英語に苦しまない人はいません。外国語なのですから、当たり前です。たまに「英語が好き」とか、「言葉に関心がある」という人もいますが、もしも最初からそうだったとしたら、むしろ珍しい人達であると言えるでしょう。興味や関心はあくまでも知識がある程度蓄積され、理解が深まらない限り、本当は生じないものなのです(「全然知らないけど大好き」などということは、他のことでもあり得ないでしょう)。
英語を学ぶのはほとんどの場合、必要性を感じるからです。好きになったり、興味が湧いてきたりするのは、その勉強の途上で起きることなのです。ですから、勉強するに当たっては、まず、その必要性を明確にしないことには長続きすることは期待できません。何事も動機が肝心ですが、これは途中で必ず嫌になったり、投げ出したくなるのが自然だからで、そうしたマイナス感情の中でなおも取り組んでいけるとしたら、明確な必要性の自覚に基づいた動機の確認という原点に返ることによってのみ可能だからです(気持ち的にはウンザリ状態になっているわけですから)。
ここで1つはっきり言えることは、「これからますます英語がいらない社会になっていく、なんてことはまずあり得ない」ということです。「英語なんか使えなくったっていいさ。日本語だけでも、別に自分は特に不自由しない」とウソぶくことは簡単ですが、そういう人でも「英語が使えないより、使えた方がいいでしょ?」と聞かれれば、「そりゃ、もちろんですよ」と答えるに決まっています。本音ではみんな、「できれば英語を使いこなしたいな。なるべくならラクして、てっとり早く、さっさとできないものかな」と思っているのです。実際、英語ができればけっこう上の大学を狙うこともできるでしょう。ひょっとしたら留学もできるかもしれません。ニューヨークで金融や芸術を学ぶ。ボストンで経営学を学ぶ。ロンドンで美容を学ぶ。あわよくば国際公務員になって、英語だけじゃなくフランス語・スペイン語も駆使して、ジュネーブ当たりで働くというのもカッコいいじゃありませんか。
英語が使えるようになると、世界が広がるのは事実です。勉強、仕事、情報収集、情報発信などあらゆる面で有利になります。これを武器にしない手はありませんね。実際、自分自身のバージョンアップを図ろうとする人なら、より良い自分、ベターな自分を目指し、自分の商品価値・市場価値を高めようと考えている人なら、やっぱり英語はやっておくべきでしょう。英語だけやっておけば大丈夫とは言いませんが、英語をやらないでは自己能力向上を図るにも限度があります。「たかが英語、されど英語」なのです。