感受性が強くて、生きづらかったわたしが いま、人の気持ちに寄り添える理由

記事
占い
子どもの頃から、空気の変化や人の気持ちにとても敏感でした。
嬉しい言葉よりも、ちょっとした視線や沈黙に傷ついてしまうような──
そんな子どもでした。

「気にしすぎだよ」と言われても、
どうやって鈍感になればいいのか分からなくて。
いつの間にか、
「自分のままでは生きづらいのかもしれない」と思うようになっていました。

でも今、わたしはその「感受性」に、深く感謝しています。
今日はその理由について、少しだけ綴らせてください。


 感じすぎるわたしの、子ども時代
わたしはよく「まじめすぎる」とか「繊細すぎる」と言われる子でした。

先生のちょっとした表情の変化、友達の目の動き、親のため息。
そんな「言葉にならない気持ち」が、なぜかまっすぐに伝わってきて、
気づけば、その人の感情が、自分の胸の中に流れ込んでいるような感覚がありました。

クラスの友達が先生に叱られているときには、
その子の恥ずかしさや悔しさがまるで自分のことのように感じられて、
わたしまで痛みを感じて涙をこらえたりしていたのです。

うれしい気持ちも、苦しい気持ちも、全部が強すぎて、どう扱えばいいのか分からない。
感情の波にのまれてしまって、いつもどこかで疲れていたように思います。

そして、そんな自分が周囲と違うことにも、どこか居心地の悪さを感じていました。


生きづらさのなかで見つけた、“心の世界”
10代のある日、偶然手に取った1冊の本。
それは「人のエネルギー」や「心の在り方」「意識の使い方」について書かれたものでした。

そのページをめくるたび、「ああ、これだったんだ」と、
それまで言葉にできなかった感覚が、少しずつ形になっていきました。

「この感受性は、ただの弱さじゃないかもしれない」
「わたしは、見えないものを“感じ取る力”を持っているのかもしれない」

そう気づいたとき、ほんの少し、自分を信じられるようになりました。
そこから、わたしは「自分を整える」方法を、ゆっくりと学び始めたのです。


 感じすぎるからこそ、誰かの痛みに気づける
いま、わたしが占いを通して大切にしているのは、
「その人の中にある、まだ言葉にならない気持ち」をそっと見つめること。

龍のような静かな存在に見守られながら、
タロットや直感を通して感じ取るのは、目の前の出来事だけではなく、
その奥にある──「本当はこう感じていたのかもしれない」という心の声です。

それに気づくだけで、人は少しずつ変わっていけると、わたしは信じています。

あの頃のわたしが抱えていた、生きづらさや胸のざわめき。
それは今、誰かの痛みに気づき、そっと寄り添う“力”になっています。


 最後に
わたしは「強くなった」わけではありません。
ただ、自分の整え方を知り、自分の特性を「このままでいい」と思えるようになっただけ。

そして、同じように繊細さに悩んでいる誰かがいたなら──
占いという静かな時間を通して、
自分の中にあるやさしさに、そっと気づいてもらえたら嬉しいです。

今日も、そんな想いで占いと向き合っています。

しずく
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら