たまにはカンボジアの政治のことも その① 最初の選挙とPKO

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 私が初めてカンボジアに来たのは1992年、日本のNGOのボランティアで教育と職業訓練の助けということでした。

 その翌年1993年の5月にカンボジア初の総選挙が開催されて正式に民主主義国家となるわけですが、私が行ったときにはまだ4つの派に分かれての内戦中、つまり政府が4つあったわけですね。
 しかしながら1991年にパリで4派の平和協定が結ばれて国連監視のもと総選挙を行うことになっていたために、治安は悪いながらも戦闘は起こっていませんでした。
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 この間カンボジアを治めていたのが国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で、それを受けて日本でもPKO法案が可決され、自衛隊が初めて海外へ派遣(派兵?)になった、それががまさにこのカンボジアでした。
 自衛隊の第一陣がカンボジアに来たのが1992年の10月で、私はタイの年民キャンプに先にちょっと勤務して1992年の9月からカンボジアでしたので、私のカンボジア入は自衛隊より1ヶ月早かったということになります😁
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 1993年の選挙、プノンペンと多くの地域を抑えて早くから準備していたフン・セン氏率いる人民党が圧勝かと思われていましたが、1975年のクーデターから始まった内戦以前に安定した時代を築いていたシハヌーク国王の長男ラナリット殿下率いるフンシンペック党が、父王の人気に加え、前もって派手な活動はせずに投票日前の数日間に集中してカンボジア中を旗を振って走り回りながら「不正やワイロを無くすシハヌーク国王の党~~~」とやった勢いで第一党になってしまいました😂
 なにがまずいかって、この時点で国軍や警察を全部握っていたのは第二党になったフン・センさんの人民党だったので、国連もヤバいと思ったのでしょう、結局国連の調整も入って首相を2人でつとめることにして、第一党からラナリット第一首相、第二党からフン・セン第二首相が選出されるということでなんとか収集しました。
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 各省庁も大臣職を半分ずつ~みたいな調整もされて収まったかに思われましたが・・・やっぱ何かおこるわけです・・・その2に続きます 当時の自衛隊について書こうかと思います
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