捉え方を変えて内なる平穏の中にいる

記事
学び
こんにちは。
光の翼 ここみんです。

いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪


相手の何かを
ネガティブに捉えている時
…というのは、

相手に
問題があるのではなく

「私」の内側が
それを問題だと捉えているので、

相手ではなく

「私」の内側を
みていきます。

相手を
あるがままに肯定できないで

「私」が
そのように解釈し
意味づけして

相手に問題があると
決めています。

相手は至って
天真爛漫で
あるがまま。

相手は
ただそうである

…というだけ。

それを問題だと捉えている
「私」の見方を
変えていきます。

その観念や意味づけを
持ち続けている限り、

目の前に
「ダメな人」が現れ続けます。

「私」の中にあるものしか、
「私」の目の前に
やってはこないからです。

「他者」をダメだと
判断しながら、
「私」に対しても
判断しています。

「私」の世界に現れている
その他者は、
「私」の観念を
映し出しています。

「私」が
ありのままの「私」を
受容して
肯定している時というのは、

すべての他者も
肯定しているので

目の前に
「ダメな他者」が
現れることはありません。

他者を
判断しているとき
というのは、

無意識で
自分のことも
判断しているので

握ったままになっている
マイルールや観念を
解きほぐして
解放していきます。

「私」は、
ただ
そうであるだけ。

「他者」も
ただ
そうであるだけ。

良いでも
悪いでもなく

何でもないもの。

意識を向けた
その何でもないものに

「私」が解釈して
意味づけをして
世界を
創り出しています。

ダメだと判断する
その意識がなければ、

ダメなものは
存在しません。

ダメだと判断する
その意識が、

ダメなものを
生み出します。

もともと
世界には、

良いものも
ダメなものも
存在せず、

そこに意識を向けて
良いとか
ダメとか捉える
善悪の意識が、

集合無意識に
無価値や欠乏、恐怖を
創り出しています。

「私」と「他者」は、
分離していません。

「大いなる自己」と「私」も
分離していません。

分離しているという
「私」の
認識があるだけで、

片時も
離れたことは、
一度もありません。

判断し
否定して
遠ざけようとする
「他者」が
ひとりもいなくなった時に

「私」と「他者」の
隔たりもなくなり、

「大いなる自己」の
隔たりもなくなります。

私自身も
自分の
凝り固まった観念に

ハッ…!
と気づいた体験は
これまで数知れず…。

その度に、
他者が私の観念を
見せてくれているのです。

気づいた瞬間から、
もう手放せます。

他者が
どうとかよりも
気づいた瞬間に

まず「私」が
スッ…と
ラクになります。

そのような他者との関わりは
もう無くなり、
目の前に
現れなくなります。

自分の持っている観念に
気づかずに
いつまでも他者を
善悪で
判断していれば、

延々と
「ダメとする他者」を
目の前に
引き寄せ続けます。

観念に気づいて
手放すことを続けていると
確実にステージは
移行します。

なぜなら、
ジャッジは
3次元特有の在り方だからです。

ジャッジを止めない限り
3次元領域から
抜けるのは、
難しいと思います…。

「私」の内側で
ダメだと判断するような
「他者」をひとりずつ
減らしていき、

否定の原因となっている
観念を解放していき、

何者も
ジャッジすることのない
内なる平穏の中で
くつろぎましょう。



















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