人間ってのは、ほとんどの意思決定を無意識で直感で行っているという。伝聞調なのは、本当のところよくわからないからだ。
1日35000回ほどの意思決定をしていると。僕は4時間睡眠なので、単純計算で1分あたり29回の意思決定を行っているのだ。
そう考えると、オートモードというか、無意識でもなきゃやっとれん。一般的には睡眠時間はもっと長いと思うので、よりスピーディーな意思決定が求められるということだ。
無意識の決断、そこには確たる自分が存在していない。これってほとんど無意識下のなか、生きているってことだろうに。
心無い言葉に心痛めるシーンがままある。親になるということはそういうことだ。
「うざい」「|莫迦《バカ》」「頭悪い」「●ね」「話が通じない」僕がだいたい1日で浴びせられる言葉の代表格だ。子育ての難しさを知る。
だがしかしだ、そんなものに心痛めていても仕方ない。僕は痛まない。なぜなら、その言葉すら「心無い言葉」=つまりは、無意識の言葉だからだ。
無意識で投げかけられた罵詈雑言を、無意識で捌くのだ。これは武術の達人の技とも言うべきか。
僕はこの技を「無意識の構え」と呼ぶ。この構えを会得してなければ、相手からの罵詈雑言は、心の深いところに刺さってしまう。それはいつしか、瘡蓋ができて強くなることもあれば、いつも剥がれてジュクジュクしっぱなしになるかもしれないのだ。
反論しない、訂正させない、言いっぱなしにさせる、受け流す、むしろ肯定する。
「あ、そう」ぐらいの返事で留めてもいいし、軽く頷くぐらいでもいい。ムキになると、言葉のトゲは深いところまで潜りこんでいく。
この話を、思春期真っ盛りの娘さんがいる友人に話をした。母として女同士がぶつかるとよく言っていたからだ。僕も、我が家での衝突は男同士だからと思い込んでいた時期もあった。
性別関係ないな。ライオンのオスとかメスとかの、群れから追い出すもっともらしいオス同士理論、メス同士理論もあまり意味をなさない。なぜなら、私たちは人間で、とんでもない回数の意思決定を無意識下で処理しないといけないぐらいに忙しいからだ。ライオンとは違う。
「頭でわかっても、感情がキーッてなるでしょ?」と言われるが「そのキーッすらも、よくよく考えての反応じゃなくて、瞬発力があるやん。であればあるほど、それって無意識じゃない」と答えるようにしている。
その境地に至るのには時間がかかる。でも、悟りというほどのことでもない。相手は無意識なのだ、と理解する。つまりは、特殊な訓練を受けると言うことにも近い。
その訓練はどこで受けられるのか? そんなものは毎日の暮らしに転がっているのだ。
「あ、そう」「わかった」「そうか」と受け流していると、無意識でできるようになる。子どもの一言一言に傷ついている時間もないのだということ、私たちは忙しいんだということを、自分の芯に置くようにすれば、ラクな気分ですごせるのだ。
そもそも、子どもにアレコレ口出ししたくなるところが起点となりやすい。子どもは干渉されたくないし、親は失敗して欲しくない。そんな自由意志の名のもとに、野放図な子育てを推奨するわけでもないが、もう心配しすぎても仕方ないというのが実感だ。
群れ(家)から追い出すというよりも、いつか巣立っていくのだから、その時に困らないようにと心を砕くことはある。だが、それ以上はもういいかなと思うとラクになる。子どもなんて所詮は、自分ですらないのだ。身近な他人と思えば、本当スッキリする。
大切にすべきは、妻や夫といったパートナーではないか。自分が選んだ人なのだからという理由は間違っている?
親も子もお互いを選べないから、良いところまでは交差し続ける。それ以上はその関係次第だ。僕は、もう十分だと思っている。頑張って自分の人生を選んで生きて欲しいし、それは無関心ということでもなくて、そういうものだと思うのだ。