恋愛と結婚、ツインレイについて---その後

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前回 ツインレイや ツインソウル、恋愛や結婚についての記事を書きました。 意外に多くの方に読んでもらえたようなので続きを書こうと思います。
結婚後の話です。 

出会った時に光っていた相手と、あっという間に結婚をして比較的順風満帆な生活を送っていました。 
もちろん 赤の他人と一緒に生活をするのですから様々な葛藤はあります。

その話はまた別の機会に持ち越すとして、今回はツインレイと結婚したことによって一番人生が変わったことについて書こうと思います。

元々、私は生きるということにあまり大きな意味を感じない人間でした。 
自己紹介のところでも若干 触れていますが、生と死の間に大きな境界線を感じない人生を送ってきたので、あまり生きることに執着しない人間でした。

そして、そのことが様々な物理現象となって現れていました。
その話もまた別の機会にお話ししますね^^; 

さて、そんなわけで、ツインレイと結婚したはいいものの、ある程度お互いの関係が落ち着いてくると、私自身の本来の性格である「生きることに執着を感じない」という本性が濃密に現れることになりました。

自分ではそれほどではないと思うものの、冷静に考えたらおそらく自暴自棄、 もしくは「自己破滅型だよね」と言われても仕方がないような生活を送っておりました。
最も夫がいましたので、これまでの人生ほど自暴自棄ではなく、自分自身では十分道徳的な生活を送っていると自負しておりました。

そんな状態の中、ある日定期健康診断を受ける機会がありました。
そしてその検診中に「卵巣に異常がある」と言われ、精密検査を受けるように促されたのです。
おそらく、私自身 1人だったら無視したかもしれません。 
しかし夫と一緒に健康診断を受けに行ったので、夫が心配してすぐに検査を受けるようにと強制されました。 
結局、仕方がないので病院を受診して、卵巣が両方とも大きく 肥大していて異常な状態であるということが分かったのです。そして、がんの可能性のあるので大きな病院を受診するようにと勧められました。

長くなるのでこの辺りの話はまた別の機会にお話ししますね(こればっかりや^^;) 
いずれにしても、最終的に私は近くの中核病院で卵巣と子宮を切り取る手術をすることになりました。 
現実的には、果たしてその卵巣の肥大が癌なのかどうかは、実際に切ってみないと分からない五分五分の状態での手術でした。 

私は絶対にがんではないと頑なに信じていたので、肥大した卵巣と子宮を切り取る手術には同意しました。
しかし、がんだった場合には、その他のリンパ線や周囲の他の部分も切り取る ということに対して同意せざるを得ない状況でした。 

本来であれば納得のいかない手術だったと思います。 
しかしその時私は絶対に癌ではなくて単なる卵巣肥大だと思い込んでいたので手術の同意書にサインはいたしました。 

そして手術の当日、夫も立ち合いの元、私たちは笑って話をしていました。 私の人生で、全身麻酔をかけて手術をするようなことは初めてのことだったし、 夫があまりにも心配そうな顔をしているのでずっと笑い話をしていました。 
私は、きっと手術明けには多分、死体みたいな顔をしているから、その時の写真を記念に撮ってね。そしてその写真を見せてね、と言っていました。
夫は分かった分かったと笑いながら同意していました。

手術が始まって、私は全身麻酔のもと、あっという間に意識がなくなり、次に目が覚めた時に見えたものは、担当医の先生が私の目の前に小瓶のようなものを見せて、それを見せながら、「癌だったから全て切り取りました」 というようなことを言う姿でした。 
私は頷いて、そのまま目を閉じて、おそらくそのまま軽く気を失ったのだと思います。 
自分自身が高度治療室(※病院の規模からいって、「ICU」ではなくて「HCU」になります)に運ばれる振動や周りの人々の足跡などは感じましたが、意識は朦朧としていたので感覚的には大きな何かを感じることありませんでした。
ただ自分の頭の中でぼんやりと、やっぱり癌だったか、やられた、失敗した、という思いだけが頭の中にあって、そのことだけを思っていました。

次に目が覚めたのは高度治療室の病室です。
私はそこで目が覚めた時に、ぼんやりと自分が癌だったという事実を考えました。
そして全身麻酔が切れたという事実も感じていました。 
おそらく 大量の痛み止めが全身に点滴か何かで回っているのでしょう。 
でもそうではない痛みが自分自身の中に少しずつ広がっていくのを感じ始めていました。 

