私には境界線がないと思ってきました
境界線を作らなければと思ってきましたが、「なかったわけではない」
ということが分かりました
正確には、境界線を引く勇気がなかったのです
境界線を引くということが、結果的に
・誰かを傷つける
・人としてやってはいけないことだ
・嫌ってはいけない(感情の否定)
・弱者を追いつめる
これらと結びついているという、思い込みがあったということです
そのために、必要性は分かっていても、実行できない
思いきれない
結果、自分が苦しむというに・・・
結局は自分が苦しくなる
自己犠牲で、自分が傷つくことは自分で無視しているわけです
これも育ってきた過程で身についたクセです
こうすることで、私はわたしを守ってきました
守っていたつもりだったけど、それは思い込みで
本当は自分を傷つけていた
それに気づかずに、ずーっと同じことをくり返してきました
自分ひとりではなかなか気づけないものです
指摘されることで、気づくことができました
私は善人でいたい
能力があるのであれば、できるのであれば
自分を犠牲にしてでも、やらなければならないという思い込み
社会の一般常識に照らしあわせて、自分が苦しい場合でも
それを我慢しなければならない
こうした思い込みがずっと、あったということです
そしてそれは、仕事を通して知識としての理解はありました
でもそれができなかったのは、私個人という人として自分をみたとき
「偽善者」になるような気がしたからです
仕事ではできる
でも、プライベートではできない
これは偽善ではないかと思いました
ここに境界線の意味があります
仕事では境界線がはっきりしている
プライベートでは境界線はなくなる
それは頭では分かっていたけど
このプライベートでの境界線を守ってもいいのか
本来、守るべきですが
それが私のつちかってきた思い込みにより、できずにいた
本当は私の境界線を守っていい
それは、仕事とプライベートとで違ってもいい
私を大事にするということは、私のプライベートの境界線を守ると言う事でもある
感情は反応である
感情は評価ではない
感情が反応であるということは、それは意図的に作られたものではない
自然発生と同じ
それを否定する必要はない
自分の感情を大事に取り扱っていい
もう一度、境界線の確認をしました
境界線とは何か
「ここから先は私の領域です」
「ここまでは相手の領域です」 を分ける“見えない線
もっと砕けた言い方をすると、
「それは私の問題ではない」
「これは私が決めていいこと」
「これは引き受けなくていい」
と、心の中で自然に思えている状態
一番よくあるパターンは、
相手が不機嫌な時、「自分が何とかしなければ」と思ってきたということ
私が解決しなければという自動思考が働きます
これはほぼ無意識に近いです
これからはこれらを確認して、自分責めをしていないかの判断材料にします
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました(*^-^*)