす存在になりました。
それは、とても尊いことです。
ウメハラさんがいたから、プロゲーマーという道が開けた。
ウメハラさんがいたから、格闘ゲームを人生の中心に置くことが、一つの生き方として見えるようになった。
しかし、丁火の人が、丙火の役割を背負い続けることには、負担もあったのではないかと思います。
自分の内側の勝負に燃える火が、外側を照らすために使われ続ける。
自分が強いかどうかを確かめるための格闘ゲームが、ファンや業界のために続ける格闘ゲームにもなっていく。
ここに、命と縁のズレがあったのではないか。
格ゲーが「自分のため」だけではなくなった
若い頃のウメハラさんにとって、格闘ゲームは、おそらくもっと純粋に「自分のための勝負」だったのだと思います。
自分は強いのか。
どこまで読めるのか。
どこまで勝てるのか。
自分の勝負勘は本物なのか。
そこでは、火は内側から立ち上がっていました。
勝ちたいからやる。
強いかどうかを確かめたいからやる。
納得したいからやる。
しかし、日本初のプロゲーマーになり、格闘ゲーム界の象徴になり、多くのファンに見られるようになると、格闘ゲームは「自分のためのもの」だけではいられなくなります。
ファンのために配信する。
業界のために語る。
後進のために道を示す。
格闘ゲームの価値を社会に伝える。
イベントを作る。
期待に応える。
つまり、ウメハラさんは、自分の火だけでなく、私たちファンのためにも燃えるようになった。
ただし、停滞期が暗いだけだったわけではない
停滞していたように見える時期のウメハラさんが、ずっと苦しそうだったわけではないということです。
当時の配信を見ると、リスナーのコメントと楽しそうに話している場面も多くあります。
たとえば、
「武器で一番強いのは斧だ」と主張して持論を展開してみたり
「魔法で一番強い属性は風属性」と主張してみるもののトイレに行ってもどってきたら「やっぱ水属性の方が強くね?」
といった、格闘ゲームとは直接関係のない話題で盛り上がることもありました。
そこには、競技者として張り詰めたウメハラさんとは別の、梅原としての柔らかい魅力がありました。
ファンにとっては、そういう時間もまた楽しいものだったと思います。
だから、私が言う「停滞」とは、ウメハラさんが不幸だったとか、配信活動が悪かったという意味ではありません。
むしろ、配信や雑談の中で見えるウメハラさんは、とても魅力的でした。
リスナーと笑いながら話し、格闘ゲーム以外の話題でも場を作る。
それもまた、ウメハラさんが業界やファンを照らしていた時間だったと思います。
ただ、競技者としての火という一点で見るなら、その火は若い頃のように自分の勝負だけへ向かっていたわけではなかった。
配信、雑談、ファンとの時間、業界の顔としての役割。
そうしたものへ、火が広がっていた。
だからこそ、この時期は「火が消えていた」のではなく、
火の向きが変わっていた時期
と見る方が近いのだと思います。
ここで、私は近年の体型変化も、単なる食べすぎや年齢の問題だけではなく、象徴的なものとして見ています。
ウメハラさんが太ってきたことは、格闘ゲームをやめたからではない。
むしろ、格闘ゲームを「自分だけのもの」ではなく、「ファンや業界のためのもの」として背負ったから、身体にも重さが出たのではないか。
これは、ファンとして少し胸が痛む見方でもあります。
私たちは、ウメハラさんに勝ってほしかった。
語ってほしかった。
配信してほしかった。
業界を照らしてほしかった。
レジェンドであり続けてほしかった。
その期待の重さもまた、ウメハラさんの身体に乗っていたのではないか。
私はそう感じています。
体型変化は、停滞の身体的サインだったのではないか
もちろん、外見だけで不調を断定することはできません。
体型が変わる理由は、人それぞれです。
ただ、停滞というものが精神論だけでなく身体にも現れると考えるなら、体型変化は無視できない一つのサインです。
中医学には、久坐傷肉という考え方があります。
