第3話『へその緒』

第3話『へその緒』

記事
小説

短編連作『かぐや姫』より
ー人生には、役目が終わったことに気づく瞬間があります。
 この連作は、そんな瞬間を書き留めたものです。


第3話『へその緒』

子宮に命が宿った瞬間から、十月十日、へその緒で繋がっていた母と娘は、外の世界に出てからも何かで繋がり続けていたのかと分かり始めたのは、自分自身が我が子と繋がっていたへその緒を切ってもらい、戦いから戻った凱旋の様相で大先生とかたく握手を交わした瞬間だった。

子供は親を選んで産まれてくると私は思っている。
次男が2歳半の頃、よく晴れた青空を見上げて、「あそこで順番だよっておじさんに言われたから、笑ってて優しそうなママを選んだんだよ」って教えてくれた。まあるいほっぺを一生懸命に動かして話す息子のその話は愛おしかった。純粋に喜びで満たされたというよりは、その愛しい笑顔に選ばれたと信じたかった。長男はそんなこと話さなかったから、選んでないのか?と思ってしまう人間としての感情を持て余しそうになったこともあった。

でも、それなら私も選んだのか、とふと思ってみた。お酒に逃げることでしか生きられない父親を受け入れられず、自らの正当性と世間体を守ることに挑み続けた母親を。そしてその母親の正当性の切り札になり、母親の成績表を1点でもよくするために努力するという人生を。

そんなこととは露知らず、ただ親の機嫌はいい方がいいと信じて疑わなかった。母はかわいそうで、耐えている人ということだった。いつも皆のために生きている。そんなシナリオを忠実に娘として生きることは、私の役目であり、時にそれは生命線でもあった。

反抗してまで主張するほどの意見もなければ、そんな正しいかも分からないことのために嫌われてまで戦う自信もなかった。それなりに良い娘で、それなりに悪い娘でもあるのには、メリットもあったし、酒飲みの父と、反抗期で部屋から出てきても不機嫌でしかない兄がいるだけで十分に雰囲気はよくなかったから、母と仲良くすることは、それ以外の選択肢などないほどに感じられた。

子育ての成功みたいに「反抗期がないんです」と笑う人がいる。でも、本当にそうなんだろうか。
医者が切るへその緒は、ザクっという音と共にスパッと切れる。
反抗期の親子の戦いも、「反抗期だから」という言葉が親に受け止める準備を与え、痛くても傷として癒えていく。
でも、切るべき時に切れなかったへその緒は、癒着する。癒着は、切ることもできず、引き裂かれていく。無理に剥がせば修復すら難しくなる。

陣痛に苦しむ私に、「そんなに苦しまないで。痛がらないでよ。」と言いながらどこかに行ってしまった母は、いつの間にか分娩室の脇で赤ちゃんの顔を覗いていた。陣痛で苦しむ私の背中をさすりながら、「俺の腕の方が痛いだろ」と叫んだ夫は、嬉しそうにビデオを回していた。 親になるために命がけで戦った私は、一人の立派な赤ん坊を眺めていた。

息子との間の心細い繋がりが、遅れてきた英雄にスパッと切り落とされた時、私は本当に一人ぼっちの大人として立っていた。

私たちは一人同士なんだと教えてくれた息子は、今ではすっかり私を見下ろしながら、自己主張の練習に勤しんでいる。

へその緒は切られれば、ポロっと綺麗にとれる。桐箱の中にコロンと収まる干からびた絆は、静かに箪笥の中で眠っている。


天羽詞鏡
2026.06.27
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