自分のキャラへの執着について

自分のキャラへの執着について

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コラム
こんにちは、最近は1日が早くて驚く感じです何かに夢中になれるってのもいいですね

今日は、本題に入る前にちょっと与太話を聞いて頂きたくて「自分の声」について少し喋ろうかなと。読んだ上で今回の本題を見ていただければと思います

私は表現の仕方がめちゃめちゃ好きなアーティストさんがいます、すごい共感できるというか自分が言えない心の淀みを音楽ですごい現してくれるというか

個人的に救われたこともありました
色んなことに囚われて自分の心に素直になれなくて、そんなとき無性にずっとその曲を聞いててやっと自分の心の声に気付いたというか

やっぱり安心したんですよね、自分が自分であることが
私の中に「自分の気持ちっていう心」の居場所がちゃんとあったことに

それで今日話したい本題は「自分の好き」の扱い方についてです

私は未だに自分自身が好きかは分かりませんけどそんな私も好きなものはあります

メニューを見るとき真っ先にオレンジジュースの有無を確認するし
好きなアニメをリアタイするために深夜でもアラームで起き上がって見るし
買いたい物のためなら長い行列も並びます

いわばそういうキャラとも言えるでしょう。
でも私は「キャラ」だなんて思っていません
私が好きでしたく、やっているからです

オレンジジュース好きでよく飲みますし、いつか愛媛県にも足を運びたいと思っています
けどそれは「私」だからであって「オレンジジュースが好きなキャラ」だからじゃありません

私がいつの日かオレンジジュースを嫌いになってもそれも「私」です
「オレンジジュースが好きだったけど嫌いになったキャラ」じゃありません

私は「キャラ」って起きた事にタグを付ける後出しジャンケンで、「人」には目を向けていないと考えるんですよね

わかりやすい例を出しますと「顔が良い」「人気者」っていうキャラが好きな人はいますし、私の推しも顔が良いです
けれど本人自身がそれ(顔や人気)に囚われちゃうと「自分」が分かんなくなる…「キャラと自分」の境界線がぐちゃぐちゃになっちゃうと思うんです

「自分」を好きな人がもし現れたら、それは「愛」だと思うんですよね
すみません少し話がそれましたね

だから「他人が求めるキャラ」に「好意」を感じても仕方がないというか、案外そのキャラじゃなくても好きな人はいるというか
存外、世界は広いです。視野が目の前しかないから見えないものですけどね

「可愛い人が好き」「カッコいい人が好き」
等々…人の好みは千差万別です、どんな自分でも「好き」と言う人はどこかにいます、言ってしまえば好きなタイプの違いって感じですかね

だから「○○な自分」っていうキャラじゃなくて、「自分の好き」で生きて、本当の自分を見てもらったらどうかなという話でした

参考になりましたら幸いです。
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