正直言わせてもらうと、私はめちゃめちゃヘタレです。
なので、ものすごく痛い思いをするくらいなら死んじゃった方がいいと思うタイプの人間です。
よく映画とかドラマとかで、とてつもない痛みに耐えている拷問とかのシーンも見るたびに、私だったら絶対にすぐに吐くのに!というぐらいの確信があります。それぐらい痛いのとか苦しいのは嫌なんです。 

なので、そのヘタレな本来の自分がすぐに顔を出しました。 
なんかもう、がんだったし、なんかもう、痛いし、もう結構生きたし、死んじゃおうかなと思いました。
私特有のいつ死んじゃってもいいや的なマインドが再び顔を出したのです。 

そんなことをぼんやり考えている時に面会の時間が来たのでしょうか、あるいは私が意識を取り戻したということを看護婦さんが告げたのかもしれません。

気がつくと担当医や夫、他の看護婦さんたちが私の周りを囲んでいました。 
そして夫が声をかけました。 
私はぼんやりと彼の方を見ました。 

そうすると驚いたことに、夫は自分のスマホを取り出して、私に写真を見せました。
そして「約束していた写真を撮ったよ」って何度も言いました。 
私は何事かよくわからずその写真を見ました。 
正直、手術後すぐにスマホの写真を見るのは結構大変です。
意識がぼんやりしているのに小さな画面に集中しなくてないけないのですから(笑)
でも夫が見せるその写真を、私は一生懸命見ました。 
そこには明らかにゾンビのような顔をして意識を失っている、私の写真がありました。
私は本当にびっくりしました。 
そして思い出したのです。
そういえば 死にそうになってる私の写真を撮ってくださいよ、という約束を確かにしていた、そのことを思い出したのです。 

でもそれと同時に思いました。
なぜ今見せる?と。

確かに見せてくれと言ったし、その写真を撮ってくれとは言いました。 
でも。麻酔から冷めたばかりの、今まさに死んじゃおうかなって思ってる人間にその写真を見せるってどういうことだろう? 
そう思って、夫の顔を見ました。 

夫はとても真剣な顔をしていて怖いぐらい真剣な目をしていました。 

そして、私はその顔を見た瞬間、どうしようもないくらいのおかしさ、ばかばかしさに、心の底から笑いがこみ上げてきたのです。

麻酔から目を覚まして、これから死んじゃおうかなと思っていた人間が、夫と会った瞬間に最初に出会ったのは「笑い」でした。
人間の可笑しさ、馬鹿馬鹿しさ、どうしようもない愚かさ。この人間の愛らしさ。

正直、全身麻酔から冷めたばかりの人間が大笑いをするってことがあるのでしょうか?
しかし実際私は大笑いをしたのです。 
はっきり言って地獄の苦しみでした。 
麻酔が冷め始めた体で身をよじり、くねらせるほどの大笑いをするということがどういうことか分かりますか?

下腹部の一番下のところから胸のあたりまで、20cm以上の大きな傷口、まさに切ったばかりの状態、縫いたてほやほやの大きな傷口をかかえて、その目が覚めたばかりの高度治療室で大笑いをして全身の身をよじる。 
とにかく地獄のような痛さでした。 
正直言って、痛くて死んでしまうから助けてくれと思いました。 
私が何とかしてその笑いをこらえるために、一生懸命スマホの写真から目をそらすのに、夫は一生懸命、私にその写真を見せようと、目の前にスマホを突き出してくるのです。 

ほら、この写真だよ、こっちも取ったよ、こんな顔もしてたよって。 
でも目は全然笑っていませんでした。 
こんな矛盾があるのでしょうか?
私はそれを見ないように一生懸命顔を背けながらも、あまりの可笑しさに、そしてあまりの痛さに涙をボロボロこぼしながら笑いました。 
お願いだからその写真を見せないで、と何度も言ったのですが、まだ私自身がきちんとろれつが回っていなかったようで、私の願いはちっとも彼には通じませんでした。

周りにいた医者や看護婦は、おそらく私たちの、その行動を見て「手術後錯乱」だと思ったに違いありません。 
私が彼の行動を止めて欲しかったのに、誰もそれを止めずに、ただただ見ていました。

