イエスはピラトに尋問されたとき、私の国籍は地上ではなく、天にあると答えたが、では天界の存在とは、いかなる性格を持っているのか。
これについて聖書以外の書物、とりわけ古代中国の仙道関連の書籍にはいくつか言及されているものがある。仙道とは、仙人になるための修行法であり、仙人とは伝説上の存在ではなく、実際に存在する者である(としている)。
私も昔、仙道修行をしていたことがあり、仙道は単なる武道や武術、あるいは精神鍛錬法や瞑想法、呼吸法や健康法など、そういった単一のものでは無く、それら全てを複合した、ある意味で真理の探究者としての生き方そのものであるのでキリスト教徒の生き方と相通じるものがあると思う、ただし、ひとつ違うのは、仙道(道教)では、最終的に自らが神となるのが終着点であるのに対し、キリスト教では、神はあくまで自分がたどり着けない境地であることは言っておかなければならない。自らが神になるとは傲慢そのものである。
仙道の書籍でこのようなことが書いてある「天の性格と人の性格は真反対のものである、たとえば霧吹きを空中にシュッと一吹きすると、たちまち一か所から周りに拡散して広がっていくし、水を床にたらすと、それもじわーっと徐々に広がっていく、このように天(自然)の性格とは、拡散、広がっていくのだが、人の性格とは、金も物も権力も人も、すべて自分のものにしたい、つまり自分という個体に集めようとする性質がある、このように天の性格と人の性格とは真反対である。こういうようなことが書いてあって、なるほどなと思ったものだ。確かに客観的に見れば、人はきれいごとでは天の性格でありたいとか、そうあるべきだとか言うが、実際の人間の生き方というものを見れば、まさに天の性格とは真逆の生き方をしているではないか。金!女!権力!全部自分のものだーー!わっははは!みたいなのが実際、多いし、まさに支配者層、権力者たちは、こういうような性格をしている。しかもそれを一般人は軽蔑しているように見せかけて、内心、それを目指しているんだから、もうわけがわからない、いったい、どういう生き方をしたいのか、その立場をまずはっきりさせてくれよと問いたい。天の性格を持つ者は天に行けるだろう、しかし人の性格を持つ者は・・・最終的に地獄へ行くだろう。
だから、天の性格を目指しなさいと。空気だって、地表のただ一か所に集まってたら、そこしか生物は存在できないが、そんなことはなく、全体にまんべんなく空気があるし、太陽ものぼらないところと、のぼるところと、わかれてませんよね?太陽の光は地表全体をあまねく照らし出す。人は、天の性格を目指すべきなのだ。子供なら仕方ないけどね、いい大人が、全部自分のものにしたい!なんてみっともないですよ。だから、支配者層は、みっともない連中です。