神様は、いつも小さな声で知らせてくれる― あの初詣の日に起きていたこと ―

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昨年の初詣。寒空の下、神社で一時間ほど並んでいました。

なかなか順番が回ってこない中、自然と耳に入ってきた前後の方の会話。前に並んでいた方は、能登地方がご実家だという話をされていて、「能登の甘麹味噌が美味しい」という、どこか温かみのあるお話でした。

「へぇ、能登半島のお味噌、美味しいんだなぁ」そんな風に、何気なく聞いていました。

すると今度は、後ろの方の会話が耳に入ってきました。「もし今、大きな地震が来たら怖いよね…」

偶然、前と後ろ、両方の会話を聞く形になってしまったのですが、その時の私は、特に深く考えることもなく、ただ寒さに耐えながら、自分の番を待っていました。

そして、ようやく順番が回ってきて、手を合わせたときに心に浮かんだのは、「感謝」と「自分自身の幸せ」。

それは、決して間違いではないし、誰もが願う、ごく自然な祈りだったと思います。

その後、寒さと疲れのせいか、元旦には珍しく、少し昼寝をしていました。

すると突然大きな音。緊急地震速報。

飛び起きてテレビをつけると、そこに映っていたのは、能登半島で起きた大きな地震のニュースでした。

胸がざわつき、言葉を失いました。

あの時、神社で耳にした会話。能登の話、そして地震の話。

「もしかしたら、神様はあの時すでに、そっと知らせてくれていたのではないか」

そんな思いが、後からじわじわと込み上げてきました。

なのに私は、その“気配”に気づかず、自分の幸せだけを祈っていた。

「メッセージを受け取れなかったのかな…」「もっと、違う祈り方があったのかな…」

そんな風に、自分を責めそうになったこともあります。

でも、時間が経って、今はこう思えるようになりました。

神様のメッセージは、いつもはっきりとした“言葉”や“映像”ではなく、日常の中の、何気ない会話や出来事としてそっと置かれているものなのかもしれない。

そして、気づけなかったからといって、責める必要はない。

気づいた「今」があるなら、そこから祈り方を変えればいい。

今年の初詣では、私はこう祈りました。

自分のことだけでなく、大切な人たちのこと。見えない誰かの暮らしのこと。そして、どうか災害が回避されますように。どうか被害が最小限でありますように。

あの出来事は、「受け取れなかったサイン」ではなく、祈りの視野を広げるための気づきだったのかもしれません。

神様は、責める存在ではなく、気づかせ、育ててくれる存在。

そう思える今、あの初詣の日の出来事に、改めて感謝の気持ちを抱いています。

私たちは完璧じゃない。だからこそ、気づいたときに、少しずつ祈りを深くしていけばいい。

今年もまた、小さな声に耳を澄ませながら、感謝とともに歩んでいこうと思います。



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