まず携挙とは何かというと、イエスが天から降りてきて、キリスト教徒を天にまで引き上げて地上から取り去る、という奇跡のイベントのことです。
旧約聖書にも、エノクやエリヤなどが、携挙によって、生きながら天に召されていきました。つまり、死を味わうことなく、地上から離脱できたというわけです。この離脱の仕方はキリスト教徒としてはベストです。
ただし、イエスの直弟子でさえ、このような奇跡的な方法で天に召されてはいません・・ヨハネでさえ、側近に穴を掘らせて、そこに身を横たえて、イエスに魂を取ってもらったことで肉体に別れを告げ(つまり、この世では死ということになる)天命を全うしたのであり、空中浮遊をして天に上がっていったのを見たという者はいません。
なので、おそらく苦しまずに死ぬ(魂を取ってもらう)方法が、携挙なのかなと思います、肉体を持ったまま天にまで上がれるのは神の特権であり、人間には不可能かなと思います。
そして、この携挙はいつ起きるのかと言うと、人それぞれ時期は違うかと思います。なぜなら魂の成長スピードというのは、人それぞれ違うし、一斉に同じ時期に携挙が起きるなんてことは、準備ができてない人を置いてけぼりにすることになります。同じ畑に植えた作物でも、収穫する時期は、作物によって違いますから、熟してない作物は、そのままにされます。そろそろ収穫時期だなと神が判断されたなら、携挙によって引き抜かれるという感じでしょう。
携挙が、まるで電車やバスの定時運行のように、決まった時間に一斉に起こるとは、私は考えてません、あくまで戸別訪問です。ここを勘違いしてもらってはいけません、魂の成長は時短では手に入らないのですから、艱難時代に入る前に、すぐ魂を成長させなくては!罪を消さなくては!なんてのはどだい無理なんですよ。普通の神学者や牧師からは、否定されると思いますがね。
でも彼らはイエスの時代にイエスを迫害したユダヤ教パリサイ派と同じようなもんだと私は思ってます、聖書を形式的に丸暗記してるだけの人たちです。
正しい方向に向かって歩んでいるなら、その歩みがたとえ遅くとも、神は待っていてくれるでしょう。歩みの速度ではなく、方向が大事なんですよ。
イエスはこう言ってます。「私は戸口に立って叩いている」
つまり、主である神イエスは、常に扉の前に立って、準備できたら呼んでくれよ、迎えに行くから、って待ってるわけです。ただし、こうも言ってます。
「あなたがたは自らの罪のうちに死ぬことになるでしょう」つまり、罪が残ってる状態では、普通に死んでいくわけです。たとえば老衰で安らかに死んでいくという場合も、これは罪が残ったままの状態で死んでる場合が大半なので、死後の、最後の審判で有罪判決を受ければ地獄行きです。
これから艱難時代がやってきますので、早いうちに携挙されて、地上世界からサヨナラしたほうが、お得なんですが、艱難時代に突入しても、手遅れかと言うと、そうではないと思います。生き地獄のような世界ではありますが、最後まで生き残れば、「この世の終わり」というラストステージを拝むことができるわけです。まあ、そこに辿りつくまでに生きてても精神がぶっ壊れてない保証はないですが。最後の最後に神が迎えに来ることもないわけではないと思います。要は、罪が残ってる状態のままではダメだということです。