Drive Your Career.(自分のキャリアのハンドルを握れ)
こんにちは。AI時代の自走支援メンター・竹之下(たけのした)です。
今日は、サービスを始めるきっかけとなった、僕自身の話をさせてください。
正直に言うと、僕は社会人のスタートで、けっこう派手に躓きました。今でこそ「キャリアの自走支援」なんて看板を掲げていますが、最初の数年は「社会人って、こんなに苦しくて大変なのか」と本気で絶望していた人間です。
この記事では、僕が職場で頑張っているのに評価されなくて苦しかったり、何度も挫折する中で、どうやって今の自分に至り、「キャリアの自走支援」を本気で志したのか。その経緯を書き記していきたいと思います。
長文にはなりますが、付き合ってもらえたら嬉しいです。
「穏やかに楽しく働きたい」。そう思っていた僕を待っていたのは、想像とは違う現実だった
正直に告白すると、新卒で就職活動をしていた頃の僕は、けっこう甘い考えを持っていました。
終身雇用の安定した会社に入って、ホワイトな環境で、穏やかに腰を据えて楽しく働いていきたい。そんなふうに思っていたんです。
ところが、実際に配属されたのは、想像していた働き方とは異なる部署でした。
まず、自分自身は営業を希望して入社しましたが、その部署の仕事では、一人ひとりが自分の担当を静かに黙々と、素早く正確にこなすことが求められる職場でした。
隣の席の人とも、用件を会話ではなくメールで済ませることも。私がメールをみれていない時は「なんでメールを見てないの!」とも言われました
(いや、こっちは目の前の仕事でいっぱいいっぱいだし、僕はあなたの隣や、目の前にいるんだから直接話しかけてくれよ、と思ったことも多々ありました)
助け合いや雑談は他部署と比較して少なく、一日を通して誰とも話さない日も珍しくありませんでした(仕事柄仕方がないのですが)。
また、繁忙期には残業が月80時間近くに至ることも。今思えば、誰が心や体を壊してもおかしくない状況だったと思います。
仕事が溜まり残業し、残業による疲労からミスが重なり怒られ、また残業‥。心も体もすり減っていき、僕は最終的に、会社を休職することになりました。
今だから書けますが、あの頃は、本当に、本当に苦しかった。
日曜日になると、翌日の仕事が憂鬱で憂鬱で、どうしようもない。それでも、なんとか職場での自分の居場所を見つけようと、必死でした。朝、先輩たちが出社してくる前に出勤して、先輩のデスクや受話器をウェットティッシュで拭いて回る。終わらない仕事を、昼休みも返上してこなす。
(今の僕なら、「休むことも仕事のうちだから、それは絶対にやめなさい」と全力で止めます。でも当時は、そうやって目の前の仕事を必死にこなすこと以外、頭に浮かびませんでした。)
休日は、平日に溜まった悲しみや苦しみを流すために、泣ける映画を観ては、ひたすら涙を流していました。今振り返れば、その状態自体がもう、明らかに普通じゃないかと思います。
そのとき、僕はこう思っていました。
「社会人って、こんなに大変で苦しいのか。これがずっと続くのか‥」
頑張っているつもりなのに評価されない。自分なりに動いているのに空回りする。「自分はこの程度の人間なのか」って、来る日も来る日も、できない自分を責め続けていました。
あの悲しいニュースは、他人事じゃなかった
ちょうど僕が社会人1年目だった頃、誰もが知る某大手広告代理店で、過労によって若い命が失われるという、痛ましい出来事が社会を大きく揺るがしました。
そのニュースを見たとき、僕は決して他人事のように思えませんでした。
心も体もすり減って、「逃げる」という選択肢すら頭から消えていく。体も心も限界を迎えているのに「できないのは自分のせいだ。もっと頑張らなきゃいけない」と自分をどんどん追い詰めてしまう負のスパイラル。
今でも、あの事件に関するニュースが流れるたびに胸が締めつけられます。
「もう家に戻ってこい」という、父の声
当時の僕は、地元を離れて、社員寮で一人暮らしをしていました。
限界が近いことは、自分でもうっすら感じていました。でも、認めたくなかった。「ここで辞めたら負けだ」「まだやれる」と、自分に言い聞かせていたんです。
耐えかねた日、私は父に、思い切って電話で相談しました。返ってきた言葉は、はっきりしていました。
