急ぎ神の刻印を受けよ!

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主なる神の裁きの時が近い、急ぎ神の刻印を受けたほうが良い。最後の審判がくだるまえに、神に属する者か、悪魔に属する者か、光に属する者か、闇に属する者か、立場をはっきりさせなければならない。もちろん闇を選べば、待っているのは地獄の火だが、それでも闇を選んでしまうのは、悪魔の魔力とでもいうべきか・・・。
だが、自分に神の刻印があるかどうか、目に見えるわけではないので、わからないと思う。かくいう私も、はっきりと自信をもって、私には神の刻印があるとは言い切れないのが悲しいところだ。
最後の審判までに、模擬試験代わりといってはなんだが、自分が神の側にいるか悪魔の側にいるか、はっきりさせられるイベントがある、それはヨハネの黙示録9章を読めばわかる。
第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。いなごは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。
このように書かれているので、第5のトランペットの災いの時には、自分が神の側にいるか、そうでないかが、はっきりしてしまうのだ。
このとき、もし神の側にいなければ5か月もの間、死ぬほど苦しむことになるだろう。ただ、死ぬことはない。でも死んだほうがマシだと思うほど苦しいのが5か月も続くのだ。できるならこれは避けたい。
ただ、もし、この苦痛を受け続けても、悔い改めずに、今までと同じような生き方を続けるなら、最後の審判で地獄行きを命じられ、このとき受けた苦しみなどは比にはならないほどの苦痛を受け続けることになるのだ。
それはこの世で受けるどんな苦痛よりも恐ろしく、地上で人類史上誰も受けたことのない苦しみより、さらに苦しいかもしれない。それが永遠(実際には永遠ではないかもしれないが、刑期が1万年とか100万年とか1億年とか、それ以上とかだともはや、永遠と大差ない)と続くのだ。
今は、間違いなく終末、パウロが言っていた、さあ世の終わりが近づいていますというセリフは、今こそ、使うべきなのだ。

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