我が家は郊外の一軒家で、緑豊かな庭があります。
決して贅沢なつくりではありません。
築年数がかなり古い家でして、壊れるまで住まわせていただくつもりです。
以前に住んでいた人が庭好きだったのですが、いかにも昭和のつくりです。
写真は庭のビオトープ。
15年くらいのお付き合いです。
中には水草、エビ、メダカ、ミジンコ、その他得体のしれない生物がいるのです。
たまに水を足すだけで、あとは眺めていればいいものです。
この季節になると、太陽光線を浴びてミジンコが発生します。
ミジンコはかわいいです。そして、メダカたちの餌になってくれます。
ビオトープの中の小さな世界でたくさんの生き物が微妙なバランスを保って生きています。
それを天気の良い日に眺めることで、説明しにくい何かを受け取っています。
この庭自体が小宇宙みたいなもので、様々な生物が複雑にからみあって生きています。
無数の生と死が常に繰り返されながら成り立っている風景。
人の一生も、こんな無数の生と死のほんの一部分です。
現代人は物質的には豊からしいけれど、心がそうではないらしい。
コンプライアンスも人間関係も、ずいぶん窮屈な感じになりました。
昔はね、「こっちの方だよ~」っていう何かがあったんです。
今はそれがない。
それを「閉塞感」というのですかね。
このビオトープは閉じられた小さな世界のようでいて、閉塞感を感じないのは、「循環」があるからかな。
自然との調和のなかに生きている感じ。
これが現代人にはなじみのないものになっているようです。
男女平等、仕事と子育ての両立、LGBTとかなんとかいろいろありますが、私たちは生物です。
遺伝子を残すための本能と、人間社会独特の圧力みたなものがまざり合って、私たちはいつも「もの足りない気分」にさせられます。
そうやって文明を築いてきて、いまその頂点に差し掛かっています。
ほんの一瞬の奇跡であるはずのこの時代に、私たちはそれを自覚せず、ただ本能で向き合うのか、理性で向き合うのか。
私は理性で向き合っていきたいです。
この文明がどのように流れてゆくかを眺めています。
そして、自分の心の仕組みについて考えてみます。
私たちは無数の生命体の一つでしかないです。
心も神秘的なものではないです。
この自然と一体になって生かされている実感がわいてきたら。
自分を許し、人を許すこともできます。
そして、あなたのペースで毎日なにかに気が付いてゆく。
その心地よさをようやく味わえる時代になりました。
味わえないのは、私たちの心の問題です。
だってもう、飢え死にする心配はありませんよね。
衣食住が満たされた社会に生まれた特権。
無料でその特権をいただけて感謝します。
それは衣食住以外の心配をしないでもよいこと。
でも、私たちの脳に仕組まれた本能が、私たちに心の休息をさせないのです。
全員が休息したら、この社会は幻だったみたいに崩れ去るのかもしれません。
これは人類特有の本能。そうやってここまで繁栄して80億人になりました。
この一瞬のために人類は多大な犠牲を払ってきたことを、私たちは理解していません。
私は、この宇宙における歴史的瞬間を味わいたくて、この庭をうろついています。
空気から感じ取れることはたくさん。生きものたちの風景もそう。
そして、家族と穏やかな対話をして、自分の最後の時間に備えています。
人間五十年だそうですが、もう充分です。
極上の料理をゆっくり味わうように、今日も庭を眺めます。
まだ充分には味わえていないけれど、そろそろ「ごちそうさま」の時間かな。
そうやって気持ちを整えながらカウンセリングをしております。
みなさん、あまり無理しないでね。