日々草って毎日咲くから、“日々草”っていうんですねぇ。
7月に買ってから、ずーっと咲いてくれて、
楽しませてくれます♪
(ちょっと、葉っぱは黄色くなってきちゃったけどね💦)
おはようございます。
はるつぐ(はるコーチ)です♪^^
昨日は、
“自分の価値観は横に置いて話を聴く”ことが、
その人を“存在承認”する最強の手段だ。
ということを申し上げました。
今日は、その続き、
それでもなお、
『自分の価値観を横に置いて話を聴くのが困難な時』
のことを書きたいと思います。
そうですね。。
私の場合、息子(現在高校一年生)の話を聴くのは、
難しい時があります。
なぜなら、
「明らかに間違っている」と思ってしまうからです。💦
例えばですけど、、
息子「コロナなんて、ぶっ殺せばいいんだ、なぜ政府はそうしないんだ」
とか、過激なコト言うんですけど、
いや、、、
殺せないじゃないですか。笑
二の句で
「そんなこと出来っこないじゃん?」
って、“言い返し“ちゃうんですよね。😓
“傾聴”するなら、
相手の言うことが、合っているのか?間違っているのか?は、
関係ない。
まずは、
“相手の気持ちに寄り添う”ことが大事。
コロナウィルスを殺せるかどうか?
それは、問題じゃない。
コロナに対する怒り、どうにもならない現状への苛立ちを、
受け止めてあげなきゃいけない場面ですよね。
(「ウィルスは生物じゃないから『殺す』っていう表現もどうかと思うよ」
とか、余計なことを言いたくなる理系な私💦)
そうなんですね。
目下の人、子供、部下、後輩
ちょっと言葉は悪いけど、
「自分より劣っている」と感じてしまっている人の言うことは、
「自分の方が優れていて、相手の言うことは間違っている」と思いがち。
だけどね。
相手の言うことは、その人にとっては“正解”なんだ。
人の“正解”が違うのは、“それぞれの人が認知の仕方が違う”からに過ぎない。
(ごめんなさい。ちょっと難しい言い方してる)
今日の例で言うと、
私は
「ウィルスは生物とも非生物とも言えない存在で、殺すことはできない」
という認識。
息子は
「ウィルスは憎むべき存在」
という認識。
はい。
息子は“間違っていない”です。
私と息子の認識(認知の範囲・仕方)が“違っている”だけ。
コレ。
実は、割と多くの場合に当てはまったりする。
後輩の言うことが、自分にとっては「間違っている」と思えていても、
その人が「そう考えている」ことは、間違いじゃない。
自分と“違っている”だけ。
そう捉えると、
その人自身の言うことを素直に聴くことが出来ることが多い。
『その人を認める』ことが出来る。
そんな風に考えて、
コーチングにも望んでいます。
さて、
今日もこれから仕事だ。
自分と違う意見にも、
耳を傾けていこう♪^^