不安になると、
人はおかしなことを確信する。
「私には無理だ」
「どうせうまくいかない」
「やっぱり私はダメなんだ」
——そういう言葉が、
まるで真実のように浮かんでくる。
そして、その真実を裏付けるような事実に
目を向けてますます確信する。
「あぁ、やっぱりね」
「思ってた通りだ」
でも、あの「確信」は真実じゃない。
恐れの状態にある心は、
視野が狭くなる。
広い景色が見えなくなって、
目の前の暗い部分だけが「すべて」に見えてしまう。
だから、普段は落ち着いて考えられる人でも、
恐れに飲み込まれているときは、
極端な結論にしか辿り着けなくなる。
不安を煽る詐欺の手口、
といえばわかりやすいだろうか。
これは、その人が弱いからでも、
おかしいからでもない。
人間が、そういうふうにできているからだ。
だから、恐れを感じたとき、
まずやることは——信じすぎないことだと思う。
「あ、また来た」
それくらいの距離で、見る。
追い払おうとしなくていい。
押さえ込まなくていい。
ただ、少しだけ離れて眺める。
恐れは、消そうとすると大きくなる。
でも、「これは私の全部じゃない」と気づいた瞬間に、
少しだけ息ができる。
そして、恐れが少し落ち着いたら、聞いてみるといい。
「私は、何を信じているんだろう。」と。
恐れの奥には、
たいてい思い込みがある。
「いつも途中で諦める」
「私が望むと、うまくいかない」
「愛されるには、完璧でないといけない」
——そういう、長い時間をかけて自分の中に根を張った、
古い物語。
その物語は、本当にこれからもずっと同じなのだろうか。
一度、丁寧に見てみると——
たいてい、そうじゃない場面がいくつか出てくる。
諦めなかったことも。
うまくいったことも。
不完全なまま愛されたことも。
ちゃんと、あったはずだ。
そこで少しだけ、物語が揺れる。
そして、揺れた瞬間に、恐れはもう同じ顔をしていない。
タロットのセッションで、私はよく、
こういう瞬間に立ち会う。
カードをめくって、
「これ、私のことだ」
と気づく瞬間。
それまで「問題」だと思っていたものが、
実はずっと抱えていた思い込みから来ていたと、
ふっとわかる瞬間。
そのとき、人の表情が変わる。
「そうか、そういうことか」
あれは、恐れが嘘をついていたと気づいた顔だと、
私は思っている。
恐れを感じることは、
おかしいことじゃない。
でも、恐れの言うことを、
全部本当だと思わなくていい。
あなたの中にある古い物語を、
一度、ゆっくり見直してみてほしい。
そこから、何かが静かに動き始めることがある。