きっかけは、名字じゃなかった。長野だった
最初から「自分のルーツを調べよう」と思っていたわけじゃない。
きっかけは、長野だった。
祖父は、長野県の出身。とはいえ、自分が長野にハマったのは血筋とは関係なくて、ただシンプルに「自然が好き」だったからだ。
最初は、親友と二人で行った長野旅行。山も、空気も、流れる時間も、ぜんぶよかった。完全にハマって、今度は一人でもう一度行った。一人で歩く長野は、想像以上に良かった。
そして、小諸(こもろ)で自分の心が動いた。
小諸は、文豪・島崎藤村(しまざきとうそん)が教師として数年を過ごし、「千曲川旅情のうた」を書いた土地だ。「小諸なる古城のほとり」あの一節で知られる、小諸城。今は懐古園(かいこえん)と呼ばれるその城は、城下町よりも低い場所に築かれた、全国でも珍しい“穴城(あなじろ)”でもある。
藤村がこの土地で何を見て、何を想ったのか。
城を築いた人たちは、何を守ろうとしたのか。
土地に染み込んだ「誰かの想い」に、触れた気がした。
自分にとって歴史とは、「先人の想いに触れる旅」だ
少しだけ、自分の話をさせてほしい。
自分にとって歴史を学ぶというのは、年号や出来事を覚えることじゃない。
自分より前の時代を生きた人たちの、熱い想い。彼らが何を考え、どうやって生き抜いてきたのか。それを知る「旅」だと思っている。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ビスマルクの言葉として知られる、有名な一節がある。歴史から教訓を引き出して賢く立ち回ろう、という“お勉強”的な側面。それはそれで、確かに大事だ。
でも、自分が惹かれるのは、もう少し違うところにある。
教訓よりも先に、先人たちの「想い」に触れたい。
彼らは、何に迷ったのか。
何に悩み、どんな夜を越えて、どういう答えを出して、生き抜いてきたのか。
そして、
「この人は、この景色を見て、何を思ったんだろう?」
そんなふうに、先人の気持ちになりきって、史跡を辿るのが好きなんだ。
小諸で胸が震えたのも、まさにこれだった。藤村が眺めたであろう千曲川(ちくまがわ)の流れ。城を守った人たちが背負っていたであろう覚悟。その「想い」が、時代を越えて、こっちまで届いてくる感覚があった。
他人の想いをこんなに辿るのに、自分の先祖の想いは知らないままでいいのか?
そう思ったら、もう止まらなかった。
その話を友達にしたら、「いいじゃんそれ、やってみなよ」と背中を押された。
外から来た衝動と、横からの後押し。
この二つが揃って、ようやく自分は、自分の名字を本気で調べてみることにした。
「竹之下」は、ただの名字じゃなかった
改めて向き合ってみて、気づいたことがある。
自分の名字である竹之下(たけのした)について、これまで一度も深く考えたことがなかった、ということに。「珍しいね」と言われることはあっても、「で、この名字ってどこから来たの?」を調べたことは、ゼロだった。
調べはじめて、最初の手がかりは、やっぱり祖父だった。
祖父は長野県の信州新町(しんしゅうしんまち)の出身。そして、もっと前の先祖は「竹之下村」という村に住んでいたらしい。
名字と、同じ名前の村。
日本の名字は、「地名がそのまま名字になった」パターンが多い。山の下、川の上、田んぼの中(山下・川上・田中)……ぜんぶ、地形や土地の名前が由来になっている。
つまり「竹之下村」があるということは、自分のご先祖さまは、その土地の名前を名乗った人たちだった可能性が高い、ということだ。
村の名前を名乗る、ということ
ここでひとつ面白い話がある。
村の名前がそのまま名字になるケースは、多くが「その村の有力者である庄屋(しょうや=村の代表みたいな役職)の家」が名乗り始めたパターンだと言われている。
……ということは。竹之下家、地元ではちょっとした名士だったのでは?説が浮上してくる。(盛ってない。構造的にそうなりやすいだけ)
さらに江戸時代の「村」は、現代のイメージとは全然違う。
