キリスト教徒は教会に行って祈るべきなのかどうかという論争は、実はイエスの時代からあった。
心の中に教会があればそれでいいじゃないか、という人も一定数いたのである。現に私も教会には行ってない、行ったこともない。別に面倒くさいからという理由ではない、そもそも信用していないのだ、今のキリスト教会を。
以前、とある教会の玄関の入り口まで行ったことがある、そのときものすごい生臭いシェディング臭がしたのだ。そうあの例のワクチンを打った人のニオイだ・・・つまりキリスト教徒でさえも、まったく真理も本質もわかっていないということが証明されてしまったのである。これは絶望以外の何物でもない。
ユーチューブでも牧師や、キリスト教徒の人が、動画を多数公開してるが、それでも話を聞けば、宇宙がどうのとか、波動がどうのとか、量子力学が・・とかなんとか言ってるのを聞いてると、もう、ため息しか出てこないのだ。
そして、私は根本的に、この終末の時代の人間を信用していない。なので、心を開くこともできないし、会話も表面上の会話しかできないのだ。
真に迫った会話はできない、悲しいことに、これが現実なのである。
それで私はこの2年間、ほぼ人と会話をしていないのである。。。無駄に孤独に対する耐性がついてしまった。ただ人と会話をして嫌な思いをするくらいなら孤独に一人のままのほうがいい。
ただ、聖書には、イエスを信じる者同士、集まって励ましあいなさいとも書いてあるのだ。しかし、誰も信用できないのに、表面上だけで心を開いているふりをするのか、信用しているふりをするのか、それもまた虚しいことだし、より深い虚無を感じる気がしているのです。
まあ、信仰心なんて、かけらもない人たちが面白おかしく生きていられる時間も、そう長くはないかなぁと思って、今はただ耐えてます。