半信半疑という言葉があります。
[名](スル)信じられそうでもあるが、疑わしく思う気持ちもあって、どちらとも心の決まらない状態。「半信半疑で話を聞く」 (コトバンクより引用)
まさに文字通りの意味ですね。
半分信じて、半分疑うような日常的にもよく出てくる言葉です。
ただ、日常で出てくる際にはとりわけ「疑」の要素が強いようにも感じます。
何か疑わしい時に半信半疑という言葉を用いがちです。
ここで、私のスタンスを発表すると、「半信」、つまり半分は信じてみるという部分もしっかり持つことにしています。
もちろん、怪しい情報商材やスピリチュアルグッズを何でも半分は信じようということでもないです。
基準は曖昧で言葉にするのは難しいのですが、自分の「経験」と照らし合わせて疑うくらいなら信じるのも一興かなと思う、というお話です。
潜在意識の活用や引き寄せの法則のお話はまさにそういったコンテンツです。
これらを初めて知った時、私はやはり疑いの目が先走りました。
「そんなことあるのか?ちょっとオカルト過ぎないか?」
そう思いました。
ただ、色々と調べていくと腑に落ちる感覚もあり、「本当にあるのかも」と思って実践を始めてみたのです。
もし最初に「(自分の経験からして)そんなことはあり得ない」と断定して見向きもしなければ出会えなかった人や手に入らなかったものもたくさんあると思います。
何が言いたいかというと、自分の経験や知識なんてものは世界の理と比べたら砂粒より小さいもので、信じる、疑うの基準にするにはあまりにも頼りないということに気づいたのです。
私はよく「自分」を持つことの大切さをこのブログに書いていますが、その基準に経験、知識というものは入れていません。
むしろ、経験、知識なんて自信の柱にならないからそれらを超越した確固たる自分があれば他に何もいらないと思っています。
願望実現のメソッドだって目に見えない世界のものだし、最初から100%信じられるものではないとおもいます。
初めは信:10%、疑:90%くらいかもしれません。
普通に考えたら信用に足るかわからないものを自分の経験知識ではなく価値基準で「50%は信じてみる」というスタンスを取れたら、世界はもっと面白くなると思います。
「50%信じてみたけどやっぱりウソだった。」
これはこれでいいじゃないですか。そのお話はウソだっていうことが学べたんですから。
頭ごなしに全否定するより半分くらい信じたほうがその先があります。
それが言わば学び続けるということだと思います。
ただ、1%も信じてはいけないもの、人がこの世に存在するのも事実です。
詐欺であったり、良くない宗教であったり、違法な〇〇であったり、、、
これは今のお話と全く矛盾するのですが、そこの選球眼は別でしっかり養いましょう。
確固たるあなたが半分信じてみてもいいと思うなら、理屈なしに「半信半疑」
つまり50:50の目を持ってみてはいかがでしょうか?