受け取ると、「自由がなくなる」と思ってた
記事
コラム
最近、
母から送られてきた新品の子供服を
売りました。(え)
私が長年、
『受け取りべた』やってた理由の一つ。
それは
「受け取ったら私の自由がなくなる」
という価値観。
「その分返さなきゃ」
「嬉しい思いを伝えなきゃ」
「ちゃんとありがとうって言わなきゃ」
「ほら、覚えておかなきゃね」
・・・
しんど(笑)
じゃあもういらないっ
そのが楽だわ。
ってなってたのは
やっぱり母の影響が強かったんです。
最近ね、
遠方の母からなぜか
贈り物がたくさん届くようになりまして。
手作りの
タケノコご飯おにぎり
子どものサマーニット
お洋服多数(段ボール2個分くらい)
冷凍のロースハムとか…
それだけ聞いたらさ、
恵まれてるね~
お母さん大事にしなよ~?
ちゃんちゃん♪
って話だと思うのよ(笑)
だけど、
そんなシンプルな話ではなくてね。
私が小さい頃から母は
見返りをしっかり求めるタイプでした。
これだけご飯を作ってるんだから
家事をやっているんだから
「あなたのために」やっているんだから
がものすごく強いひとだったのね。
でもその分ね、
本当に一生懸命やってくれていて
しっかり育ててくれたことには
感謝しているんだけど。
それとこれとは
別ものだぞ、っていう事があってですよ笑
小さい頃は
勉強や優等生として頑張る。
大人になったら
何か贈り物を返す。
そうして、
母はご近所や友達に自慢して満足する。
このループで
おさまっていたのですよ。
以前の私は、
それが当然と思ってました。
だって
母はがんばってくれたわけだから
自分も相応のものを返さないと。
そういうものだから。
それが正しい娘のありかただから。
でも
母からのLINEでびくっとする
贈り物が怖くなっている自分がいる。
誰かからプレゼントをもらうと
ソワソワしてしまう自分がいる。
そこから
母と距離をおいて、
自分と向き合って出てきたのは
「受け取ると自由がなくなる」
という考え方。
受け取ったものに対して
「自分が嬉しいかどうか
どう感じているか」
はどうでもよくて、
「いかに相手に喜んでもらえるか」
そこしか見れない
自分になっていたんだよね。
だから、
受け取って
味わう事もしてなかったし
「返さなきゃ」
「伝えなきゃ」
「何をすれば喜ぶかな」
こればっかり考えるから
時間もパワーもとられて、
どんどん疲弊して、
私がなくなってく感覚。
だから、私にとって
受け取る=自由がない
だったんですよね。
今思うとね
どんなに真剣に頑張らなくても
あなたはどうもならないよ
あなたの価値は変わらないよって
伝えたい(笑)
そして、
受け取って素直に嬉しいと思う気持ちが
もう循環なんだよって
今なら思う。
今回も、母から送られてきたもの。
確かにありがたいんだけどね。
段ボール2個分の洋服を
あ、この丈は息子くんいやがるやつ…!
あ、この厚さは洗濯で乾かんなぁ…
え!同じの2枚入っとるやん…
はぁ、この量を置く場所つくらな…
実際に着てる写真を送らないと…
ってやっただけで
あっという間に子のお迎えの時間。
そしてちらっと浮かぶ
「これだけ送ってきたなら
お返しはこのくらいは必要かな…」
と、なりそうになりながら
いかんいかん!
落ち着け自分!
私はどうしたいんだ!?
と戻ってきて(笑)
結局、
「ありがとう」とLINEを送って
それっきり。
母が求めるがままの
ペースに乗り続けるのではなく
私がしたいと思える範囲で
礼をつくしました。
そして、
うちに必要なものだけ受け取って
後は、必要とする方に届け
という思いで
売る形を選びました。
だぶんね、
母の母(私のおばあちゃん)が
デイに生き始めて
矛先が良くも悪くも
子どもに向いたんだろうなって
その複雑な気持ちも
やっぱり察してしまうのよ。
でも、
それは母の感情であって
私が背負う必要はない。
そして、
プレゼントなんだから
全て大切に扱わないと。
この思いが
自分の首を絞め続けていたんですよね。
感謝は伝える。
でも、そこから先の
私の生活や価値観にあうかどうかは別問題。
正直、まだ罪悪感もあるけど。
私が心地よくいられることが
結果、
周りにもいい影響を与えると思うから。
自分がどうしたいか
何を感じているかを
大事にしたいなーって
ゆらゆらぐずぐずしながら(笑)
改めて思う機会となりました。
さて、
少し長くなりましたが
受け取ることが苦手
その奥には、
ちゃんと理由があって
自分なりの考えとか
ルーツがあって
それも
ここまで自分を守ってきたものなんだと思ってる。
でも、
今苦しいなら
もう少しずつ進んでいってもいいのかも。
あなたの中には
どんなルーツがあるかな?
よかったら寝る前に3分
めぐらせてみてね。