「なんでやってくれないの?」
相手には相手の考えがある。
価値観が違うことも分かっている。
それでも、自分の望むように動いてくれないと、どうしても腹が立つことがあります。
私にも、今でもあります。
私が気づいたのは、苦しさの原因が「価値観の違い」だけではなかったことです。
その奥には、相手に自分の望む行動をしてほしい気持ちがありました。
この記事では、そんな怒りの奥にある気持ちに気づき、
「どちらが正しいか」ではなく「二人でどうするか」
を考えるために、私が行ってきた3つのステップをお話しします。
違うのは分かる。でも、それでも許せない
前回の記事では、意見を否定されると腹が立っていた私が、
「相手には相手の意見があっていい」
と思えるようになったことを書きました。
以前の私は、意見が違うと、
「私が正しい」
「相手が間違っている」
と、すぐに勝ち負けで考えていました。
でも今は、
「相手が違う意見を言ったからといって、私自身を否定されたわけではない」
と思えることが増えました。
相手には相手の考えがある。
自分にも自分の考えがある。
そこまでは、少しずつ分けて考えられるようになったのです。
でも、実際の生活では、それだけでは気持ちが収まらないことがあります。
「相手の考えも分かる。でも、それでも私はやってほしい」そんな時です。
たとえば、夫の部屋の掃除。
私は家の中を掃除していると、夫の部屋の汚れが気になります。
「もう十分汚い」「そろそろ掃除してほしい」と思うのです。
時々、虫がいるような気もして、
「早く掃除してよ」と思ってしまいます。
でも夫は、
「まだ汚いと思わない」「今は掃除しなくていい」と言います。
私と夫では、「どこからが汚いのか」という基準が違うのです。
それは分かっています。
それでも私は、
「今すぐ掃除してよ!」「後からって、いつするの!」「どうせやらないんでしょ!」
と思ってしまう。
ここで私は、もう一つの問題に気づきました。
相手の価値観を認めることと、
相手に自分の望む行動をしてほしい気持ちは、別の問題だったのです。
怒りの中に「相手を変えたい」が隠れていた
以前の私は、このことになかなか気づけませんでした。
「掃除するのは当たり前でしょう」
「普通はこうするでしょう」と思っていたからです。
自分の中では「こうしてほしい」という希望ではなく、すでに「そうするもの」になってた。
だから相手が違う行動をすると、
「そういう考え方なんだね」では終われません。
「なんでやらないの?」「どうして分からないの?」と怒りが出てきます。
掃除の場合も、私は単に「掃除してほしい」と思っているだけではありませんでした。
「私が汚いと思ったら、あなたも気づいてほしい」
「私が気になった時に、掃除してほしい」
そこまで相手に求めていたのです。
つまり私は、価値観の違いに困っているだけではなく、
相手を自分の望むように動かそうとして苦しくなっていたのだと気づきました。
「普通」は、家によってこんなに違う
そもそも、私たちが持っている「普通」は、思っている以上に違います。
私は結婚して、それを実感しました。
私の実家では、自分の親族への連絡は自分でするのが普通でした。
父の親戚から何か送られてきたら、父がお礼を伝える。
母側なら、母が伝える。
親戚を見ても、同じような形でした。
だから私は結婚してからも、夫の親戚から何か届けば、夫がお礼の連絡をするものだと思っていました。
ところが、夫の家庭では違いました。
夫側の親戚へのお礼でも、妻が連絡するという感覚があったのです。
私は最初、とても驚きました。
自分の家では、それを見たことがなかったからです。
そこで初めて、
「私が普通だと思っていたことも、家の文化だったんだ」
と気づきました。
価値観は、
「私はこういう価値観を持っています」
と意識して選んでいるものばかりではありません。
幼い頃から何度も見てきたことは、そのうち「価値観」として意識することさえなくなります。
ただの、「そうするもの」になっていくのです。
アダルトチルドレンの私の中にあった「こうあるべき」
私自身、子どもの頃から、
「ちゃんとしていなければ」「間違えてはいけない」「こうすれば怒られない」と考えてきました。
家庭の中にあるルールや相手の反応に合わせることが、自分を守る方法にもなっていました。
そのため私の中では、「こうするもの」という基準が、単なる好みではなくなっていた。
自分が安心するための「正解」になっていた。
アダルトチルドレン傾向のある方の中には、子どもの頃から親の機嫌や家庭の空気を読み、
「これをすれば怒られない」
「こうしていれば嫌われない」
と、家庭の中のルールに自分を合わせてきた方もいます。
そうすると、「自分はどうしたいか」よりも、
「何が正しいのか」
「どうするべきなのか」
を優先することが、当たり前になっていくことがあります。
そのため、大人になってから自分とは違う基準を持つ人に出会うと、単なる「違い」ではなく、
「それは間違っている」
「普通はそうしない」
と感じ、強く反応してしまうこともあるのです。
私にとっても、「普通はこうする」という考えは、ただの好みではなくなっていた。
子どもの頃から自分を守るために身につけてきた「正解」でもあったのだと思います。
だから、大人になって違う価値観を持つ人に出会った時も、
「そういう考えもあるよね」では済まなくなっていた。
「それはおかしい」「普通はこうでしょう」と強く反応してしまう。
長い間「正しい」と信じてきたものほど、自分では価値観だと気づきにくいのです。
怒っている時は、相手の話なんて聞けなかった
以前の私は、夫の話をなかなか聞けませんでした。
勝ち負けで考えていた頃は、
「私の方が正しい」
「夫は分かっていない」と思っていたからです。
不満がたまるほど、相手を見下す気持ちも強くなりました。
「この人の話なんて聞いても仕方がない」
そんな状態です。
考えてみると、尊敬している人から何か言われた時には、
「そういう考え方もあるのか」と聞こうとします。
でも、「この人の言うことなんて聞きたくない」
と思っている相手の話は、なかなか耳に入りません。
だから、怒っている最中に無理やり相手を理解しようとしても難しい。
私の場合は、相手を理解するより先に、自分の怒りを認めることが必要でした。
価値観の違いで苦しくなった時の3ステップ
私が自分の心を見直す中で、少しずつできるようになった方法があります。
1.まず、自分の怒りを認める
最初から、
「相手にも事情がある」とは考えません。
まず、
「私は、この人に今なんて言いたい?」
と自分に聞きます。
「今すぐ掃除してよ!」
「いい加減にして!」
「どうして私の言うことを聞いてくれないの!」
きれいな言葉に直さず、そのまま紙に書き出します。
何度も書いていると、
「私はこんなに怒っていたんだ」
「こんなに許せなかったんだ」と分かってきます。
怒っている自分を責めず、まずはその怒りを認める。
スッキリするまで書き続けます。
私の場合、それを続けることで少しずつ心が落ち着きました。
2.「相手を変えようとしている」と気づく
書きだした文章を、まじまじと眺めてみてください。
「自分が何に怒っているのか」が見えてくると思います。
「今すぐ掃除して」
「私が気になる前に気づいてよ」
「何度も言わせないで」
そこまで見えてくると、
「私は今、相手を自分の望むように動かそうとしているのかもしれない」
と、自然と気づくと思います。
実は、その怒り奥には、
相手が自分の思うように動いてくれないことへの不満があるのです。
小さな子どもの頃は、
自分の望みを親に伝え、親がそれに応えてくれるのが当たり前で、
「お腹がすいた」「抱っこしてほしい」「これをしてほしい」
そうした望みをかなえてもらいながら、子どもは安心して育っていきます。
その後、成長するにつれて、
「相手には相手の考えや都合がある」
「誰もが自分の望むように動いてくれるわけではない」
ということも学んでいきます。
ただ、家族のように距離が近く、安心できる相手ほど、
「これくらい分かってくれるはず」
「言わなくても気づいてほしい」
「私が望んでいるなら、やってほしい」
という期待が出てくることがあるのです。
相手との距離が近いからこそ、
子どもの頃のような「分かってほしい」「応えてほしい」という気持ちが、ふと表に出てきてしまう。
そして、その期待がかなわない時に、
「なんで分かってくれないの?」「どうしてやってくれないの?」
という怒りとして表れる場合があるのです。
ですが、相手を自分の思う通りにコントロールすることはできません。
相手がどう考えるか。
いつ動くか。
何を選ぶか。
それは、相手の自由です。
そこまで私が決めることはできないのです。
そこで私は、
「どうやったら相手を変えられる?」
ではなく、
「私はこの状況をどう捉えたらいい?」
と考えるようになりました。
3.「どちらにも理由があるなら、どうする?」と考える
怒りが少し落ち着いてからでかまいません。
相手の側の理由を考えてみてください。
「夫は、なぜまだ掃除しなくていいと思うんだろう」
「なぜこのやり方を普通だと思っているんだろう」そう考えてみます。
すると、相手にも育った家庭があり、相手なりの「普通」があることが見えてきます。
実際、夫に聞いてみると、
「掃除をして物の位置が変わると、後からどこにあるのか分からなくなるから動かしたくない」
「手の届くところに必要な物がある方が落ち着くから」
と、教えてくれました。
つまり、私には「散らかっている」に見えても、夫にとっては過ごしやすい状態だったのです。
