こんにちは。狐月です。
本日は天気も良く、近所の公園では桜が満開でした。
こういう日は本当に気持ちがいいですよね!
皆様のところの桜はいかがでしょうか。
先日の続きです。
短期間のうちに、見聞きしたこともない不思議な経験を重ね、
この先への不安に苛まれていました。
先生によると、最初の頃は先生ご自身も
私と似たような、いや、それ以上に過酷な経験をされていたそうです。
※内容についてはお話しできません。申し訳ありません。
ただ、そのエピソードを身振り手振りで面白おかしく
話してくださるので、私は笑いながら聞いていました。
「同じような経験をしてきた人が目の前にいる」
そう自分に言い聞かせながら、前に進む決心を固めていました。
そんな中、病気自体はある程度安定していたものの、
強い疲労感や倦怠感、そして感情の浮き沈みが日に日に
激しくなっていきました。
いわゆる躁鬱に近いような状態です。
先生に相談すると、こう言われました。
「あなたの場合は病気じゃないから心配しなくていい。
でも、自分をしっかり持って前向きに生きなさい。
途中で諦めるくらいなら、来なくてもいいよ」
覚悟を試されているような言葉でした。
前を向かなければ、つらいことが起きる――
そう感じて、怖くて後ろを見ることすらできませんでした。
それ以降、神社仏閣巡りはさらに増えていきます。
それまでは近場が中心でしたが、次第に遠方の有名な場所へと
足を運ぶようになりました。
最初の頃は、風光明媚な場所も多く、
先生に「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねると、
「たくさん撮ればいいよ」と笑顔で言ってくれました。
ところが不思議なことに、当日になると写真を撮る気がまったく起きず、
参拝が終わるとすぐに帰るようになっていったのです。
そのことを先生に伝えると、
「そんなもんだよ」と、また笑っていました。
後になって気づいたのですが、
目的は“神様に挨拶に行くこと”。
そう考えると、自然とそうなるのだと腑に落ちました。
先生は、1から10まで全てを教えることはありません。
あくまでヒントやきっかけを与え、
自分自身で気づき、納得し、悟るよう導いてくれます。
真剣に向き合わなければ意味がない――
だからこそ、毎日が本当に大変でした。
しかし時間が経つにつれ、
鬱のような症状はさらに悪化していきました。
起きていれば気絶しそうなほど眠いのに、
布団に入ると今度は強烈な倦怠感で眠れない。
この状態が本当にきつかったです。
やがて私は、こんなことを考え始めてしまいます。
(ここに来るようになってから、おかしなことが起きているのではないか)
今思えば、とんでもない考えです。
ですが、これが負の連鎖の始まりでした。
毎日がつらく、前向きになれず、
ただ言われたことをこなすだけの自分。
そんな中、心の弱さや自己中心的な部分と
向き合わざるを得ない時が訪れます。
先生に「つらい」と訴えても、
ただニコニコと微笑むだけで、何も言ってくれません。
それは、私がまだ本気で向き合っていないことを
見透かされていたからだと思います。
そんな日々が続く中――
私はついに、先生のもとへ通うことをやめてしまいました。
すると、病状はさらに悪化。
それだけでなく、精神的にも追い詰められ、
次第に「消えてしまいたい」という感情が強くなっていきました。
※詳細は控えますが、他にも多くのつらい出来事がありました。
数週間後、先生から母へ連絡が入り、
再び訪ねることになりました。
久しぶりに会った先生は、怒ることもなく、
穏やかにこう言いました。
「体調、悪かったでしょ?精神的にも大丈夫?」
すべて見透かされているようで、
私はただ涙がこぼれるばかりでした。
その時、先生は大切なことを教えてくれました。
「目に見えないものを相手にしているから、分かりづらいよね。
でも、神仏にすがって生きていけば、必ず助けてもらえる。
明けない夜はない。やまない雨はない。必ず良くなるから、
しっかりしなさい」
ありがたくて、涙が止まりませんでした。
命に関わる病気なのに、
命がけで向き合わなければ治るはずがない――
その時、ようやく気づいたのです。
これまで大きな問題もなく順調に生きてきたことで、
どこかで大きな勘違いをしていました。
良いことも悪いことも経験し、そこから学び、悟る。
それこそが本当に大切なのだと思います。
先生は、私を本当に辛抱強く育ててくださいました。
その経験は後に、職場で人を育てる際にも大きな力となり、
自分の言葉で伝えられる“重み”として役に立ちました。
そんな日々をなんとか繋ぎながら過ごしていたある日――
なんと、警察から・・・
続きます。