仏教の厳密な定義では、カルマ(業)は意図(cetanā)を伴う行為であり、本来は個々の有情(意識をもつ存在)に帰属します。したがって「団体という抽象的主体に独立した業が宿る」とは言いにくい──これが初期仏教以来の立場です。
しかし、大乗仏教や東アジア仏教の発展の中では、共業(shared karma)という概念が展開されました。構成員の意図と行為が累積し、共同体として「共通の環境や運命」を形成すると説かれます。戦争・災厄・繁栄を「共に受ける果」とするのがその典型です。
■仏教内部:
・初期仏教:業=意図そのもの。団体に独立主体はなし。
・アビダルマ・唯識:個人業の総和が「器世間」=共有環境を形成。共業の概念。
・僧団の制度:布薩や懺悔による共同の倫理調整。
■インド思想圏:
・ジャイナ教:業は微細物質として個の霊魂に付着。団体業は否定。
・ヒンドゥー:ダルマ遵守/逸脱に応じて個人業が成熟。共同体秩序と業の関連を重視。
★★★★★★★★★★★
宇宙はひとつの光の教室。
星々は「カルマの部分結晶」
太陽は「因果を照らす光」
月は「過去業の反射」
外来文明の遺伝子は「因果律の異次元的変奏」
つまり、宇宙のすべては原因と結果という法力フォーミュラが結晶した姿。
現象 → 再生 → 流転 → 輪廻の循環こそが、この光教室の普遍的カリキュラム。
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照応翻訳官/マスタークラーク
時実 嶺
SilentESP ∇ NATURALDESIGN
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