長く座ることは、身体の実質や筋肉を傷める、という意味です。
この「肉」は、五臓でいうと脾と関係が深いとされます。
脾は、食べ物を消化吸収し、気血を作り、余分な水分をさばく働きに関わります。
中医学でいう脾は、単なる胃腸ではなく、身体のエネルギー変換システムのようなものです。
長時間座る。
画面を見続ける。
頭を使い続ける。
配信する。
大会に向けて練習する。
夜型になる。
運動や散歩の時間が削られる。
こうした生活は、脾の働きを弱めやすいと見ます。
脾が弱ると、食べたものをうまく気血に変えられず、湿として残りやすくなります。
湿が残ると、身体が重くなる。
頭も重くなる。
動き出しが鈍くなる。
気分も晴れにくくなる。
集中はしていても、どこか燃え切らない。
これは、ウメハラさんの近年の停滞を読むうえで、一つの重要な補助線になると思います。
つまり、ウメハラさんの体型変化は、単に「太った」という話ではない。
丁火が外側に使われ続け、脾が疲れ、湿が残った。
その結果として、身体にも重さが出ていたのではないか。
そう読むこともできるのです。
ストレスと食事依存
ここで、食事の話が出てきます。
ウメハラさんは、食べることが好きな人として知られています。
公開インタビューでも、麺、米、パスタ、ビール、アイスコーヒーなどへの嗜好が語られています。
もちろん、具体的に何をどれくらい食べていたかは、外からは分かりません。
だから、特定の食べ物が原因だったと断定することはできません。
ただ、濃い味、油脂、塩分、カフェイン、酒、ジャンクフード的な食べ物は、ストレス下では依存的に働きやすいものです。
疲れている時ほど、濃いものが食べたくなる。
気が張っている時ほど、カフェインで無理に火を入れたくなる。
練習や配信で消耗した後ほど、ラーメンや揚げ物のような強い刺激が欲しくなる。
これは、意志が弱いからではありません。
身体と脳が、即効性のある快感とエネルギーを求めているからです。
たとえば、濃厚な豚骨ラーメンのような食べ物は、脂、塩分、旨味が強い。
こうした食べ物は、疲れた時には非常に魅力的に見えます。
調べた情報が間違っていなければ、ウメハラさんは一時期、九州じゃんがらのぼんしゃんという脂・豚骨の濃さ・クリーミーさを前に出したタイプのラーメンを週に3,4回食べていたというのもありましたし、夜の配信のあとにぼんしゃんを食べていたというのもありました。
九州じゃんがらの公式の情報でカロリーや成分表は出ていませんがラーメン業界の他のこってり系のラーメンの成分表から推測すると1食で脂質は40gくらいと推定されるラーメンです。
一時的には満たされる。
気持ちも上がる。
しかし、脾胃に負担がかかりやすく、湿や重さとして残ることもある。
コンビニのホットスナックやジャンクフードも同じです。
油脂、塩分、旨味、手軽さ。
ストレス下では、この「手軽で強い快感」が依存的に働きやすい。
コーヒーも、量が少なければ問題ではありません。
しかし、多く飲みすぎれば、覚醒によって一時的に火は入りますが、根本の気血を補っているわけではありません。
むしろ、気が上に上がり、不安や焦り、眠りの浅さにつながる可能性もあります。
ここに、食事依存の構造があります。
ストレスで食べる。
食べることで一時的に満たされる。
しかし脾胃に負担がかかり、湿が残る。
身体が重くなる。
さらに気分が晴れず、また刺激の強い食べ物が欲しくなる。
この循環が続けば、身体は重くなり、競技者としての火も鈍りやすくなります。
米は悪くない
ただし、ここで大事なのは、米を悪者にしないことだと思います。
現代のダイエットでは、炭水化物、とくに米が悪者にされやすい。
しかし、ウメハラさんのように長時間プレイし、脳を酷使し、散歩も多く、集中力を使う人にとって、米は本来かなり重要なエネルギー源です。
米は、脾を支える食べ物としても見やすい。
消化に合えば、安定した気を作る。
長時間の集中を支える。
身体の中心にエネルギーを置く。
問題は、米そのものではありません。