数十人〜数百人規模が普通で、信州(長野)の山間部ならもっと小さい。20〜50人、家にして5〜10軒、なんてことも珍しくなかった。
極端な話、竹之下村の住人はほぼ全員が遠い親戚みたいな世界線すらありうる。じわじわくる。
戸籍で辿れるのは明治まで。その先は「過去帳」が知っている
で、ここからが本番。
「自分の家系を、どこまでたどれるのか?」を調べていくと、ある壁にぶつかる。
戸籍(こせき)は、明治時代以降しか遡れない。だいたい150年くらいが限界だ。
でも、それより前を知る方法がある。それが 過去帳(かこちょう)。
過去帳とは、お寺が管理している「その家の故人記録帳」のようなもの。故人の戒名(かいみょう=亡くなったあとにつける仏教名)、生前の本名、没年月日、年齢などが記録されている。
しかもこれ、江戸時代から書き続けているお寺が多く、うまくいけば 1600年代まで遡れる ことがある。
戸籍が届かない、その奥の時代。
そこに、自分のルーツが眠っているかもしれない。
(ちなみに過去帳はお寺の私物なので、見せてもらえるかは住職さん次第。「先祖を調べたい子孫です」と正直に伝えるのが基本ルートらしい)
なぜ「自分がどこから来たか」を辿るのか
ここまで読んで、こう思った人もいるはず。
「ロマンはあるけど、それ調べて何になるの?」
これ、自分なりに言語化するとこうなる。
自分が生まれるまでの歴史をしることで、目の前の人生をより一層大切にしよう、と思える
人は普段、「今の自分」しか見ていない。今の仕事、今の人間関係、今の悩み。視界が「現在」に張りついている。
でも、自分という存在は、ある日突然ポンと現れたわけじゃない。
何百年も前から続いてきた、長い長いリレーの最新ランナーが自分だ。
その「来歴」を知ると、自分はこれまでの祖先のお陰で生かされているんだ、と実感を持つことができる。
先人の想いを辿るのが好きだ、と書いた。でもその「積み重ね」のバトンを受け継いでいるのは、ほかでもない自分自身だ。だったら、自分が生まれるまでの積み重ねの歴史を知らないままでいるのは、やっぱりもったいない。
AIがほとんどの作業を肩代わりしていくこれからの時代、逆に価値が上がるのは「その人にしかない物語」だと思っている。スキルはコピーできる。でも、何百年分の積み重ねの上に立っている自分の来歴は、誰にもコピーできない。
ルーツを辿るのは、過去の話に見えて、実は「これからの自分の軸」を太くする作業なんだと思う。
「竹之下」という名字を、大切にしようと思った
この一件を通して、ひとつ確かに変わったことがある。
自分の名字である竹之下を、大切にしようと思えるようになった。
これまでは、正直、ただの記号だった。書類に書く、ちょっと珍しい文字列。
でも今は違う。
何百年も前の誰かが、長野の小さな村で名乗りはじめて、リレーのように繋いできた名前。その最後のランナーが、今の自分だ。
そう思うと、この漢字三文字が急に重く、そして、ちょっと誇らしく感じられる。
名前を大切にするって、自分のことを大切にするのと、たぶん地続きなんだと思う。
そしてそれは、自分だけの話じゃない。
自分を産んで、育ててくれた両親。さらにその前から、この名前を絶やさず繋いできてくれた、ご先祖たち。名前を大切にすることは、その人たち全員を、同時に大切にする行為でもある。
この三文字を背負っているということは、自分一人の人生を生きているようでいて、実は何世代分もの「ありがとう」を、まとめて引き受けているということなんだと思う。
この旅は、まだ途中
正直に言うと、この話はまだ「確定」じゃない。
竹之下村が本当に先祖の土地だったのか、過去帳に何が書かれているのか、まだ自分の目では確かめていない。これから、本家のお墓があるお寺(菩提寺=ぼだいじ)を特定して、過去帳を見せてもらいに行こうと思っている。
そこに、どんな名前が並んでいるのか。
どんな人たちが、どんな想いで、この名前を繋いできたのか。
それを知るのが、今は少しだけ楽しみだ。
自分は、どこから来たのか。
その答えに、今年はもう少しだけ近づいてみたいと思っている。