第9話『要の重み』

第9話『要の重み』

記事
小説
短編連作『かぐや姫』より
ー人生には、役目が終わったことに気づく瞬間があります。
 この連作は、そんな瞬間を書き留めたものです。


第9話『要の重み』
昔、教え子にミャンマー出身のミョー・ミン・トゥンという子がいた。
「ミョー・ミン・トゥンって、どこが名字なの?」
なんとも無意識に配慮の欠けた私の質問に、彼は何を言っているんだという顔をした。そして、家族全員の名前が全く違うことを示し、 ミャンマーには名字はないんだと教えてくれた。
「先生、当たり前なんてないよ。」と言ったその年端も行かない青年の言葉は、私を大人だと言わせるには、申し訳なかった。

彼らは全員が違う名前であろうが、東京でファミリービジネスをしていた。当の彼も学校が終わればそのお店でお手伝いをしていた。

では、家族として、と言って大切にする名字とは何なんだろう?と思い始める。
いつかのテレビ番組で、若いアイドルが、田中とか鈴木といった感じの自身の名字に対して、絶対に男の子を産まないといけないってプレッシャー感じたことないっすよ、と言って笑いを取っていた。確かに、全国で50人しかいませんという名字ならその意気込みは変わるのかもしれない。
でも、そんな意気込みだけで、男児が生まれるとも限らないのは皆分かっていても、笑える程にその感覚を日本人は共有している。

最近は、誰がいつ結婚したか?なんてのも名前だけでは分からないほどに、職場で名前を変えない女性は増えた。それでも、結婚と同時に名前を変える女性もいて、そんな時、私は勝手に事情も分からないのに微笑ましく感じてしまったりする。「一緒になってくれないか?」というプロポーズは、何を一緒と捉えてるのかは知らないが、そこには名字も含まれているように感じるから、幸せな雰囲気を感じてしまうのかもしれない。

時が過ぎれば、そんな時の幸せな心持ちとは別のところで、ふと旧姓にも今の姓にもしっくりこないような気持ちになることもある。

私の友人に、どうしても旧姓に戻したいという人がいる。結婚したままで戻したいらしい。実家の方が、嫁ぎ先より恋しい訳でも、拘りがある訳でもないらしい。じゃあなんで?と本人も思うのに、旧姓に戻したいとは思うようだ。

彼女の話を聞きながら、私は自分の名前を想ってみる。
私は結婚するとき、新しい名字になりたいとは思わなかったが、隣にいるだけで幸せな人と何かが同じになることが嬉しくて仕方なかった。でも少しだけ抵抗したい気持ちがあったのは覚えている。私は変わるのに、相手は変わらないことに。そのとき感じていた何とも言えない気持ちは何だったのか分からない。でも惜しくもないものを手渡して、それでもどこかしらに不公平を感じていたように思う。
そして今、旧姓に戻りたいかと聞かれたら、別に戻りたいとは思わない。きっと結婚した時も、旧姓のままでいたかった訳ではない。

私にはペンネームがある。自分で生み出し、自分に授けた名前。
理由を聞かれれば答えられないが、私は、「詞鏡」の音が好きだ。「天羽」は?と聞かれれば、「天羽詞鏡」という漢字の世界観が私には意味がある。名字があるから完成するもの。
有りも無しも決めるのは自由なのに、名字でバランスをとった私は、今になって少し思う。

「先生、当たり前なんてないよ。」 という彼の言葉に、救われているのかもしれないと。
ほんとは名字が何かってことじゃないんだからって。

※人物が特定されないよう、一部の名前を変更しています。 


天羽詞鏡
2026.08.15

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