第4話『呼ぶ音』

第4話『呼ぶ音』

記事
小説
短編連作『かぐや姫』より
ー人生には、役目が終わったことに気づく瞬間があります。
 この連作は、そんな瞬間を書き留めたものです。


第4話『呼ぶ音』
十年ほど前、『名前を忘れた女神たち』というドラマがあった。
あの頃の私は、本当に自分の名前を忘れていた。
名前が好きとか、大切とか改めて考えたこともなかったけど、そこまでどうでもいいとも思ってなかったのに、気付いたら私の世界には、私の名前を呼ぶ声は聞かれなくなっていた。
ママ。
誰々ちゃんママ。
「ねえ。」
「ちょっと。」
そして極めつけは今の私を最も正しく表すみたいに居座るのに、全くピンとこない名字。
いつかの日に、この名前になることに頬を赤らめたその名字。
誰かをどう呼ぶかって難しい。
私の母は決して名前を呼び捨てで呼ばなかった。私も兄もいつもちゃん付けだった。その母のやり方は未だに私をあと一歩のところで止める。私もみんなみたいに何も考えずに呼び捨てができたら、もっと気の置けない関係を友と築けるのか?と思ってみたこともあったが、きっとそれは私の心の持ち方の方の問題だったんだと思う。
そんな私は未だに呼び捨てが苦手だ。夫の名も、今まで親しくなった男性たちの名も一度も呼び捨てしたことはない。でも彼らは何の躊躇もなく私の名をそのまま呼び捨てにしていた。
私は自分の名前の音が好きだ。爽やかな風を感じる優しい響きが残る、その音が好き。
でも漢字はあんまり何とも思わない。私の名前の人は9割その漢字だし、特別に何かと思わない。
私たちは名前とずっと一緒に生きる。どんな場面でもそれは私を表す。そして、その音はまさに私と誰かを繋ぐ響きになる。誰かの優しい声も、怒った声も、呼ぶ声は糸電話のように私の心を震わせる。
私たちはその響きを抱えて生きていく。だから、たかが呼び名、されど呼び名なんだ。どう呼ぶかは、呼ぶ人の心を見せる。嘘のない呼び方に隠れられない心は、馴染まない呼び方を受け付けない。
私には、幼稚園の時のほんの数回の記憶しか残っていないお友達がいた。仲良かったらしい。私はその卒園と同時に転校していった子に、田舎の子が転校生に持つ自然な特別感を持っていた。田舎に来る転校生はどうしてみんなおしゃれだったんだろう。なぜ彼らは大切に育てられてると思わせるに十分な落ち着きがあったのか。
彼女とは小学校の時からずっと高校生になるまで文通をし続けた。ポストに手紙が届くのは、特別な気持ちだった。お互い旅行に行けば、封筒に小さなお土産を便せんに挟んで忍ばせた。その紛れもなく特別な関係は、忘れた頃に蘇った。
私が次男を妊娠して名前を考えていた時、彼女の姿も、漢字も思い出さないままに、彼女の名前の音だけが頭に浮かんで離れなかった。その音を息子に授けたかった。理由なんて分からない。その音なんだとしか思えなかった。漢字は全く違うものになった。漢字をどれにするかは意味を考え、夫と話し合った。でも私たちがこれから一生涯呼び続けるであろう息子の名は、その音になった。
名前には、音と意味がある。親はその意味をプレゼントする。我が子への最初で最大のプレゼントとして、真剣に悩んで、信頼できる誰かに託して、人生の幸福を願って。
漢字が決まる先か後かに関わらず、音もその願われた幸福に添えて授けられる。そして、その音は、意味が忘れられる瞬間にも決して忘れられることはなく、タマの首の鈴のように小さな動きにもリンリンと鳴り続ける。
女神たちは、一心不乱に誰かのための人生を生き過ぎてると、どこかに自分の鈴を置き忘れてきてしまう。どこん家の猫か分からなくなって、道端で立ち尽くしている自分に気付く瞬間、また微かに時計の針が回り出す。私の人生は置き去りにされてただけなんだって。カチカチと。そしてその気付きはいつかまたなくした鈴を見つけ出し、コツンコツンとヒールの踵を鳴らしていた頃みたいに、またリンリンと鳴らして歩く日を連れてくるから。


天羽詞鏡
2026.08.02
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