人の顔色を考えて生きることについて

人の顔色を考えて生きることについて

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コラム
このブログも3本目でして、こうやって記事に書けること考えて発信できていて嬉しいこの頃です

今日は「他人の評価」について語っていこうとかなと思います

最初に…私は過去、街を俯いて歩くことしかできてない時期がありました
人の顔を見るのが怖いっていうんですかね。怪訝な目で見られていたら嫌だみたいな…思い返したらそんな感じだと思います

でも最近気付いたのが、人の顔色伺ってもしょうがないんじゃないのかなって
言うなら人って「自分と評価する人」だけじゃないなと思いまして

例に「社員と会社」を出してみると
仕事中もし友達と雑談だけしていたら評価は下がりますよね、上司からも当然叱られます。

でも世の中にはその「ふたつだけ」じゃなくて、たくさんの人やグループがある

会社や世間体にとって仕事せずに雑談だけというのは悪いことに分類されます、ですがもしその会話が楽しくて「今日は良い1日だった」って密かに生きる希望になる友達がいたとしたら、その友達にとっては良いことに分類されます

ただ最初に誤解の無いように言うと、この例は基本的に反省するべきことで人によって良い悪いが変わるからと正当化(大義化)して「やっていい理由」にして欲しくないという点です。

正当化は「自分のやりたい」から綺麗に理由をつけてそれに伴う迷惑を避けようとするエゴだと、私は考えてるからです。
『正当なモノ』に責任を預けたら「やりたいこと」が「やる理由」になって自分も苦しくなると思いますしね

もちろん、「やりたい」を否定しているわけじゃありません

私が言いたいのは「物事を評価するのは自分の裁量で良い」ということです。
自分らしく適度に生きていればいいんじゃないかなと

人によって評価は異なるもの、怒る人もいれば喜ぶ人もいる
当事者であれ評価だけは千差万別
大抵の人は怒るかもしれない、だけどその当事者だけは楽しんでる。そういった場合もある

誰を助けるも、誰を助けないにしろ
それは自分の評価で決めても良いと思う

…という
他人の評価で物事の重さを決めても、仕方がないなと気付いた話でした

以上です、お役に立てたらと思います。
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