「二〇世紀生物学の最大の発見は、遺伝子DNAの構造の発見である。二〇世紀前半の科学のエポックメーキングな出来事は、量子力学の誕生と発展である。理論的成果の集積が進むにつれてさまざまな現象の原理原則が明らかになり、電子工業を中心に工業化への応用研究が急速に進展した。DNAの構造の発見は、分子生物学という新しい学問を創造し、生物、化学、物理、医学など既成の学問領域を乗り越えた、インターディシプリナリー(異なった学問分野にまたがること)に広がり、『生命科学の世紀』とされる二一世紀へとつながった。」(馬場錬成)
●「DNAの二重らせん構造」の解明は「生命の神秘」の扉を開けました。
「DNAの二重らせん構造」~生物の遺伝的形質を規定する「遺伝子」において、「遺伝情報」の実体は「DNAの塩基配列」であることが分かっています。DNAからRNAに情報が写し取られる「転写」と、メッセンジャーRNA、トランスファーRNA、リボソームRNAなどによってタンパク質が合成される「翻訳」によってタンパク質に変換される過程を「セントラル・ドグマ」(分子生物学の中心教義)と言いますが、これはワトソンとクリックによる「DNAの二重らせん構造」モデルの構築から確立されていきました。ここから「分子生物学」が発展し、「生命の神秘・謎」の探求が加速化されることとなるのです。
「利根川進の偉業」~1976年にワトソンが所長を務めるコールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムで、後にノーベル生理学・医学賞を単独受賞することになる利根川進が「抗体の多様性の仕組み」について発表しました。ここに招かれて研究成果を発表するのは、分子生物学者として最高の名誉であるとされます。免疫の抗原抗体反応において、1つの抗原には1つの抗体が必要なため、抗原が1億あれば抗体も1億必要になりますが、人体が最初からそんな膨大な抗体を準備しているとは考えられないため、「免疫学最大の謎」の1つになっていたのですが、利根川はこれに取り組み、複数の遺伝子を使って組み換えを起こし、膨大抗原に対抗する抗体を作り出すメカニズムを明らかにしたのです。
利根川が制限時間を使い切ったため、司会者が発表を打ち切らせようとしたところ、会場の後ろにいた人物が「これは重要な発表だ。途中で止めさせるな」と叫び、30分以上も延長して発表を続けると、「発表を聞いている聴衆が、これは大変だと認識しはじめた。会場はシーンとし、誰もが畏敬の念を持って聞いているように感じた。聴衆の興奮がこっちにも伝わってきた。終わったらものすごい拍手だった」(利根川)と言います。実は叫んだのは、分子生物学のボスであるワトソンその人でありました。利根川の新しい発見の連続は「約二年間にわたって独走を続けた」と言われるように、他の追随を許さないものであり、ノーベル生理学・医学賞選考委員も「この業績は一〇〇年に一度の大発見だ」と絶賛し、選考委員会事務局長リンドステンも日本人の受賞者がなかなか出ないと嘆く日本人ジャーナリストに対して、「トネガワの単独受賞は、三人分に相当する。だから三年間はいいだろう」と冗談交じりに言ったほどでした。ちなみに利根川は実証実験においても、それまでの分子生物学の実験手法をガラリと変えるような最先端技術を次々と導入したことでも知られています。
①DNAを特異的に切断する制限酵素の利用~アメリカのスミス、ネイサンズが制限酵素を発見していますが、2人は1978年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
②コーエン=ボイヤーの遺伝子組み換え法~アメリカのコーエン、ボイヤーが制限酵素とプラスミドを用いて組み換え遺伝子を作る方法を開発しました。
③DNAのクローニング法~アメリカのポール・バーグが発明しました。1980年にノーベル化学賞を受賞しています。
④DNAの塩基配列を直接読めるマクサム・ギルバート法~アメリカのギルバートらが開発しました。ギルバートは1980年にノーベル化学賞を受賞しています。