ノーベル賞ヒストリー③:評価の分かれる文学と平和運動、日本人の独創性が見られない経済学

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●「世界文学」に「日本文学」は貢献したか。
「ダイナマイトを発明したのは、まだ許せるとしても、ノーベル文学賞を考え出すなんて言語道断だ。」(バーナード・ショー~1925年ノーベル文学賞受賞)

「文学評価の偏向性」~ノーベル文学賞の最初の10年だけでも、トルストイ、ゾラ、マーク・トウェイン、イプセン、ゴーリキー、リルケらが漏れているのは問題視されています。文学賞を選出するスウェーデン・アカデミーによれば、トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』は名作だが、同時にトルストイは文明とは無縁の原始的生活を賛美し、政府の存在を否定して無政府主義を唱え、聖書を勝手に書き直しているとされ、ヨーロッパが依って立つ規範や宗教に批判的な作家はなかなか受賞できなかったと言います。逆に、アイルランドの詩人イェイツが受賞した時ほど選考委員の見識の高さを示した例はまれ、ということも言われています。
 アジアで最初の受賞者になったタゴールに対しても、受賞理由は「タゴールは完璧な手法で、繊細で新鮮な美しい詩を生み出した。そしてそれを英語で表現することで、自分の詩的な思想を西洋文学の一部とした」ためとなっています。「日本文学」も当然、欧米語訳に恵まれ、欧米語圏で普及し、評価を得られたかどうかということが、その「文学的価値」以前に問題となってくるのです。ちなみに日本人初の受賞者たる川端康成が選出された経緯は次のようです。
「ノーベル文学賞の候補者リストに極東出身者の名前が初めて登場したのは、一九五〇年のことであった。それは日本の作家でなく、中国の哲学詩人林語堂であった。一九三八年度のノーベル賞受賞者であり、中国通として知られるパール・バックの推薦により、林語堂は候補者名簿にその名を連ねる資格を得たのであった。毛沢東の主権掌握以来、この詩人に関するうわさはもはや聞かれなくなってしまった。一九五八年には再びパール・バックによって、この名誉ある候補者に最初の日本人として、近代小説の巨匠、谷崎潤一郎が推薦された。この推薦は、一九六五年に谷崎がこの世を去るまで、幾度か西欧側からも日本側からも提出されたのであった。
 六〇年代に入ると、その当初から他の日本の作家たちが谷崎とはげしく競い合った。すなわち、感受性ゆたかな詩人であり、T・S・エリオットの翻訳者でもある日本文芸家協会推薦の西脇順三郎、日本ペンクラブから推薦されていたペンクラブの前会長川端康成、さらに小説家であり劇作家である三島由紀夫であった。三島は他の二人よりもはるかに若く、また西欧化されたところがあるにしても、最も嘱望されていた。谷崎の場合と同じように、川端、三島の作品は諸外国語に訳され、その名は広く西欧にも知られるようになっていたのである。」(ストレムベリィ)

●ノーベルの悲願は「平和」の実現。

「平和賞は政治ショー」~ダイナマイトで一財産を築いたノーベルは、自国スウェーデンを拠点に「ノーベル賞」を創設し、物理学賞・化学賞はスウェーデン王立科学アカデミー、生理学・医学賞はストックホルムのカロリンスカ研究所、文学賞はストックホルムのスウェーデン・アカデミーがそれぞれ授賞することになっていますが、平和賞のみノルウェー国会が選出する5人の委員が授賞することになっており、特別な位置づけにあることが窺われます。授賞対象は「国家間の友好、軍備の縮小または撤廃、平和会議の組織や普及のために最上、最良の仕事を果たした人」となっていますが、実際には自然科学などと比べて評価がきわめて難しく、政治的なショーになっていることは否めません。
「もう一つ、ノーベル賞のエピソードをノーベル財団に関係しているスタッフから聞いたことがある。一九七四年に平和賞を受賞した日本の佐藤栄作(一九〇一~七五)のことである。非核三原則に基づく外交などが評価されて受賞したものだが、その後の検証で佐藤政権は非核三原則に忠実であったかどうか疑わしいということになった。佐藤への授賞は、アメリカの複数の有力議員の強力な推薦があったからと言われており、アメリカの政治的ポーズが、功を奏したとも受け取られている。
 ノーベル平和賞はすぐれて政治的な賞である。自然科学三分野のように真理の発見、万人が認める基礎研究の成果に出すのとは違う。ノーベル平和賞は、政治的ショーである。その時代に受け入れられた授賞ならば、平和賞はよしとするべきなのだろう。」(馬場錬成)

●「数学は科学の女王、経済学は社会科学の女王」と「経済学帝国主義」。

「ノーベル経済学賞」~ノーベルの遺言には経済学賞はなく、1968年にスウェーデン国立銀行が創立300周年を記念して、ノーベル賞に経済学賞を加えるように提案し、特別規約が制定されました。正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念経済学賞」となっており、ノーベル財団のスタッフの中でも「経済学賞はノーベル賞ではない」「経済学賞をノーベル賞から外すべきである」といった主張はかなり強いと言います。ちなみに経済学のほとんどの領域で優れた業績を打ち立てたサミュエルソンは第2回授賞者ですが、ノーベル経済学賞は彼のために作られたとまで言われたものです。

「経済学帝国主義」~「数学は科学の女王、数論は数学の女王」(ガウス)と言われるのに対し、経済学は物理から「質点の力学」を導入して、モデル・ビルディングを駆使し、さらに数学的洗練を経た結果、「経済学は社会科学の女王」と呼ばれるに至りました。およそ社会科学の中で、数学的手法によって成功を収めたとされるのは経済学と心理学のみです。さらにこうした経済学的思考・分析を他の社会科学分野に及ぼして、「経済学帝国主義」と呼ばれるほど幅広い影響を与えるようになるのです。例えば、経済学の分析対象を人間の行動様式や相互作用といった非市場分野にまで革新的に広げたのが、1992年経済学賞受賞のベッカーです。
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