イエスに洗礼を授けた「洗礼者ヨハネ」は、イエスの弟子のヨハネとは別人である。しかし、無関係ではない、なぜならイエスが来る前まで、ヨハネは洗礼者ヨハネの弟子であったからだ、なので、ヨハネの下のヨハネが、イエスが来たことで、イエスの下のヨハネとなった、非常に紛らわしい。
洗礼者ヨハネは、イエスが来る前までは、民衆から絶大な支持を得ていて、信頼も厚かった、皆、彼のもとを訪れ、説教を聞いていた。
そこに、当時は無名だったイエスが現れ、洗礼を受けさせてほしいと願い出たのだが、洗礼者ヨハネは、すぐにイエスが、この世のものではない、普通の人間ではないことを悟り、「私こそあなたから洗礼を受けなければならないのに・・」と申し訳なさそうに言うので、イエスは、「今は受けさせてほしい」と洗礼を受けた。のちに、洗礼者ヨハネが弟子たちに、私にはあの方の靴紐を解く価値すらないと、言うのだ。
そしてイエスもまた、「およそ女から生まれた者でヨハネより偉大な者はいない、しかし天界で最も小さな者でも、彼よりは偉大だ」と言ってのける。
イエスが来たことで、洗礼者ヨハネの影響力も徐々に落ちていくことになる。
しかし、それでも洗礼者ヨハネは、「私は彼に洗礼を授けるという役割を持って生まれた、彼のために道を整えるという役割だ、彼は栄え、私は滅びねばならない」と言ってのける。自分の役割を理解していたから、その運命を受け入れたのだ、そして彼は最後まで正義の人であり、王様の不正を糾弾したことで、捕らわれてしまう。王様は最初は、民の反発をおそれて、すぐには処刑しなかったが、わがままな娘がヨハネの首を要求したため、処刑人に斬首させたのである、ヨハネもおそらく、王を責め立てれば生きてはいられないと悟っていたであろう。しかし、彼は自分の命より正義を求めた。
あなたの中に、正義はありますか?