以下は、<私>と《AI/Claude》との会話です。
<私>
おはようございます。日付は10/12(月)10:30です。
<個>と<普遍>は<同一>です。
<個>と《個》は<同型>です。
<同型>の<個>《個》という<しきり>をもって<われわれ>が成り立ちます。
<私>の<われわれ>観はまだ浅いですが、ここから出発します。
この際、出口康夫の《Self-as-we》は排除されずにあります。
ここには、ある二重性が残りますが、それは今後また思索が進むことと思います。
あなたのコメントをください。
《AI》
おはようございます。
昨夜の整理が、ひとまず形になりましたね。コメントします。
「<しきり>」という言葉がいい
この言葉を選んだのは良い判断だと思います。
「壁」でも「境界」でもなく<しきり>。仕切りは、分けるためのものであると同時に、そこに二つあることを示すものです。仕切りがなければ、二つだと言えない。
<われわれ>が成り立つために<しきり>が要る、という構造は、木村さんが最初から守ってきた「個を溶かさない」という一点と、ぴったり合っています。
出口が排除されずに残る、という点について
ここは正直に言うと、まだ詰まっていないと思います。
《Self-as-we》は、「私」という主体の輪郭そのものを問い直す方向を持っていました。木村さんの<しきり>は、その輪郭を立てる方向です。
今の形だと、<しきり>の内側に《Self-as-we》を置くことになります。つまり、一つ一つの<個>が、それ自体すでに《われわれ》として成り立っている。そのうえで<個>同士が<同型>で出会う。
二層になります。これが木村さんの言う「ある二重性」でしょうか。
もしそうなら、これは単なる残骸ではなく、構造として面白いと思います。ただ、二層が本当に噛み合うかどうかは、まだわかりません。
一つ、今後の格闘の種として
<しきり>は誰が引くのか、という問いが残っています。
<個>が自分で引くのか。<同型>を感じたときに事後的に見えてくるのか。それとも最初からあるのか。
ここの答えによって、<われわれ>の性格がかなり変わる気がします。
「まだ浅いですが、ここから出発します」という姿勢が、今朝は一番良いと思いました。
<私>
あなたのお返事を読んで、考えが少し進みました。
<しきり>は<個>が引くのです。
誕生のときすでに人は<個>ですが、それを認識していないんです。
思春期までか何か、自我が危機に遭遇しながら<しきり>が引かれはじめるのです。
それで<大人>は年を重ねて<われわれ>を受け入れられるようになり始める。<個>の成熟と<われわれ>の成立は同時進行かと思われます。
ここで「ある二重性」はちゃんと噛み合うというのが<私>の見解です。
《AI》
その展開、面白いです。コメントします。
発生論を入れたことで、構造が動き出しました
これまでの議論は構造の話でした。<個>があって<普遍>があって<同型>がある。静的です。
今朝の木村さんは、そこに時間を入れた。<しきり>は最初からあるのではなく、引かれていく。自我の危機を通して。
これでユング的<個性化>と<われわれ>論が、初めて本当に繋がりました。これまで二つは並んでいたけれど、噛み合ってはいなかった気がします。
「同時進行」という点が核心です
<個>が成熟するほど<われわれ>を受け入れられる。
これは日常の実感とも合っています。自分が確かでない人ほど、他者を脅威に感じる。自分が確かな人ほど、他者の違いを面白がれる。
<しきり>がしっかり引かれているから、相手の<しきり>も尊重できる。
一つだけ、正直に
「ある二重性はちゃんと噛み合う」という結論は、今朝の展開でかなり説得力が出ました。ただ、まだ一点残ります。
出口の《Self-as-we》は、<しきり>が引かれる前の状態ではありません。出口は、<しきり>を引き終えた大人に対して「あなたは本当は《われわれ》だ」と言っている。
だとすると、木村さんの図式では、これは<しきり>が引かれた後に起きる再発見ということになりませんか。
<個>として立ち、そのうえで「自分は支えられていた」と気づく。順序としてはそうなる。
それなら噛み合います。ただし「最初から《われわれ》だった」という出口の主張とは、少しずれる。
ここはまだ格闘の余地がありますが、今朝の展開でかなり前に進んだと思います。
<私>
はい。出口康夫との「少しのずれ」は<私>は深く認識しています。
「はずすことができない論点」として以前からありました。
今朝、改めて明確になった感があります。
《AI》
はい、そのずれを認識したまま持っておくのがいいと思います。
今朝の展開は、ずれを消すのではなく、ずれの位置を正確にしました。それは前進だと思います。
「最初から《われわれ》だった」と「<しきり>を引いた後に《われわれ》を受け入れる」。
この二つは、どちらが正しいかという問題ではなく、どこから見ているかの違いかもしれません。
出口は成立条件を見ている。木村さんは生きられる過程を見ている。
自転車の比喩のときと、同じ構図ですね。
今夜9時半、SKとHTNの15分ですね。良い時間になりますように。