「もう仕事は休んで、家に戻ってこい」
それでも僕は、「まだ仕事を続けたい」と食い下がった。「いや、もうそれがダメなんだ。戻ってこい」と父が言う。何度も、その押し問答を繰り返しました。
最終的に、僕はようやく、仕事を休むという決断ができました。
今になって、心から思います。あのとき父が引っ張り戻してくれなかったら‥。そして、自分が休むと決められなかったら。僕は、本当に取り返しのつかないところまで、行っていたかもしれない。
だからこそ、もし今これを読んでいるあなたが、当時の僕と同じように追い詰められているなら、これだけは伝えたい。頑張ることより、まず自分を守ることを選んでください。逃げることは、負けじゃありません。 一人で抱え込んで頑張りすぎずに、どうか休む勇気を持ってください。
そして、この出来事から私は社会人として一つ、重要な教訓を得ました。
思い描いていたような穏やかな安定なんて、どこにもない。社会で生き残るには、自分自身が強くならなきゃいけない。
どこの会社に行っても通用する実力をつけて、自分の力で生きていけるようにならなきゃいけない。甘い考えのままだった僕は、この職場で、現実を思いっきり突きつけられたんです。
今振り返れば、あの気づきこそが、すべての出発点でした。ここで「生き残るために強くなる」と腹を括れたから、僕はそれ以降必死にもがき続けることができた。その必死さの積み重ねが、今の自分につながっています。
藁にもすがる思いで、自分を鍛え直した
休み期間に少しずつ体調が回復していく中で、僕はできることから徐々に手をつけていきました。
まず、体作りです。毎週ジムに通って身体を作り直しました。そしてランニング。息切れしかけている瞬間=メンタルを鍛え直す時間!と捉えて走り続けました。
次に、仕事スキル。とにかく作業効率が悪かったので、PC・Excelのショートカットキーや関数をとことん叩き込んで、作業スピードを上げる。そしてビジネス書も読み漁りました。
「生き残るために強くなる」と腹を括った僕は、とにかく必死でした。優しいだけじゃ、この現実社会では生き残れない。だったら、強くなるしかない。歯を食いしばって、自分を鍛え上げようとしていました。
そうやって自分を作り直していく中で、ふと、ある仮説が浮かびました。
「もしかして僕は、プロジェクトマネジメントが向いているんじゃないか?」
四方八方からくるタスクを、瞬時に切り替えてミスなく素早く打ち返し続けるのは苦手。でも、ゴールを描いて、逆算してプロセスを設計して、人を巻き込んで前に進めていく。そういう仕事なら、力を発揮できるかもしれない。という仮説でした。
室長の、あの一言が僕の心を救ってくれた
その仮説を試すチャンスが、総務部の仕事という形でやってきました。
そこは最初の部署とは違い、思考や整理にちゃんと時間をかけられて、ゴールを描いてプロセスを設計して仕事に取り組むことができる環境でした。
そして、コミュニケーションが活発で、困っている人がいれば自然に助け合う空気があった。そして何より大きかったのが、当時の室長の存在です。
その方は、分からないことを聞けば1から丁寧に教えてくれて、僕のペースに合わせて全体像を示してくれた。そして、どんなに小さなことでも何かをやり遂げるたびに、
「いやー、本当に助かるよ〜」
と、ちゃんと言葉にして感謝してくれる人でした。
たったそれだけ?と思うかもしれません。でも、絶望の淵にいた僕にとって、この「暖かい支え」がどれだけ救いになったか。やる気が湧いて、貢献感が生まれて、僕はようやく、プロジェクトマネジメントを軸に成果を出せるようになっていきました。
そしてこの室長からは、仕事のやり方以上に、大切なことをたくさん教わりました。
社内営業とは何たるか。本当のコミュニケーションとは何なのか。それまでの僕は、仕事は「正しくやれば評価される」ものだと思っていました。しかし、個人で仕事をしているだけでは事足りず、人を巻き込み、信頼を積み重ね、組織を動かしていく必要がある。そのためには、人の感情を読み、相手の立場に立って動くことの大切さを、室長のそばで学ばせてもらいました。
中でも、今でも忘れられない言葉があります。
「総務に必要なのは、目配り・気配り・思いやりだ」
