ほぼすべてのクリスチャン、神父、牧師、神学者が、地獄に落ちてしまったらもう救いがない。永遠に助からない、という見解を持っています。
しかし、聖書を深く読み込んでいくと、実は地獄に落ちても、永遠に苦しみ続けるということは無いということがわかります。
実は、イエスは地獄でも宣教して悔い改めを呼びかけるのです。イエスは神なので、地上世界も、天界も、地獄界も、どこでも行き来することができます。
神は厳しく公正な方なので、然るべき刑罰を与えますが、あくまでも刑罰なんですよ。もちろん地獄の火で焼かれ続けるのは、とんでもなく苦しい目にあいますが、それでも刑罰なので、刑期が終われば解放されます。
イエスは、自分のことを「私は始めであり、終わりである」と言っています。
地獄に行った魂たちを、そのままほったらかしにしておいては、完成しないのですよ。なので、最終的には地獄の魂をも全て、改心させて、そして回収します、すべての魂を自分のもとに集めて、一つとなる。そこで完成なのです。
ユダヤ教においては、神は「一なる者」「一者」とも言います。
すべては一つだったのです、善も悪も、そういう対立する概念も存在も、もともとは一つだったということです。それが善と悪、男と女、というように徐々に分離していった。それがまた一つに戻って「私は始めであり終わりである」
という意味になる・・・と私は思っています。
パウロも、地獄の責め苦を受けている魂を見て、涙を流していたと聖書には書いてあります。すると、それを見ていた天使が、なぜ泣いているのか、悪い者が然るべき罰を受けているのだ、あなたは神よりも慈悲深いのか?と聞いています。でも、それが人間らしさなんじゃないですかね。どんな極悪人でも、地獄の火で焼かれて苦しんでる者を見て、心を痛めずにはいられない、パウロはそういう男です。天使にはわからない感覚、感情だったかもしれませんね。