その後、担当医が何か話をしたかもしれませんが、全く覚えていません。 
とにかく可笑しくて可笑しくて、そして痛くて痛くて。
痛みで死ぬというのはこのことかと思うぐらいの激痛で、本当にその時は大変でした。

でも彼らが立ち去って1人になって、ベッドでようやく落ち着いたとき、その時に私の中に光が生まれたということを感じました。 
体の中に火が灯ったのです。 
もう死んじゃおうかなと思ってたことをやめることにしました。 
私ではなくて彼のために生きようと決意しました。 

私の中に灯った火が、おそらく生命の光だったのでしょう、新しい命が生まれたのです。 
それからはあっという間に快方に向かいました。 
わずか2日で歩き始め、それは、私の尿道につながれた管を取って欲しい一心でしたが、その管を取るためには1人で病院内を一周できなければ絶対に外しませんと言われたので、根性で歩きました。 
そして管を取ってもらいました。 
正直もうそんなことはご免です。

私がその尿道の管を取ってもらうために歩き始めて病院内を一周していた時に、おそらくHCUにいた看護師の方なのでしょう。 
私を見かけた瞬間、「あ。歩いてる!」と大声を出して驚嘆したのです。

その時は笑い以外にも咳とかちょっとでも腹筋に負担をかけるような行為は地獄の苦しみでした。が、それ以外は1日でも早く退院して元の生活に戻れるようにと必死でした。
私が生きることを決めたので、おそらく驚異的な回復スピードだったと思います。 

しかし、彼のために生きることを選択した私が、本当に彼と一緒になって良かったと思ったのは、彼が私に命の火を灯したからということではありません。生きることも死ぬこともお隣様だと思っている私にとって、それはある意味大した問題ではありません。
その後にあった話です。 
最も大事な話です。

私が元気を取り戻して、手術後2日ほど経った頃の話です。 
夫が病室に見舞いに来ました。 
そしてこう言ったのです。
私の手術の直後、私がまだ意識を回復していない時に、担当医が夫に言ったそうです。
この後、抗がん剤治療を始めるから、そのことについて夫として同意書にサインをしてくれと。

夫は私のことをよく理解していました。 
私がだいぶ以前に、「たとえ癌になったとしても、絶対に抗がん剤なんかやってはいけない」と言っていたことをきちんと覚えていてくれたのです。 
そして夫は、担当医に言ったそうです。 
まだ麻酔から目も覚めていないような人間に対して、もう、抗がん剤の話をするのか、と。
本人が意識不明で不在の時に、かってに抗がん剤の同意をとるなんて、そんなことが許されるのですか、と。
本人の目が覚めて、きちんと自分で判断ができるようになってからそういう話はすることなのではないのですか、と。
そう言ったそうです。
私はその話を聞いた時に、心の底から、この人と結婚して本当によかったと思いました。 
私の考え方をきちんと理解してくれていて、そしてそのことを私の代わりにはっきりと言ってくれる、こんな心強いことがあるでしょうか? 
まさしく、私の代弁者が私の代わりに、きちっと代弁してくれた。 

その喜び、これは現実的な喜びです。 

私は彼のおかげで抗がん剤という人生から救われることができました。
かねてから夫に話していた通り、自分の人生からがんを駆逐するのではなく、私のために癌になってくれた素晴らしい卵巣のために、私は絶対に抗がん剤など打つつもりもなければ、そのような人生は歩みたくありません。
そして夫もそのことを分かってくれていました。

同じ価値観を共有して生きる相手がいるということは、魂の救済であるとともにこの現実を生きることの救済でもあります。 
その後も、もちろんいろいろな葛藤やトラブルはあります。
しかし、お互いに同じ人生を、同じ道を歩いていくということについて、これ以上ない理解者、それがツインレイであり運命の相手だと、私はそう思うのです。

もちろん、結婚やツインレイと出会うことがすべてだとは思いません。
正直出会いたい人は出会えばいいし、出会いたくない人は出会わなければいいと思います。

人にはそれぞれ自分で決めてきた人生があります。
しかし、困難な現代社会にもしも救いを求めたいと思うのなら、運命の相手というものを信じて探してみることは、有意義なことではないかとも思うのです。

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