思い出を手放せなかった私が、メルカリで気づいたこと。

思い出を手放せなかった私が、メルカリで気づいたこと。

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今日、メルカリを開いたら、

ずいぶん前に出品した商品に
〝いいね〟が付いていました。

その瞬間、ふと思ったんです。

「これって、よく聞く
『一年前に書いたnoteが突然売れました。』
という話と同じじゃない?」

って。



noteもメルカリも、
一度出品すると、
必要な人が、
必要なタイミングで見つけてくれます。

私はそれを、

「過去の商品も働いてくれている」

そう感じています。


そして、
その商品を欲しいと思った方が

自分のタイミングで
自分で納得した価格で
商品を購入してくださいます。

今、出品したものも
過去に出品したものも
関係ありません。


お客様が欲しいと思ったタイミングが全て。

これは、

〝出品した商品が24時間働いてくれている〟

とも言えます。


ちなみに、私がメルカリに出品する商品は
不用品ばかりです。

・買ったものの、使いこなせなかったもの
・片付けで出てきたもの
・サイズアウトした子供服
・もう着ることのない自分の服

そういったものを
思いつくまま、出品しています。


今でこそ、積極的に出品していますが
最初は、出品することに
ものすごく抵抗がありました。


特に、子ども服に関しては
出品する事に罪悪感しか感じていませんでした。

というのも
どの服にも、娘の思い出がいっぱい詰まっていて
服を見た瞬間、
娘との思い出がよみがえるため。


「これを売るのって、
娘との思い出を売ることになるのでは?」

と、つい思ってしまうからなんです。


でも、ふと気づいたんです。

子供服は、このまま永遠に
保管なんてできない。

いつかはどこかで、手放す時がくる。

その時、
ゴミとして捨てるより
誰か必要としてくれる人がいれば
その人にお譲りした方がいいのでは?


と。

服の立場で考えても
きっとその方が嬉しいはず。


そう思い、
思い切って子供服の出品を始めました。


子供服だけでなく、
家にあった様々な不用品たち。


一度はご縁があって
我が家に来てくれたのです。


だから、出荷のときは
精一杯のありがとうを告げて
送り出しています。


私にとって、これは

家にあるものを
メルカリで販売してもいい、

という、許可のスイッチにも
似ているのかもしれません。


大切な思い出の品を
メルカリで出品する許可。

思い出を誰かにつなぐ許可。

出品されるモノたちに
新しい活躍の場を与える許可。

このように考えると、
私が手放したのは、
子ども服だけではありませんでした。

「売ってはいけない」

という思い込み。

そして、
最後に必要だったのは、

「手放してもいい。」

という、
自分への許可だったのです。




私にとってのメルカリは
不用品をお金に変える以上に
大切な場所なのかもしれません。


今日も、新たに
一つの商品が旅立ちます。

精一杯のありがとうを告げて
送り出してあげたい。

そんな思いでいっぱいです。

思い出は、
手放したからといって
消えるものではありません。

今日も私は、

「ありがとう。」

そう伝えながら、
次の持ち主のもとへ送り出します。




「手放してもいい。」

そう自分に許可を出せたからこそ、
この子たちは、
また誰かの暮らしの中で活躍できる。

そう思えた日から、 
私にとってのメルカリは

〝物を売る場所〟ではなく、
〝思い出を、次の誰かへつなぐ場所〟
になりました。

もしかすると、

「自分に許可を出す」

ということは、
何かを始めることだけではなく、

大切にしてきたものを、
感謝とともに
手放すことでもあるのかもしれません。


メルカリだけではありません。

発信も。

LINEも。

誰かに気持ちを伝えることも。

最後に必要なのは、

「この言葉でいい。」

と、
自分に許可を出すこと。

でも、
一人ではその許可を出せないこともあります。

だから私は、
交換日記のように言葉を交わしながら、
あなたが自分の言葉に

「これでいい」

と言えるまで、
一緒に言葉を育てています。


交換日記を続ける中で、
私が一番大切にしている思いがあります。

それは、あなたが

「この言葉でいい。」

そう、自分に許可を出せるようになること。

その小さな許可が、
新しい一歩につながると、
私は信じています。

だから私は、
交換日記のように言葉を交わしながら、
あなたが自分の言葉に

「これでいい」

と言えるまで、
一緒に言葉を育てています。
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