キャリアの受け止め方|自分自身についてを、学んでみる

キャリアの受け止め方|自分自身についてを、学んでみる

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学び
おはようございます。2級キャリアコンサルティング技能士|合同会社たお代表の工藤でございます。今日のテーマは、「自分自身についてを、学んでみる」ということです。

間違い探しという遊びがあります。二枚の絵を見比べて、違うところを見つけていく、あの遊びです。やっているとき、二つの絵を見比べてみて、「ここが違う。この絵はダメだ」とは、誰も思いません。「こんな描き方をするなんて、作者は問題がある」とも思いません。ただ、「あ、ここ違う」と見つけるだけです。逆に、見つけたときは、喜びです。「ここだったか」「なるほど、ここが違ったのね」「すごいところ、発見してしまった!」などの歓喜の声もしばしば。

ところが、これが自分自身と他者との比較となると、少し様子が変わってきます。一体、それは、どうしてなのでしょうか。

2枚の絵を見比べて、一部分に違いを見つけたとき、その絵を責めるでしょうか。おそらく、責めません。ただ、「あ、ここが違う」と気づくだけです。ところが、自分の中に一つの「間違い」を見つけると、なぜか自分全体が、否定されたような気持ちになってしまうことがあります。いつの間にか、間違い探しが、自分自身の合否判定に変わってしまう。

例えば、資格の勉強をしていると、答え合わせをする瞬間があります。間違っていたとき、「なんでまた間違えたの」「自分はダメだ」と、自分自身を責めたくなるときがあります。自分以外のときも同様です。「どうしてそんな間違いしたの?」「何度も教えているよね?」と、他者を責めたくなる気持ちが湧いてきます。でも、これも、間違い探しゲームと同じような感覚で、捉えてもいいのかもしれません。

「あれ、また間違えちゃった。どうしてなんだろう」。そうやって、漫才のツッコミくらいの軽さで、自分に声をかけてみる。責めるのではなく、「あ、ここ違ったか」と、ただ違いに気づくだけ。それくらいの方が、勉強を続ける気持ちも保ちやすいのだと思います。

「間違い」という言葉を聞くと、なんだか悪いことのように感じてしまいます。否定的に、批判的に、捉えてしまいがちです。でも、間違いというのは、見方を変えると、それまで気づいていなかった「認識の違い」に、触れられた瞬間でもあります。自分が思っていたことと相手が捉えていた認識とで、実際とは、少し違っていた。それに気づけた、ということです。その「認識の違い」に気づくことは、果たしてそんなに悪いことなのでしょうか。避けたいことでしょうか。もしくは、いま認識に気づけて幸運だった。と思えるでしょうか。

間違いというのは、つまるところ、単なる「認識の不一致」なのだと思います。ただし、間違った際に、「認識が違っていました。誤解していました。」と素直に捉え、受け止めていけばいいのに、いつの間にか、自分という人間全体が、合否判定を受けているような気持ちになってしまう。

それは、他者に対しても同じことが言えます。自分の見方のみで合否判決をつけてしまう。誰かのふとしたさりげない日常の出来事の中で、その人の一つの言動を見て、「あの人はダメだ」と、相手を評価、判断してしまう前に、「認識が違っただけかもしれない」「もしかしたら自分の考えが至らなかったのかもしれない」と、少し立ち止まってみる。自分に対しても、他者に対しても、間違いを、その人全体の合否判定にまで広げない。そんな寛容さが、どちらにも求められるのだと思います。

自分の認識違いを知ることは、自分を責めることではないのだと思います。同じく、自分以外の認識違いを知ることは、相手を責めることでもないのだと思います。それは、「間違い探し」をするように。「やった!間違いを発見した!」ときの歓喜の声。ときには、「ここが違っていたのか!」と、自分自身にツッコミを入れるように。もう少しだけ、自分や自分以外の違いを責めることなく眺めてみる。日常の中にある、ちょっとした行き違いやすれ違いにおいては、そんなお互いに寛容さを養えたら、さらにいい世の中になりそうですね。

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