当時は「なるほど」くらいに聞いていたこの言葉が、キャリアを重ねるほどに効いてくる。結局、どんな仕事でも、人と人との関係が大切である。あの教えは、今の僕の仕事の根っこに、ずっと生き続けています。
改めて、「仕事を通じて何がしたいのか」を考えた
総務部で少しずつ成果が出て、なんとか仕事ができるようになってきた頃。僕の中には、ずっと消えない問いがありました。
「自分は、仕事を通じて、本当は何がしたいんだろう?」
仕事中はもちろん、日常のふとした瞬間にも、僕はこの問いと向き合い続けました。一度や二度考えて出るような、軽い答えじゃない。来る日も来る日も自分に問いかけて、長い時間をかけて、ようやく一つの答えに辿り着きました。
僕は、仕事を通じて、人の人生を良い方向に変えたい。
なぜそう思ったのか。振り返ると、自分の人生の原体験に行き当たりました。
少年野球をやっていた頃、監督やコーチが僕に目をかけてくれて、特別特訓をしてくれるようになりました。すると自分の実力が向上し、ずっとベンチだった僕が、スタメンに抜擢されるようになって。野球が、急に楽しくなった。何より、「自分にもできるんだ」という自信が芽生えたんです。
中学時代に出会った塾の先生もそうでした。僕の良いところを見つけて、褒めてくれた。もともと勉強が大嫌いだった僕が、その先生のおかげで、だんだん勉強を好きになっていったんです。偏差値的には、決して大したことのない高校だったかもしれません。でも、自分の志望校にちゃんと合格できた。「自分は、やればできるんだ」という自信を手にすることができた経験でした。
そして大学時代、塾講師のアルバイトをしていたときのこと。担当した生徒さんが志望校に合格して、親御さんから直接、感謝の言葉をいただいた瞬間。僕は、それまで感じたことのないような、深い喜びを覚えたんです。
「ああ、そうか。自分は、人の人生に直接的に貢献できる仕事がしたいんだ」
こうした原体験が、僕の中ではっきりと結びつきました。そしてその思いのまま、人の人生に関わる仕事を希望して、実際にその世界へ飛び込むことを決めました。
だけど、現実はそう甘くなかった
意気込んで飛び込んだその仕事は、しかし、想像とはまるで違っていました。
表向きは「人の人生を良い方向に変える」仕事。でも実態は、自分の強みと適合しなかった上に、とてもハードな仕事でした。
次から次へと新しいタスクが降ってくる。やっと一つに取りかかったと思えば、突発的な横入りの仕事がさらに割り込んでくる。まさに、究極のマルチタスク。前の職場でようやく見出した自分の強みであるプロジェクトマネジメント力や、じっくり深く考える力なんて、発揮できる場面はどこにもありませんでした。
おまけに、周囲の人たちは、みんな驚くほどコミュニケーション能力が高い。バイタリティに溢れていて、「この人たち、コミュ力お化けか…?」と思うような人材ばかり。その中で、僕はどんどん自信を失っていきました。
そして僕は、二度目の体調不良を迎えることになります。
一度目で学んだはずなのに、また同じところに戻ってしまった。あのときの絶望が、再び僕を飲み込んでいきました。
立ち止まった期間で、たくさんの人に支えられた
二度目に立ち止まらざるを得なかったあの期間も、僕は、本当にたくさんの人に支えてもらいました。
そして、ただ支えてもらっただけじゃなかった。
その中に、僕という人間に、本当に丁寧に、深く寄り添ってくれた人がいました。
その人は、僕のこれまでの人生や、性格、大切にしている価値観まで、じっくり一緒に紐解いてくれました。そのうえで、社会やビジネスの厳しい現実を踏まえて、「この先どう生き残っていけばいいのか」を一緒に考えてくれた。さらにその先、「自分にとって幸せな人生を送るために、どんな職場で、どういう仕事をすればいいのか」というところまで、本気で支援してくれたんです。
それは、いわゆる「キャリア相談」という枠を、はるかに超えていました。
大げさじゃなく、僕という人間のこれからの人生そのものに、真剣に向き合い、寄り添ってくれた。そう言っても過言じゃないくらいの支援でした。
正直に言います。あの支援がなければ、今の僕はいません。