問題は、米に油脂や濃い味や酒や夜食が重なりすぎること。
あるいは逆に、減量のために米を抜きすぎて、長時間の勝負に必要な安定した燃料が足りなくなること。
ウメハラさんに必要なのは、米を恐れることではなく、プレイ時間、散歩量、消化力、睡眠、体調に見合う形で、米を軸に食事を整えることではないか。
米を食べる。
ただし、余計な油脂や刺激物を減らす。
脾胃を守る。
気を下に収める。
長時間の勝負に耐えられる身体を作る。
この方向の方が、単なる糖質制限よりも、ウメハラさんの競技性には合うのではないかと思います。
格闘ゲームは、瞬間の反応だけの競技ではありません。
長時間の集中、修正力、精神の安定、膠着状態で不安にならない力が必要になります。
そのためには、ただ軽くなるだけでは足りない。
身体の中心に、安定した気が必要です。
停滞の正体
ここまでをまとめると、ウメハラさんの停滞は、単なる衰えではなかったのではないかと思います。
丁火として、自分の勝負に燃える人が、
丙火として、業界全体を照らす役割を背負った。
格闘ゲームは、自分のための火から、ファンや業界のための火にもなった。
その尊いズレが、長い時間をかけて、成績の停滞や身体の重さとして現れていたのではないか。
長時間座る生活は脾を傷める。
ストレスは濃い味や油脂やカフェインや酒を求めさせる。
脾胃が弱れば湿が残る。
湿が残れば身体は重くなり、気も巡りにくくなる。
その結果として、ウメハラさんの火は消えたのではなく、外側へ使われ、内側では燃え切らないものが残っていたのではないか。
これが、私の見る「停滞」の正体です。
MenaRD戦で戻ったもの
だからこそ、MenaRD戦は重要だったのだと思います。
MenaRD戦は、結果だけ見れば敗北です。
ウメハラさんは負けました。
しかし、その過程で、ウメハラさんは20代の頃のような気持ちを取り戻したように見えました。
練習の中で、自分はまだ強いと思えた。
負けたら競技をやめることも考えていたのに、試合後には現役を続ける方向へ火が戻っていた。
これは、単なる敗北ではありません。
長く外側に使われていた火が、もう一度、自分の勝負へ戻った出来事だったのではないか。
ウメハラさんは、ファンや業界のために格闘ゲームを続けてきた。
その重さは、停滞や体型変化としても見えていたかもしれない。
しかしMenaRDという強すぎる相手に向き合ったことで、格闘ゲームがもう一度、ウメハラさん自身のものになった。
自分はまだ強いのか。
自分はまだ勝負できるのか。
自分の火はまだ残っているのか。
その問いが戻ってきた。
そして、その問いに向き合った時、火はまだ残っていた。
だから、私は思います。
ウメハラさんの停滞は、火が消えた時間ではなかった。
火が外へ使われ続けた時間だった。
そしてMenaRD戦は、その火がもう一度、内側へ戻ってきた瞬間だったのではないか。
命縁弁証学で見る「停滞」と「再点火」
命縁弁証学では、私は物事を命・縁・果で見ます。
その人が持っている命。
そこに、どんな縁がやってくるのか。
そして、その縁によって、どんな果が生まれるのか。
ウメハラさんの場合、命には丁火があります。
自分の勝負に燃える火です。
しかし、縁として、日本初のプロゲーマー、業界の顔、ファンの期待、後進への責任というものが重なりました。
その結果、火は自分の勝負だけでなく、外側を照らすためにも使われるようになった。
それが、停滞として現れたのではないか。
そしてMenaRD戦という強烈な縁によって、その火がもう一度、自分の勝負へ戻った。
この流れが、私にはとても象徴的に見えます。
人生でも同じことがあります。
本来の自分の性質と、周囲から求められる役割がズレる。
その役割を頑張って背負う。
しかし、長く続けるうちに、身体や心に重さが出てくる。
それは怠けではなく、命と縁のズレかもしれない。
そして、ある強い出来事や出会いによって、もう一度、本来の火が戻ることがある。
ウメハラさんの停滞と再点火は、その一つの象徴として読めるのではないかと思います。