「もっとうまくAIを使えるようになろう」——誰もが一度はそう思う。
とくに成果が出始めてから、その気持ちは強くなる。
でも最近気づいた。その考えが、実はいちばん危ないかもしれない、と。
活動2か月で形にしてきたもの
Claudeと一緒に、台本・音声・映像・BGMをつなぐパイプラインを組んだ。昨日その仕組みで3本目の動画が完成して、明日YouTubeに公開する。
未経験からAndroidアプリも作った。「歩いた分だけスマホを使える時間が増える」という仕組みのアプリで、今はGoogle Play Store(Googleが提供するアプリの公式ストア)でテスト期間中だ。あと1週間ほどで一般公開できる。
SNS運用の自動化も、少しずつ進めた。
形にしてきた、という確かな手応えがある。
ところが、完成した直後に思ったこと
「……で、何がしたかったんだっけ?」
気づけば「次は何を自動化しようか」と考えていた。「次のアプリは何を作ろうか」と探していた。いつの間にか、作ること自体が楽しくなっていたのだ。
これは「練習の成功を求めているパターン」だ、と気づいた。
「AIを極めたい」という感覚の正体
AIの進化が速い。毎日、新しいツールが出てくる。そのたびに「追いつかなければ」という焦りが生まれる。
「AIを極めよう」という気持ちの正体は、不安を消したい、だと思う。
追いかけているうちに、何をしたかったかを忘れる。ツールを積み上げることが目的になる。これが「AIに飲み込まれる」の、本当の意味だと思っている。
僕がやりたいのは、ツールの先にあること
動画もアプリも記事も、全部ある一点のために作っている。
AIが普及するほど、人間の判断が単純化されていく。「突き飛ばされた。どうしたらいい?」という問いに、AIは「児童相談所へ」と一律に返す。白か黒か。加害者か被害者か。そういう切断された判断に、人間の曖昧さが吸い込まれていく。
本来の人間関係はもっとアナログだ。怒っているけど、憎んではいない。許せないけど、関係を終わらせたいわけでもない。そのアナログな部分を、AIが削ぎ落としていく。
だから僕は、その流れに逆らうために作っている。AIを使いながら、AIに飲み込まれない人間の判断力を取り戻すこと。動画もアプリも、その入り口として機能してほしい。
あなたはどうですか
AIで本当にしたいことは、何ですか。
「AIをうまく使えるようになること」ですか。それとも、AIを通じて、何かを変えることですか。
手段と目的が入れ替わっていないか、たまに確認してみてください。