心と体を壊して立ち止まったことは、当時は人生でマイナスの出来事だったかもしれません。でも振り返れば、あそこで誰かが僕の人生に深く寄り添ってくれたこと。それが、今の僕のすべての土台になっています。本当に、感謝してもしきれません。
そしてこの時間の中で、僕は、ひとつの大事な気づきを得ました。
「人の人生に貢献したい」という"やりたいこと"は、確かに僕の本心です。でもやりたいことがあるだけでは、生きていけない。
自分の強みを活かして、その強みを求めてくれている仕事や職場で働かないと、この先、生き残ってはいけない。やりたいこと(Will)だけじゃダメで、自分が力を発揮できること(Can)と、求められること(Must)が重ならないといけない。その現実に、僕はようやく気づきました。
そして実は、この経験そのものが、今の僕の仕事の原点になっています。自分自身が受けて、心から「良かった」と思えたもの。自分の人生を、本当に良い方向に変えてくれたもの。それと同じものを、今度は僕が、誰かに届けたい。そんな想いが、あの頃からずっと、心の奥に、うっすらとあり続けてきたように思います。
そして、マーケターへ
「自分の強みを活かせて、それを求めてくれる場所で働く」。そう心に決めた僕は、改めて自分に問いました。
「では、自分が一番夢中になれて、強みを活かして価値を出せる領域は、いったいどこなんだ?」と。
その問いに答えをくれたのが、一冊の本でした。
USJをV字回復させたことで知られ、今は株式会社刀を率いるマーケター・森岡毅さんの書籍です。読んでいて、僕は鳥肌が立ちました。
ヘアカラーのマーケティングをするために自分の髪を金髪に染めたり、仕事のためにモンハンをやり込んだり。四六時中ひとつのテーマに向き合って、考えて、考えて、考え尽くして、ある日突然、「きたー!!!」とアイデアが降りてくる。その仕事への没頭の仕方が、描かれていたんです。
これを読んだとき、「あ、これ、まさに自分だ」と思いました。
僕はもともと、相当な凝り性なんです。一度「これだ」と熱中するものを見つけると、とことんやり続けないと気が済まない性分。森岡さんが描く、対象に憑かれたように没頭して、考え尽くした先にアイデアが降りてくるあの感覚。それこそが、僕が心からやりたい仕事の姿でした。
「マーケティングこそ、自分に一番向いている」
仮説、というより、確信に近かった。戦略を考えて、人の心が動く仕組みを設計して、それが数字になって返ってくる。プロジェクトマネジメントで培った「設計する力」と、僕の凝り性な性分が、まさに活きる領域。その思いを信じて動いた結果、僕はマーケターという職に辿り着きました。
ここまでの道のりを振り返って、確信したことがあります。
絶望から抜け出せたのは、根性論じゃない。自分の「快・不快」を一つひとつ言語化して、仮説を立てて、環境を選び直してきたからです。
過去の「うまくいった体験(Good)」と「つらかった体験(Bad)」から、自分だけの判断基準を抜き出していく。給料や知名度じゃなく、「自分が本当に力を発揮できる条件」を自分の言葉で持つ。これが、僕にとっての「キャリアの羅針盤」になりました。
とはいえ何度も何度も壁にぶつかる
マーケターという天職に出会えたからといって、そこからの道のりが、まっすぐだったわけではありません。
正直に書きます。僕はこのあとも、何度も何度も壁にぶつかりました。そのたびに絶望して、「もうダメかもしれない」「やっぱり自分には無理なんじゃないか」と、心が折れかけました。一度や二度じゃありません。
しかも、いつも自分の力だけで乗り越えられたわけじゃない。大きな挫折に打ちのめされて、自信をすっかり失って、もう立ち上がれないんじゃないかと、くじけそうになったことも、正直、何度もありました。
でも、そのたびに、誰かが手を差し伸べてくれたんです。
落ち込んでいる僕に声をかけてくれる人、話を聞いてくれる人、「焦らなくていい」と待ってくれる人。そういう人たちの支えがあって、僕は何とかまた顔を上げて、前を向くことができました。決して、自分の力だけで踏ん張れたわけじゃありません。
そうやって、人に支えられながら、何とか一歩だけ前に進む。すると、小さな成功体験が生まれる。それでまた少しだけ自信がつく。その繰り返しでした。
