司馬史観への素朴な疑問

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まず明治維新は坂本龍馬1人で成し遂げた。これは絶対にないです。例えば薩長同盟です。そもそも龍馬は薩摩でも長州でもない。脱藩しているので土佐でもない。あくまでも商人としての利益のために動いているのです。そして地道に動いていたのは中岡慎太郎や西郷隆盛など維新の志士たちです。野球に例えるなら、龍馬はクローザーとしての役割を果たしただけで、大仕事には違いないけれども、それまで試合を作っていた人がたくさんいたということです。相手の打者が大谷翔平だったとしても、打者1人を抑えただけです。薩長同盟での龍馬は一番おいしいところを持っていきました。確かにその場にいるのは力があってのものですが、もっと中岡慎太郎は評価されていいと思います。日露戦争の旅順攻防戦で乃木将軍が超絶無能で犠牲者がたくさん出たのはどうでしょうか。司馬さんは著書にはっきり書いていますが、これも大筋では正しいけれども、事実とは少し違うと感じました。乃木将軍は戦下手で有名でしたが、司馬さんが言うように漢詩を作るしか能がないかというとそうは思いません。確かに戦上手ではないけれどもあの時、考えつく限りのことは全てやっているし、それでもなおあれだけの犠牲者が出てしまったのは他に原因があります。元々はオランダ人が設計した旅順要塞は日清戦争の時はさほどではなかったものの、その後ロシア人が塹壕を掘るなどして格段に強化されていたのです。ロシアは元々攻めるよりも守るのがうまい国です。一方、日本からすれば日清戦争の頃の情報を基に判断していた可能性が高く、旅順要塞の変貌を深いところで認識していなかったのでしょう。乃木将軍のせいだけではありません。第一次世界大戦で似たような状況が生まれた時でも旅順の時以上の犠牲者が出ているのですから、一概に彼の超絶無能のせいだけではないように思います。司馬さんは終戦までの15年だけがおかしかったと著書に書いていますが、坂の上の雲を書いた人と同じ言葉とは思えません。日本がおかしくなったのは1905年からです。日露戦争に勝った数年後に夏目漱石が三四郎の中で登場人物に日本は滅びると言わせているのですが、これは漱石の言葉そのものでしょう。戦の常識を無視した後詰めのない戦い方が通用したのはたまたまロシアが日本の実情に疎かったからです。薄氷の勝利という事実をメディアが率直に国民に伝えなかったのも後々弊害になっていきます。日比谷焼き討ち事件はそれで起こりました。ロシアから賠償金を取れない小村寿太郎が弱腰外交と非難されたのです。従軍しなかった漱石には日本の危うさがよく見えていたのでしょう。

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