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交渉力

私は司馬遼太郎の歴史小説が大好きですが、そのお気に入りの中に「峠」という作品があります。映画化もされましたが、来年に公開が延期されるようです。本日はこの作品にも関連する「交渉力」について考えてみたいと思います。 交渉には必ず交渉相手がいるので、まずは相手(利害関係者)を知ること。そして交渉の場数を踏むこと。その上で次の4つが重要です。①利益、②オプション、③BATNA、④情熱。絶対にキレないことが大前提。交渉の目的は、正論を通すことではありません。お互いに納得できる合意点を見つけること。相手の面子を潰して恨みを買っては最悪。なんとかWin-Winを目指したいものです。 さて4つのポイント。利益→お互いの利益を明確にする。オプション→選択肢を用意する。BATNA→交渉が決裂した場合に備える。情熱→本気で確かな信頼を得る。準備(①②③)をしっかりして、熱意を込める(④)。交渉現場での駆け引きやテクニックはその次です。 ここで幕末維新から、交渉の象徴的な事例を見てみましょう。まず「江戸城無血開城」。ご存知西郷隆盛と勝海舟の交渉です。ここで最大のポイントは、お互いに相手(人物・考え方)をよく知っていたこと。そして勝は徳川慶喜の恭順合意を事前準備し(利益明確化)、無血開城・武器弾薬猶予の提示案を具体化し(だめなら江戸は火の海)、江戸の民衆を避難させる万が一の備え(漁船手配等:BATNA)をしました。そして命を懸けた。それに西郷も応えた。幕府や藩という枠を超えた国家構想に最後は共鳴しました。お互いすごい胆力です。 一方うまくいかなかった例は、戊辰北越戦争の起点となった小千谷談判。冒頭の「峠
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司馬史観への素朴な疑問

まず明治維新は坂本龍馬1人で成し遂げた。これは絶対にないです。例えば薩長同盟です。そもそも龍馬は薩摩でも長州でもない。脱藩しているので土佐でもない。あくまでも商人としての利益のために動いているのです。そして地道に動いていたのは中岡慎太郎や西郷隆盛など維新の志士たちです。野球に例えるなら、龍馬はクローザーとしての役割を果たしただけで、大仕事には違いないけれども、それまで試合を作っていた人がたくさんいたということです。相手の打者が大谷翔平だったとしても、打者1人を抑えただけです。薩長同盟での龍馬は一番おいしいところを持っていきました。確かにその場にいるのは力があってのものですが、もっと中岡慎太郎は評価されていいと思います。日露戦争の旅順攻防戦で乃木将軍が超絶無能で犠牲者がたくさん出たのはどうでしょうか。司馬さんは著書にはっきり書いていますが、これも大筋では正しいけれども、事実とは少し違うと感じました。乃木将軍は戦下手で有名でしたが、司馬さんが言うように漢詩を作るしか能がないかというとそうは思いません。確かに戦上手ではないけれどもあの時、考えつく限りのことは全てやっているし、それでもなおあれだけの犠牲者が出てしまったのは他に原因があります。元々はオランダ人が設計した旅順要塞は日清戦争の時はさほどではなかったものの、その後ロシア人が塹壕を掘るなどして格段に強化されていたのです。ロシアは元々攻めるよりも守るのがうまい国です。一方、日本からすれば日清戦争の頃の情報を基に判断していた可能性が高く、旅順要塞の変貌を深いところで認識していなかったのでしょう。乃木将軍のせいだけではありません。第一
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司馬遼太郎が最後にノモンハン事件を書かなかった理由

晩年の司馬さんはモラルのない日本人に幻滅していました。あれだけ日本人を鼓舞するものを書いてきたのに。彼の気持ちはよくわかります。もちろん病気のせいで気力や体力が失われていたのかもしれません。私は司馬さんのファンではなく、かといってアンチでもなく、司馬史観を盲信しない微妙な立場ですが、最後に彼がノモンハン事件を書かなかった理由について考察してみようと思います。司馬さんは元戦車兵でした。終戦末期に本土決戦について当時の上官に逃げ惑う民衆に出くわしたらどうすればいいかと尋ねて上官がひっ殺して行けと答えたエピソードはよく知られています。思えば彼の国家への幻滅はここから始まっていたのでしょう。晩年の司馬さんが最後に取り組んだのがノモンハン事件でした。しかしこの事件は日本の戦車が大活躍するシーンはなく、むしろぼろ負け。当時の戦車は戦車戦を想定して設計されておらず、装甲が薄いのです。あくまでも戦いの主役は歩兵で戦車は脇役というのが当時の日本の常識でした。司馬さんのモチベーションが上がらないのは当然です。旧ソ連の情報公開で実はソ連の被害が思った以上に甚大で、どちらの勝ちかはよくわからないことが明らかになりましたが、当時の日本では日本の惨敗という見方が主流であり、司馬さんもそのように認識していたと思います。こんな負け戦を書いても日本人を鼓舞するのは難しいと判断したのではないでしょうか。確かにノモンハン事件はソ連の強さが際立っているように感じます。驚くべきは大軍を投入するために線路を引いて列車を走らせることまでしました。ソ連の戦車は初めから無双していたわけではなく、むしろ初陣ともいえるこのノモンハ
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ドイツのジークフリート線とロシアのウクライナ侵攻

ロシアのウクライナ侵攻から想起されるのが第二次世界大戦末期のジークフリート線をめぐるドイツ軍と米軍の攻防戦です。ヒトラーは二正面作戦を回避するためドイツ西部に長大な防衛ラインを完成させてからポーランドに侵攻しました。フランスのマジノ線のドイツ版のようなものです。さすがにヒトラーが心血を注いだだけのことはあり物質的には強力で、1度は米軍を押し返すことに成功します。しかしドイツの指揮官はその戦果に満足せず、米軍をドイツ領内から一掃すべく、まさかの攻勢に打って出ます。しかしこれが見事に裏目に出ます。そこにはもはや精強をうたわれたドイツ軍の姿はなく、実戦経験が乏しい新兵や老兵の寄せ集めがジークフリート線を出て攻勢に打って出たところで米軍を押し返す力などあろうはずがありません。結局ドイツ軍は総崩れになり、防衛には不向きとされるベルリン攻防戦でも敗れてドイツは降伏します。ロシアがウクライナに侵攻したと聞いた時はがく然としました。はげちゃびんはロシアの歴史を知らんのか?司馬さんの著書によるとロシアの祖先はバイキングだそうです。だとすればはげちゃびんの飽くなき侵攻意欲はDNAなのでしょうか?それとも超絶無能か?とうとう天に昇る時が来たのか?正気の沙汰とは思えません。確かにロシアはナポレオンにもヒトラーにも勝ちました。それはロシアが攻めて攻め抜いて勝ったのではなく彼らの激しい侵攻から国土をしぶとくしたたかに守り抜いて勝ったのです。氷雪の厳しい気候と広大な風土をうまく使って守り抜いて勝つのがロシアのお家芸です。司馬さんだってロシアのウクライナ侵攻には驚きを隠せないはずです。おそらく私とほぼ同じ見解
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