イエスの弟子はヨハネ以外、全員処刑された

記事
コラム
イエスはこのように言った「私の弟子になりたい者は、自分の十字架を背負ってついてくるがいい」これは、脅しでもハッタリでもなく、本当に自分の命をも信仰のために捧げろと、こう言ったのである。事実、そのようになった。
パウロも、最後は捕らわれの身となり、牢屋の中から、各地にある教会に向けて最後の手紙を書いて、自分の役目を果たし、そして、おそらく処刑された。
我々が信仰を守るために、彼らは命をも使ったということだ。
ヨハネだけは、処刑されなかったが、彼とて何度も命の危険があった。
たとえば、アルテミスの神殿に、熱心な信者たちが何十人もいる中に、ヨハネはただ一人、黒い衣を身にまとい、ずんずんと押し入ったのである。
これは自殺行為と行ってもいい行為であり、アルテミス神殿に入るものは、皆白い衣に身を包んでいなければならず、しかも異教徒が土足で踏み入るのは、殺されても仕方ないくらいの無礼な行為なのである。なので、ヨハネも彼らに殺されそうになったのだが、ヨハネは「私は、唯一の生ける神イエスの僕であるぞ、その私を殺そうとするなど、気でも違ったか!」と一喝すると、アルテミス神殿の信者たちは、ヨハネを手にかけることはできず、おずおず引き下がったのだ。このように、ヨハネも危ない橋を渡っている。
彼は、宣教の旅を終えた後は、パトモス島という無人島に1人とどまり、そこで「ヨハネの黙示録」を書いた。終末の時代に生きる我々のためにも、書いてくれたのであろう、こんなクソみたいな時代のクソより汚れた世界で生きてる我々にも、メッセージを残してくれている、感謝すべきである。
ヨハネは、最後は従者に地面に穴を掘らせ、そこに身を横たえて、「神よ、私はもうこの世で役割を果たしました、さあ魂をとってください」と目をつぶって、天界に呼び掛けた、そうして肉体を捨てたのである。まあ、この世での死であるが、処刑されたわけでもなく、自殺したわけでもなく、老衰でもなく、神と、自身との、合意により息を引き取ったのである。
私もできればこのようにして死にたいのであるが、ヨハネや他の弟子たちや、信者たちのように、立派な生き方をしていないので、おそらく普通の人間と同じように、普通に死ぬと思う。だが、できれば苦しまずに死にたい。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら