我々はすでに、「神なき世界」に住んでしまった人間なので、いかに神の存在を知ったとしても、一度「神なき世界」に住んだ記憶、イメージというものは消えないものだ。過去記事でも書いたが、一度心に焼き付いたイメージは、だいたいずっと付いて回る。感熱紙、写真の現像、のようなものだ。
なので、神の存在を知ったとしてもなお、まだ「神なき世界」に居続けようとするのだ、そのままだと地獄に行くとわかりきっているのに、なぜだと思う?
悪魔は、「できれば選ばれた人をも地獄へ引きずり込もうとする」と聖書に書いてあるように、本来なら天国に行けるチャンスに預かれた人すらも地獄へ引きずり込もうとするほど狡猾で危険なのだ、まあ、ここまで言っても私の言うことをまともに聞く人間は1割もいないだろう。まあ、それは別にいい。それについては私に責任がない。イザヤはこのように言っているからだ。
「真実をよく聞かせよ、しかし彼らに無理に悟らせる必要はない、言ってもわからない人間は、そもそも地獄へ行く運命なのだから」とまあ、こんなニュアンスのことを言っている、なので私は役目は果たした。このブログで書いたからだ、読んでない人は、ま、そもそも神の救いに預かれない人だから仕方ない。まあ聖書は読んでおいたほうが良い。地獄へ行かない可能性を少しでも上げておいたほうが良い。私でさえまだ、地獄の火に入らないとは限らない。
神と相対するのは恐ろしい、あの有名な、預言者モーセは、このように言っている「神の衣のすその、はじっこが視界の隅にでも入ったならば、もう恐怖のあまり失禁してしまうかもしれない」まあ、こんなニュアンスのことを言っていた気がする。
なので、本来、神と相対するというのは恐ろしすぎることで、おいそれと一般人にできることではない。しかも我々は、神なき世界の住人で、終末のどん詰まりに生きてる人間だ、人間の罪が最大限凝縮された時代の人間なのだ。
罪から離れ去るには、まず自分の心と向かい合うしかない。生まれる前から今に至るまでの全てを神はご覧になってるし、把握されつくしている。そしてどれほどの罪を犯したかもご存じだし、それに対し自分が何を思ったかも知っているのだ。逃れることは決してできない・・。だが、助かる方法は一つある。
聖書を読み、イエスや、天の父、イザヤなどの預言者たちが、言った言葉を一つ一つ、心に思い浮かべ、ああ、なるほど、確かにその通りだな、と思うことだ、これは絶対である。次に、自分が今までしてきた罪深い行動を思い返すのだ、嫌でもしなければならない、大丈夫、別に教会の神父や牧師に言う必要はない、心の中で神に言うだけだ・・いや、これすらもキツイことだ、思い返したくないことはあるだろう。まあ、それでもやることだ。そしてその罪を認めて、反省しよう。あれは私が悪かった・・と素直に認める。次に、もうこのような罪は犯しません、と心の中で言う。誓わなくてもいい。むしろ誓ってはならない、誓えるほどの心の強さは人間は持ってないからだ。誓わなくてもいいが、罪は犯さないと決心しよう。そうすれば、徐々に罪から離れ去る。
我々はすでに悪魔に魂を半分売り渡した状態で、この世に生まれているのだから、すぐに取り返さなければならない、完全に売り渡したならば、待っているのは地獄の火でしかない・・。