「感謝される」や「喜ばれる」など受け身な動機はモヤりませんか?
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「教える系職業」などの養成講座の謳い文句で、よく
「人に喜ばれる仕事をしてそれが収入になる」
ってのを目にします。
( ゚Д゚)ハァ・・・
って思います。
そういう動機で始めたんじゃないので。
というか、社会でする全ての仕事が
「ひとに喜ばれる仕事」
だと思っているので、
それがセールスポイントになることに違和感がある、と言いましょうか
水が飲めることに感謝してるし、
近所にスーパーがあるのは有難い、
家にいるだけで物が届くもの素晴らしい✨
それらは全て、それらに関わって働いてくれている人たちが居るから、なので
全部そうじゃん・・・と思う訳です。
コーチングや何らかの仕事だけが「特別に人に感謝される仕事」
としてアピールされるのは「やってる人たち」がモヤりませんか?
(私はモヤっとする 笑)
まあこれって、わたしが元々、何かするときに
感謝「される」とか 喜ば「れる」とか
受け身な動機がないから、かもしれません。
関西人なので、
「人を笑かしたい」
と自動的に思うし、普通に、
「人を喜ばせたい」
と能動的かつ主体的には思います。
人に喜ばれるのが「自分の喜び」になるのは、社会性のある動物としては当たり前の感情なので、それは否定しせん。
その「社会的な生物」としての「欲求」を刺激するようにキャッチコピー書いてるんでしょうから、正攻法とも言えるんでしょうね。
でも、受け身は所詮、人任せ・・・
と思ってしまう自分がいる、
そして
「特定の仕事を持ち上げている?」
のに違和感を感じる、という個人的見解でした。