その時になって初めて、
「じゃあ、私はどうして毎日掃除をするのが当たり前だと思っているんだろう?」と自分にも問いかけられます。
親戚への連絡のように、
「そういえば、私の家ではずっとこうだった」と気づくこともあります。
最初から自分の価値観を探しても、当たり前すぎて分からないことがあります。
でも、誰かとの違いに出会うことで、自分の「普通」が初めて見えてくる。
私には私の背景がある。
相手にも相手の背景がある。
それなら、
「どちらが正しいの?」
ではなく、
「どちらにも理由があるなら、私たちはどうする?」
と考えられます。
私は、この問いに変わってから、少しずつ話し合えるようになりました。
相手を認めることは、我慢することではない
もちろん、
「相手にも相手の価値観がある」
と分かったからといって、全部受け入れる必要はありません。
どうしても譲れないこともあります。
たとえば掃除なら、夫の部屋の中だけで済む問題なのか。
虫やにおいなど、自分の生活にも影響する問題なのか。
ここを分けて考えることができます。
夫の部屋だけの問題なら、夫の基準に任せるという選択肢もあります。
自分の生活にも影響するなら、その部分について話し合う必要があります。
親戚との付き合い方も同じです。
「あなたの家ではそうだったんだね」
と理解したうえで、
「でも私はこうしたい」と伝えていいのです。
歩み寄れるところを探す。
どうしても譲れないところは伝える。
価値観を認めることは、我慢することでも、自分の希望をなくすことでもないのです。
価値観を同じにしなくても、話し合うことはできる
以前の私は、私が正しいなら、相手は間違っていると考えていました。
だから相手の意見を認めることが、負けることのように感じていたのだと思います。
でも今は、同じ価値観になる必要はないと考えています。
大切なのは、どちらが正しいかを決めることではありません。
「私には私の理由がある。相手にも相手の理由がある。それなら、二人はどうする?」
この問いに変わることで、勝ち負けではない話し合いができるようになりました。
もし今、
「なんでやってくれないの?」
と誰かに強く腹を立てているなら、最初から相手を理解しようとしなくても大丈夫です。
まず一つだけ、
「私は今、この人になんて言いたい?」
と自分に聞いてみてください。
「今すぐやってよ」
「分かってよ」
「私ばかり我慢させないで」
どんな言葉でも構いません。
その言葉を書き出してみると、自分が何に怒っているのか。
何をしてほしかったのか。
どこまで相手に求めていたのか。
今まで「普通」「当たり前」の中に隠れていた自分の気持ちが、少しずつ見えてきます。
アダルトチルドレンとして生きづらさを感じている方にとっても、
「普通だと思っていたことは、本当に誰にとっても普通なのだろうか」
と考えてみることは、自分の中にある「こうあるべき」に気づくきっかけになります。
相手との違いに腹が立った時も、
「また怒ってしまった」「こんな自分はダメだ」と自分を責めるのではなく、
「私は、何を当たり前だと思っていたんだろう」と考えてみる。
すると、その怒りの奥に、自分が長い間守ってきた価値観や、家庭の中で身につけた「普通」が見えてくることがあります。
まず気づくこと。
それが、価値観の違いを受け入れる、第一歩です。
ちょっと誰かに話してみたい方へ
「自分では整理できないけれど、ちょっと聞いてほしい」
「これって私がおかしいのかな?」
「なんとなくモヤモヤしているから、誰かに話したい」
そんな時は、電話相談なおママの「ゆるっとおしゃべり処」をご利用ください。
相談というほどではなくても大丈夫です。
愚痴でも、疑問でも、何でも、
「今日こんなことがあってさ」というお話でも構いません。
ただ話したいだけでもOKです。
もちろん、生きづらさの相談でも大歓迎♪
アダルトチルドレンの悩みだって何でも聞きます。
「どう考えたらいい?」と聞いていただければ、一緒に気持ちを整理したり、状況に応じて考え方をお伝えします。
あなたの今の気持ちから、深い悩みまで、何でも話せる、そんな場所。
今の自分の気持ちを気軽に話してみたい方は、
どうぞ「ゆるっとおしゃべり処」へ気軽にお話しください。
しっかり時間を取って気持ちを整理したい方へ
「何に怒っているのか、自分でもよく分からない」
「同じことで何度も悩んでしまう」
「自分と相手の気持ちを、ゆっくり整理したい」
そんな方には、ビデオチャットでのご相談もご用意しています。
お話を聞きながら、
「何が苦しいのか」
「本当はどうしたいのか」
を一緒に整理していきます。
一人では同じところをぐるぐる考えてしまう時も、誰かに話すことで自分の気持ちが見えてくることがあります。
しっかり時間を取って、自分の気持ちを整理したい方はこちらをご利用ください。