※内容が地震に関するものです。抵抗のある方は、読むのをお控えください。
1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。
当時、私は関西に住んでいましたが、神戸から離れた地域だったため大きな被害は受けませんでした。
それでも、あの朝の出来事は今でも鮮明に覚えています。
きょうだいと子供部屋で寝ていた私。
激しい揺れで目を覚ますと、天井が大きく揺れているのが見えました。
布団の中で動けずにいると、揺れが止むや否や母が慌てて部屋に飛び込んできて、「大丈夫?」と私たちの無事を確認しました。
しかし、きょうだいは揺れにも母の声にも気づかず、ぐっすり眠ったまま。
そんなきょうだいを見て、母は少し呆れたような表情を浮かべつつも、ほっとした様子でした。
後から聞いた話では、父と母の寝室ではテレビが落ちてきたそうです。
私たちの部屋でも何かが落ちていないか心配だったのだとか。
幸い、家族全員が無事で家にも大きな被害はありませんでした。
揺れが収まった後、父は仕事の準備を始めました。
その日は休日だったのですが、母は少し不安げに「お父さんはこういう時に行かなあかんお仕事やから」と言いながら見送っていました。
後に父から聞いた話では、交通網が麻痺しているだろうからと、バイクで行けるところまで行き、瓦礫に阻まれた場所ではバイクを押しながら職場を目指したそうです。
震災後、学校には新しい転校生がやってきました。
当時の私は、その子たちが被災して転校してきたことに気づきませんでしたが、後になって「震災の影響で転校してきたのだ」と知り、震災の被害が人々の生活へ深く影響を与えていたのだと感じました。
震災後、校外学習で神戸を訪れたときのことを覚えています。
街は一見復興したように見えましたが、少し奥へ進むと瓦礫の山がまだ残っていました。
その光景を目にしたとき、「復興」という言葉には、表に見えない多くの努力や痛みが隠れているのだと感じさせるものでした。
それから16年後、2011年に東日本大震災が発生し、関西では直接的な被害はありませんでしたが、テレビ越しに映る被災地の映像が、阪神淡路大震災の記憶を呼び起こしました。
瓦礫の山、救助を待つ人々、寒さに震える避難生活。
どちらの震災も冬の寒い時期に起きたという共通点が、被災者の苦しさを一層際立たせていたように思います。
阪神淡路大震災の後、日本は防災の意識を高め、耐震基準の見直しや避難所の整備が進みました。
しかし、東日本大震災では津波という新たな課題が浮き彫りになり、私たちは防災の難しさを改めて突きつけら、教訓を生かすことの大切さと同時に、自然災害の前で無力さを思い知らされました。
あれから30年。年月が経つにつれ、災害の記憶はどうしても薄れていきます。
しかし、阪神淡路大震災も、東日本大震災も、私たちに「災害への備え」と「日々の尊さ」を問い続けているように思います。
震災を経験した者として、その記憶を語り継ぎ、次の世代への教訓としていくことが大切だと感じます。
1月17日と3月11日が巡ってくるたび、あの日の出来事、そして失われた命の重みを思い返します。
そして、日々の暮らしの大切さを改めて噛みしめるのです。