派手な逆転劇なんてなかった。つまずいて、誰かに支えられて、また顔を上げて、小さく前進して、ようやく少しずつ自信を持てるようになっていった。本当に、その積み重ねと、たくさんの人の助けで、ここまでやってきました。
だから、声を大にして言いたいんです。今うまくいっていなくても、何度躓いても、それは終わりじゃない。そして、一人で抱え込まなくていい、と。
僕が、人の痛みを分かると思う理由
僕は、もともと心が強い人間じゃありません。むしろ、傷つきやすい。人の言葉に落ち込むし、些細なことで自信をなくすし、挫折も人より多く味わってきました。「強くならなきゃ」と必死だったのは、裏を返せば、それくらい弱い自分を自覚していたからです。
でも、今はこう思います。
傷つきやすくて、何度も挫折してきたからこそ、人の苦しい気持ち、大変な気持ちが分かるのではないか。と。
職場で限界まで頑張りすぎている人、評価されなくて落ち込んでいる人、「自分はダメだ」と責めている人。その痛みが、僕には他人事に思えません。だって、全部、僕が通ってきた道だから。
今でこそ、自分のキャリアの主導権を自分で握れるようになりました。でも、そこに至るまでは、本当に、本当に大変な道のりでした。きれいごとじゃなく、何度もつまずいて、また顔を上げて、を繰り返した先に、ようやく今がある。
だからこそ僕は、同じように苦しんでいる人の隣に立ちたいと思っています。
僕が「自走支援」を心の底からやりたいと思う理由
何度もつまずいて、たくさんの人に支えられて、ここまで来ました。
あの絶望の底で僕の人生に寄り添ってくれた人がいたように、今度は僕が、かつての僕みたいに苦しんでいる人の隣に立ちたい。自分が受けて本当に良かったものを、今度は自分の手で誰かに届けたい。その一心で、僕は「キャリアの自走支援」という仕事を始めました。
そしてこの仕事を通じて、僕自身も成長していきたいと思っています。誰かの伴走をするということは、その人から学ぶことの連続でもありますし。ご支援させていただく方の人生に貢献し、支える側の僕も、一緒に成長させてもらう。そんな関係でいられたら、この上なく幸せなことだなと思っています。
Drive Your Career.僕がたどり着いた、一つの言葉
ここまでの長い回り道の末に、僕がたどり着いた言葉があります。
Drive Your Career.(自分のキャリアのハンドルを握れ)
これは、僕のサービスの名前であると同時に、僕自身の人生の軸そのものです。
ただ、誤解してほしくないことがあります。
「自分のキャリアのハンドルを握る」というのは、「自分で決めさえすれば、何でもうまくいく」という意味ではありません。
僕自身、自分で選んだはずの道で、向いていなくて苦しんだ経験が何度もあります。意思決定を自分でしたからといって、それが正解になるとは限らない。そんなに単純な話じゃないんですよね。
本当に大切なのは、その先です。自分の強みも弱みも理解したうえで、「やりたいこと(Will)」「求められること(Must)」「自分ができること(Can)」が重なる一点を見つけて、そこで自分を磨き続けていくこと。これができて初めて、人は自分の力を発揮しながら、納得して前に進んでいけます。
そしてその大前提として必要なのが、「会社に自分の人生を預けるのではなく、自分のキャリアは自分で築いていく」という姿勢です。これこそが、Drive Your Career.の根本にある考え方です。
それでも、道のりが平坦になるわけじゃありません。自分でハンドルを握っても、何度も困難にぶつかるはずです。
でも、だからこそ。その困難の一つひとつに、僕は伴走者として寄り添いたい。一緒に考えて、一緒に乗り越えていきたい。かつての僕が、そうやって誰かに支えてもらったように。
Drive Your Career.(自分のキャリアのハンドルを握れ)
これは、絶望の底から這い上がる過程で、僕自身が掴んだ実感です。
そしてこれは、かつての僕と同じ場所で立ち止まっているかもしれない、あなたへの言葉でもあります。
あなたの人生のハンドルは、間違いなく、あなたの手の中にあります。一人で抱え込まなくて大丈夫。その一歩を踏み出すとき、僕はいつでも、あなたの隣にいます。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。