おはようございます*^^*
人には、人の数だけの世界と、その数だけのフィルターを通してみていますよね。
その世界を・・・
やりとりの中で、ここで待機していること・・・
”私なら、与えられるご縁がないときは、クリエイトすることに没頭してるだろうな~”
そんな何気ない言葉に、
じんわり温かくなり
共鳴と緩むのを感じました。
仕事や、待機するという観念はなく
世界に現れる与えられるもの・・・
この方はそう見られてるのだなあ。
今も
この体は当たり前にあるものとしていたけれど、
座っている、お尻の感覚
そこに、床と、私の体という概念がなければ
ただ感覚だけが現れている。
そして、今パソコンの画面だけが見えている
見るということ
指の先の触れる感覚
同時に、湧き上がるままにこの表現も
その一つから現れていること・・・
それだけがある。
私たちは、教えられたことと、あるに違いないという思い込みのイメージの
世界に存在していたのですね・・・
その世界と分けられない、全体という一つの上で。
”赤子にもどりなさい”
その表現。
赤ちゃんは、何も教えられていない中で、全体という安心感の中
ただただ現れるがままに、存在しているのでしょう。
真っ新のままに・・・